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てつがくカフェ@ふくしま

語り合いたい時がある 語り合える場所がある
対話と珈琲から始まる思考の場

てつがくカフェ@ふくしま報告2021.9.18. 「死刑は有りか?無しか?」

2021年09月19日 16時33分25秒 | 定例てつがくカフェ記録
9/18(土)に開催された定例てつがくカフェについて

世話人の石井が報告させていただきます。



今回も会場&オンラインの同時開催となりました。

台風が接近している中で、

会場には13名、オンラインでは5名の計18名の方にご参加いただきました。







定刻通り16時から始まりました。

ここで今回参加いただいた方の発言の一部をご紹介いたします。


【死刑とは何か?】
・それぞれ意見が異なるので、まずそこから聞きたい

・死刑はなぜあるのかというところから考えてみたい

・法の名のもとに行う行為で凶悪犯罪者の抑止力になると思われていたが、豊かな世の中となって死刑になりたい人間も出てきた

・死刑とは長期禁固という刑で、一生涯をかけて償うもの。自由をすべて奪われ、働かなくていいというもの

・無期懲役は減刑されるし、仕事もあるので、禁固刑(労務作業のない身柄拘束刑)とは分けて考えるべきだと思う

【死刑は何のためにあるのか?】
・死刑は刑法に制度として取り入れているが、国会が法律を制定する権利を有しているということは、つまり死刑という人を殺すやり方(罰)を国民が受け入れているということ。民主主義の観点から国民が国会議員を選んでいるので、国民が認めていることだと思う

・ブログの案内で死刑についてまとめられていて、その中で紹介された死刑制度の存続が賛成多数となっていたが、だれしも死んだことがないし、自分の死は経験したことがないことなので非常に難問。国家に死刑を簡単に許すのは良くないし、取り返しのつかないものなので安易に国家権力に委ねるのはまずいのでは?
→現在有罪となって死刑になるのは「外患誘致罪」で、これは必ず死刑になるが今まで一度もない。明治の時代から残しているということは、国のやり方として「死刑」は国を守るという意味合いで使われているように思える
→国家とは何かというと、封建国家の場合は王様の持ち物であった。民主制国家の場合も生殺与奪の権は国家が持つ。警察権や議員・官僚など行政権もあるが、戦争の時代が長かったからか徴兵の流れもあり、国が人を殺しても罰せられない

・国家が人を殺すという問題については、倫理的に人を殺すのは良くないと思うが、一方で持ち物ならば殺すのも拘束するのも同じではと思う。あと死刑と普通の刑罰を比べてもそこまで違いはないのではと思う。なぜ(そこまで死刑という刑罰を)重視するのかなと

・これまであんまり死刑について考えたことがなかった。昔はお殿様の裁量で行われたと思うが、今は死刑という制度が何であるのかなと考えたとき、他の刑罰と比べて改善の見込みがない人が該当するのかなと思った

・日本の死刑の判例では、故意による殺人(2名以上)と決められている。ただ実施されるかは時の法務大臣の判断に委ねられる。またなぜ死刑があるのかという疑問については、一つのグループを統一した場合、(殺人などの)重罪を犯した際に、そのグループが生き延びるため(存続するため)に取り決めとして、やってはいけないことを決めなければ、集団的に成り立たなかったということ

・死刑は刑法で主に殺人が多いと思うが、そもそも人はなぜ殺人をするのか?ということを考えると、殺人事件はニュースでは日常茶飯事で、動機は多分憎しみや嫉妬、復讐など感情の高まりからくるものかなと。つまり相手の存在を消したいという願望で、相手の存在を否定することではないかなと。これは人間が存在する限り無くならない。さらに殺人をした人をどう扱うか?という問題もある。日本は死刑を行う数少ない国家であることを踏まえても
→怒りや憎しみで犯行に及ぶという話だが、理由があって行われた殺人は死刑にはなっていないのでは?と思った。殺人=死刑ということではないのでは?

・法律については詳しくは知らないが、死刑については昔は別に何とも思わなかった。しかしとある映画で、登場人物がなぜ殺人を犯したのかを丁寧に描かれているのを観て、物語ではあるが人が人を殺すのにはそれなりの理由があるということで、それこそ国レベルの転覆をはかる人でもその国に何か問題があるから行うわけで、何かしらの思惑やその国の政治体制など何かあって行うのだと思う。死刑には反対の理由として、(殺人などを犯した裏には)確実に何かあるわけで、罪を犯した人に寄り添ってケアできるような、専門職や更生する施設など別なステップに導けるようなシステムがあればいいと思う。どうしても必要なら死刑か無期懲役か選択できる刑罰がいいと思う。あと、部族的な話で悪い人は殺しても仕方ないという話があったが、とある部族ではそのコミュニティで何か悪いことした人がいたら、みんなで囲んでその人が過去にした良いおこないを一人ひとり語っていくという風習があり、罪を犯した人を立ち直らせるシステムだと思った

・殺したやつを極刑にしてほしいという被害者の想いもがあるから、存在するのではないか?
→遺族の方の想いという話が出たが、自分は死刑はありというか、一部ありを認めるという立場で、遺族の方が一生苦しむかもしれないし、また犯罪者が反省してないかもしれない場合もあるわけで。また裁判で公平に決まったもので、死刑が決まった時点で残された親族の方は救われるのではと思う。ただ、度を越した犯罪に関しては死刑はありだと思う

・死刑廃止の活動しているが、慰撫できない親族の方の想いというか、これは長い年月をかけて折り合いをつけていくしかないと思う。近代国家になって核家族化・個別化していくコミュニティの中で、生の感情のぶつかり合いがあって殺人に及ぶということもあれば、障がい者は不要だからと殺した事件もあったが、どちらも人を殺して理想を達成している。こうした事件が起こるたびに抑止できたのではないか?と思う。日本だけではなく、キリスト教圏のヨーロッパなども悩んでいるのではないかなと

・憎しみという動機から死刑にはならないのでは?と思うが、大阪の附属池田小事件の場合、自殺未遂の犯人が自分一人で死ぬのは割が合わないという理由から、ある種の怨恨で犯行に及び、結果死刑判決を受けたが、犯人は控訴はしなかった。さらに「死刑を待つのは嫌だ」「さっさと死刑にしろ」「早く死にたい」などと発言もしていた。事件後一年ちょっとで死刑になったが、結局は彼のやりたかったことは達成されてしまったわけで、遺族は複雑な感情だったという。また法務大臣の判断で死刑執行の時期が違うという話も、国の思惑で動いてしまっているというところが、かなり問題含みだなと思った

・死刑はなぜあるのかという話だが、さかのぼると拷問の末の行いだったのかと。またかたき討ちという制度も昔はあって、それは際限ないやり合いに繋がるわけで。近代となってからはあっさりした死刑の方法になった。本当にただ苦しめるというか痛めつけるような刑のくだし方は昔はあったが、近代で刑罰もより合理化された。君主制から民主制に変わったということは、国家の在り方が変わったわけで、(死刑という制度も)単なる多数決の問題ではなくなったのかなと。楽に死ねるという理由から死刑を選ぶ人も出てくるような気がする
→かたき討ちの話が出たが、古くは室町時代の曾我兄弟からあり、江戸時代にも制定されていたが、明治には禁止された。ただ仇討ちには厳格なルールがあったわけで、誰でも彼でもかたき討ち出来たわけではないことは理解していただきたい

・冤罪死刑囚の話だが再審請求の中、刑務官が独房の前を通る度に「いよいよ今日か」と思う日が何年も続く恐怖を体験したという。これが果たして人道的なのか?
→毎朝いつ言われるか分からないというのは、今の制度だからあるというかそういう形で責めるというか。死刑はない方がいいと思うが、これまでの話を聞いても「じゃあ死刑をなくそう」というところまではいかない

・遺族のためという観点もあるが、国というかコミュニティが良くなるためにあるのかなと思う。それが死刑である必要があるのかは分からないが
→罪を犯した人にも人権はあるわけだから本当に必要だろうか?
→受刑者にも人権はあるという話だが、権利を制限されただけであって、じゃあどれだけの人権を与えるかと。罪を償わせているというが、どれだけのことをやったら認められるかという話で、場合によっては死刑もあっても良いのではないかなと。北九州の工藤会のトップが最近のニュースだと死刑判決を受けたが、世の中の秩序を乱す組織ということでの判決だったと記憶しているが、本当に更生が出来るのか裁判官は悩んだのではないかなと思う
→死刑にするかどうか徹底的な論証の積み重ねは必要で、安易にするのはどうなんでしょうとは思う

・人権が制限されるという話が出たが、実際は公民権の停止であって、食事や治療も受けられる。人は最後まで人であるという日本刑法で取り扱われている。ただ死刑制度は世界人権宣言とは乖離しているわけだが

・本来は生涯をかけて罪を償うべきで、償えないから死刑にするというのが現状。本来あるべき姿は罪を償うことで、死刑にしてしまったら無意味なことになってしまうのではと思う

・有りか無しかでいえば、場合によってはやむを得ない制度かなと。例えば内乱罪などは世の秩序を乱す許せない行為で、クーデターなんかも一種の内乱になるのかなと。あと先ほどの大阪の殺人事件の話は自殺というか死にたいという人がいるというが、個人がコミュニティの中で人生を築いてきた中で殺人者が出るのはどういうことかと。自由意思ということなのか、(組織の)中にいる人間がそういう状況になるのはどういうことなのかと。コミュニティ事態も緩んでいるからか、道徳的に低下しているのでは?と感じる。また、死刑は人道的ではないというが、人道的とはどういうことか?無期懲役は生命を存続するが果たしてそれは人道的か?
→終身刑とどう違うのかという話だと思うが、人権の制限というか。人道的かは死ぬまでの準備が出来るということかと。ただ本質的な違いが分からないし、人道的な死刑というものがあった場合、その違いは何かとも思う

・世界人権宣言に日本も批准しているが、日本では形骸化していると思う。また「人権」と「人道」は明確に分かれているということも言っておきたい。我々は死刑という制度を実施してきたわけで。言いたいのは一度崩壊した社会を立て直すことが必要で、生活していく知恵を次の世代に伝えられる場がなくなってきているのが心配

・死刑と終身刑の違いの話も出たが、イタリアでは終身刑の囚人が国に「殺してくれ」と直訴した事例もある。また極刑が死刑というのは必ずしも妥当しないと思う。死刑のその上がないというか選択肢がなくなるわけで、それは公平性がなくなるのだと思う。罪を償うというが、何をしたら罪を償うことになるのか?死ねば罪を償うことになるのか?
裁かれてほしいと願っているがそれはどこまでの裁きなのか?そんなところ分からないわけで、それこそ個別の事例になってしまう。一般化するのは不可能な話で、国家が統治するための方法として、死刑制度を維持してきたというがその国家をそこまで信用できるのか?人の命を任せるられるのか?個人的には最低限任せる、つまり国家に人の命をどうこうさせない方がよいと思う
→その意見には反論というか、国家は司法・立法・行政が分かれていて(三権分立)、ある程度制御出来ていると思う。個人の想いなどで恣意的な運用が出来ないようにされているわけで、司法権の部分までいくのは話が飛びすぎている気がする
→現状死刑に関しての問題は、恣意的に運用される可能性があるという話で、また原理的に国家が命を奪うことを認めていいのか?ということ。国家は必要悪だと思っているが、日本の司法には憲法裁判所がないことから、日本はちゃんとした三権分立ではないと思う

・凶悪犯罪が起きない良い世の中になればいいなというのはその通りで。あと私は生まれ変わりを信じていて、人生は修行だと思っている。世界は不完全で、いろんな意識を持った方々が皆それぞれ愛を持ってお互いを認め合えれば犯罪もなくなるのではと思っている

・罪を償うことはなんなのか考えたとき、池袋の暴走事件は被告がもっと重罪になるかと思ったが、そうはならなかった(禁錮5年の実刑判決)。そう思ったとき、罪状で犯罪の重さを判断している国民だなというか、全体的に国民の(罪と罰の)認識がぼやけているのかなと
→池袋の暴走事故の判決は、上限を決めていた中でのMAX(の罪)というか。それこそ個々の犯罪に対して、罪を償うといことは各自で判断せざる負えないので、禁固何年罰金いくらと上限が決められているという話
→第三者が刑の大きさで罪の重さを判断するという話だが、(池袋の事件が)終身刑の方が望ましいのではと思ってしまうということは、国民の意識が極刑は死刑となっているということなので、まずは国民の意識を変えないと難しいのではないかと思う

・死刑について考えた時、被害者だけでなく第三者がすっきりするからあるのかなと。重罪人が生きているのは、嫌な気分だからという理由で死刑を認めている人がいるのではないかなと
→罪を償うことで、どうしてすっきりするのかと考えたとき、第三者が性格や人格を変えたいという願望というか、謝らせたいなど変質することで達成されることがスッキリの感情に繋がるのではないかなと。また(反省していないなど)人格の変質が望めないから死刑になるのでは?

・池袋の事件が死刑にならないのは、死刑とは故意に人を殺した場合に成り立つのであって、業務上過失致死は禁固五年が最高刑

・理想論ではありますが、死刑だと罪を償えないと思うので、更生できる施設があればいいと思う

・その人がやった行為が悪いこととして裁かれるわけで、死ぬ時まで人は人であるという話はまさにその通りだと思う。その人の存在を尊い命と罪を別にして考える必要があるのかなと。囚人が死ぬことによって救われる人もいるが、罪を償う選択もあるわけで。また今現在の死刑は絞首刑と聞いたとき、現代でもまだそのやり方かと驚いた
→失った家族は戻ってこない。犯人を最初は殺してやりたいと思うかもしれないが。また日本の死刑は残酷かという話だが、ヨーロッパの絞首刑や銃殺刑などは見せしめだが、日本では見せしめはされないので、そういった部分ではヨーロッパの方が残酷かと

・アメリカの終身刑のようになると「終わらせてくれ」と思うが、200年など重犯罪者が確実に出てこれないので安心という側面もある

・死刑を行うのは刑務官で、私たちと何ら変わりのない普通の人が行う。軍人など訓練を受けた人ではない。私たちに代わって行ってくれているということを覚えていただきたい




上記のような様々な意見があり、 議論が活発に行われました。

最終的な板書はコチラ↓








次回のてつがくカフェは、

10月16日(土)16時から福島市市民活動サポートセンターで行います。

テーマは「お酒を飲むことは必要か?」です。



なお、会場参加にあたっては、新型コロナウイルス感染症対策のため、

マスク着用の上、ご来場いただきますようお願い致します。



また、オンラインによる参加をご希望の際は、

てつがくカフェのメールアドレスまでご連絡ください。



そのほか、てつがくカフェのTwitterとFacebookもありますので、フォローしていただけると幸いです。


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それでは皆様また次回の「てつがくカフェ」でお会いしましょう。

てつがくカフェ@ふくしま報告2021.7.17. 「インターネットは社会をどう変えたのか?」

2021年07月18日 13時00分00秒 | 定例てつがくカフェ記録
7/17(土)に開催された定例てつがくカフェについて

世話人の石井が報告させていただきます。


今回も会場&オンラインの同時開催となりました。

真夏日の中、会場には8名、オンラインでは4名の

計12名の方にご参加いただきました。





定刻通り16時から始まりました。

ここで今回参加いただいた方の発言の一部をご紹介いたします。

【社会の変化について】
・何でも調べられるようになったことで百科事典は売れなくなったが、(その結果)網羅的な知識は得にくくなり、(事件やニュースなどの)全体像をとらえるのが難しくなった
→百科事典は今や紙媒体では買い取ってくれないし、昔の動かない決定された事項を啓蒙する役割からオンライン百科事典やウィキペディアなど日々アップデートしているため知識のあり方も変わってきた
→質・内容に関して全部変わったというのがインターネット社会の一面だと思う

・ブログで紹介されたインターネットの普及率をみると、自分はスマホも持ってないという少数派の一人になっていた
→日本国民の多数がインターネットを頼っているといえる
→「直接性」というか、(社会の変化として)コロナの関係もあるのか、人と人との関係が薄くなっている気がする

・(インターネットが普及したころの)初期は、性善説に基づいて条約・議定書が作られたが、「トロイの木馬」などのウイルスが登場するなど、(ネットの世界が)自然と性悪説となって安寧に通信を共有できない時代になった

・自分はネットもしないし、なくても生活に支障もないので、インターネットが登場する前の時代(1995年以前)に戻れないか?と思ってしまう(最近疲れてしまった)
→制御が効かない状態ではないかと、心配することが多い
→反対の意見として、もはやインターネットのない時代(1995年以前)には戻れないと思う
→ネットでお手軽に調べられて楽だし、あると便利な状況なのでついつい生活の要所要所で使ってしまっている

・コロナは大学にとっても大パニックで、大学は一時閉鎖するなど危機的な状況だったがネット環境のおかげで講義は続けられた
→Zoomでの講義や会議が当たり前になってしまったので、コロナ以降はネットのない時代にはもはや戻れないのでは?

・チャットやアプリなどハンドルネームしか分からない相手と交流するといった、実生活(リアル)の接点がない交友関係を持てるようになった

・昔は権力の側は、市民が何を考えているのか調べようとし、それを市民の側が阻止する動きだったが、今は個人が自分のプライベートを(SNSなどに)載せる時代となった
→簡単に個人が特定でき、むしろ自主的に広めようとしている時代になって、社会全体で見た時に昔と比べた時に公私の関係性が逆転した
→個人が情報を開示する動きは、昔から変わっていないのでは?
→昔から井戸端会議をしているし、情報を伝達する技術が進歩(拡大)しているだけでは?
→反対の意見として、井戸端会議とインターネットは決定的に違うと思う
→SNSなどで情報はあっという間に世界に広がるのに対し、井戸端会議は半径三メートルの世界での情報の共有で根本的に違うように感じる

・経済状況から、食べていくためにYouTuberの中でも違法行為で動画の再生数(広告料)を稼ぐ人も出てきた
→インターネットの時代になってYouTuberなど新しい職業が出てきて、今や子どものなりたい職業ランキングでも上位となっている
→(ライブ配信だけで生活する)「ライバー」と呼ばれる職業もあり、視聴者からの投げ銭システムで収入を得るなど自身のタレント性でお金を稼げる時代
→昔はテレビタレントでなければできなかったことが、自宅で手軽に出来る(一般の人が自身のタレント性を活かして収入を得られる)
→インターネットで新たな職業が生まれることは、産業革命に匹敵するような出来事だと思う
→社会構造が変わってしまったので、生まれる職業もあれば廃れる職業も出てくる

・ドローンを使って人を殺すようになるなど軍事面におけるコンピューターの活用は目覚ましいが、国家という縛りの中で殺人を犯すというのは、よく考えるととんでもない話
→技術は無法で、どんどん移っていく(伝播する)ため、将来的に人類は破滅に近づいていくのでは?と危惧している
→「AI(人工知能)の戦争」も資源とエネルギーの限界があるため、最後は人間の良心にかかってくるのでは?


【エリック・シュミットの格言について】
・ポスターにも記載されていたエリック・シュミット(Googleの元CEO)の格言を見るに、(インターネットが無政府主義になることを)やはり意識していたんだなと思う
→インターネットには法廷や裁判所がないなど疑似的な社会を構成する国民国家の権力がないので、色んな使い方が出来てしまう(SNSを使っていた香港のデモなどの事例)

・インターネット社会は無政府主義的に見えるが、中国やミャンマーを見ているとむしろ逆に思える
→国がインターネットを遮断してしまっているし、技術としては電波・無線を使っている限り、国家なしにインターネットを活用できないのが現状
→ビッグデータの前提として、個人情報を登録しないと利用できない
→GAFA(「Google」「Apple」「Facebook」「Amazon」の米国のIT企業4社)は、個人情報を利用して儲けている

・「無政府主義の壮大な実験」というが、人間は無政府主義に耐えられるのかが疑問
→社会的な生き物として統一や関わりを上手く維持するには、決まりごとや約束が必要で無政府状態ではいつまでも続けられない
→無政府主義だとインターネット自体動かないのでは?勝手に個人でどうこう動けるというものではないのでは?

・格言については正しいと思っている
→世界には6000を超える言語があり、共通の意思疎通が必要
→無政府主義というよりも、20世紀初頭にあった空想社会主義に向かっていくのでは?
→一旦カオスを経験して、それから阿吽の呼吸の境が出来上がるといったこれからの変わっていく社会とのせめぎ合いがあるのでは?

【検索システムとしてのインターネット】
・かつてインターネットは検索システムであり、GoogleなのかYahoo!なのかどこが勝つのか?またどうやって儲けるのか?と考えていたが、彼らのやりたかったことは端的に言えば世界征服だったのではないかと思う
→世界中の情報(知識)を集め、巨大な組織が世界中に根を張る今の現状はまさに仮面ライダーなどに登場する悪の組織(ショッカー)のよう

・検索機能は、一方で個人情報を得るためのサービスであり、利益に結び付く業界がインターネットに力を入れている


【インターネットの危険性について】
・オバマ元大統領がトランプ前大統領を罵るといった「フェイク動画」などは、信じたい人は信じてしまう
→何がほんとで何が嘘かを調べる意識が必要
→一般市民ベースで何が正しいか調べる動きもあるが、インターネットが登場してやっと生まれた

・ネットの嘘の情報については、トランプ前大統領やウクライナの政府などが利用していたことを思えば、インターネットの影響は大きいといえる
→嘘のツイートをすると、あっという間に広まって消すことが出来ない
→個人では想像ができないほど世界が広がっている
→リテラシーのない人や悪用しようと思えば容易に出来る

・(Facebookなど)「いいね」の数が何件かで喜ぶ様子を見ると、人間は単純化していって、そのうちインターネットが人間を征服してしまうのでは?と思うことがある

・ネットサーフィンに関する論文の中で、1日10時間行ったという実験の結果、薬物中毒と同じ症状(攻撃的・興奮状態)がみられ、脳にも悪影響があると記されていた

・インターネットの登場で、人間の本質が変わってしまったのではないか?
→ホモサピエンス2.0ともいえる人類の誕生では?
→ただすべての人間が変わる訳ではなく、旧人類(古い人間)は淘汰されると思う

・ファクトとフェイクの関係についていえば、もっと事実とは何なのか?嘘とは何なのか?きちっと意識しないといけない
→情報量が多いと嘘もほんとになる恐ろしさがある

・インターネット社会はトライ&エラー
→ピースサインの写真から指紋が盗まれ悪用されるなど、痛い目を見て気づく
→自己と他者の位置づけを測る時代
→未分化(まだ分かれて発展するまでに至っていない)で不安定さを抱えながら、意思を共有していく
→常に危うさを抱えているため、一度立ち止まらないと難しい

・パソコンなどに使用されているリチウム電池は再利用できない
→将来にわたってインターネットを使用するにあたり、どのようにエネルギーを確保していくのか?
→あやふやで不安定な今のエネルギー事情を理解すべき(いつかは尽きるエネルギー枯渇問題)
→次のハードウェアにどう移行できるのか?(紙に戻らざるを得ない時が来る)

・単純で極端な意見や思想が盛り上がるなどSNSでは二元論と感情論が目立つ
→仲間内で徒党を組み、意見の異なる他者をブロックする
→意見の相違や解釈の違いを認めたり、議論を楽しんだり、対話を通して新しい価値観に気づくこともできるのでは?
→多様性を理解すれば、一方的で偏った思想や意見を考え直すのではないか?
→世界中の人々と出会えて、同じ趣味の人とも出会える一方で、ある特定の人としか会わない(タコつぼ化)
→極端な意見や思想もちゃんと調べればそうではないと分かるようになるのでは?


【情報社会について】
・グローバル化が進んでいく中で、情報自体が変わりやすすぎる
→情報=表現だと思うが、それが目まぐるしく変わっていき、すぐ忘れて次の情報に移るといった混沌の社会になっている
→変化の速度が益々早くなっている

・マイナンバーが普及していないことや役所の縦割りなどを見ると日本の情報化の整備は遅れていると思う

・「Suica」 や「PASMO」といった交通システムのサービスは、以前からセキュリティの脆弱性が指摘されている
→ウイルスが感染すると全てのシステムに移ってしまう
→便利なシステムだがビッグデータで全部捉えられている
→利便性と危険性の両面あるということを考えないといけない



上記のような様々な意見があり、 議論が活発に行われました。

最終的な板書はコチラ↓






次回のてつがくカフェは、課題映画を観て感想を語り合う「シネマdeてつがくカフェ」となります。

課題映画は1991年に公開されたスタジオジブリの『おもひでぽろぽろ』です。

8月14日(土)22日(日)に福島市市民活動サポートセンターで行いますが、

当日は14時から課題映画の鑑賞会、

16時から映画を観た感想を語り合う「シネマdeてつがくカフェ」となります。


会場参加にあたっては、新型コロナウイルス感染症対策のため、

マスク着用の上、ご来場いただきますようお願い致します。


また、オンラインによる参加をご希望の際は、

てつがくカフェのメールアドレスまでご連絡ください。



なお、16時からの「シネマdeてつがくカフェ」のみ参加をご希望の方、

またはオンライン参加の方は、

上記の課題映画を各自鑑賞のうえ、ご参加ください。


そのほか、てつがくカフェのTwitterとFacebookもありますので、フォローしていただけると幸いです。

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それでは皆様また次回の「てつがくカフェ」でお会いしましょう。

てつがくカフェ@ふくしま報告2021.6.19. 「オリンピックを考える」

2021年06月20日 05時00分00秒 | 定例てつがくカフェ記録
6/19(土)に開催された定例てつがくカフェについて

世話人の石井が報告させていただきます。


今回も会場&オンラインの同時開催となりました。

会場には12名、オンラインでは1名の

計13名の方にご参加いただきました。









定刻通り16時から始まりましたが、

ここで今回参加いただいた方の発言の一部をご紹介いたします。

【東京オリンピックについて】
・開催には反対したい
→東京五輪の観戦に小中学生を強制参加させるなんて許せない!
→開催に踏み切る人間のエゴや欲が表面化した

・政治の嘘(安心安全な開催?)や矛盾(飲食店は酒提供NGだが、選手村は飲酒・酒持ち込みはOKなど)に不信感が募る

・日本人のメダル獲得に沸いて、これまで起きてきた五輪開催までの問題(不正招致など)を忘れてしまうのか?

【安倍元首相のアンダーコントロール発言】
・(福島県民として)「ふざけるな!」と言いたい

・福島第一原発がアンダーコントロール出来るというのであれば、新型コロナもアンダーコントロール出来るということか?

・都合のいい言葉の整合性としてこの発言を捉えている

・「3.11」のときは東北とそれ以外の地域とでは温度差があったが、今回のコロナ化ではある程度国民に一体感(五輪中止・延期)がある

・コロナによって放射線問題が風化してきているのでは?

【コロナ禍という状況での開催】
・何を持って成功とするのか?
→IOCは開催出来たら成功、政府は政権が維持出来たら成功、JOCは盛り上がったら成功、国民は日本人がメダルを取れたら成功など、立場によって変わるのでは?

・途中中止はあり得るのか?
→オリンピックだけやって、パラリンピックはやらないことは十分あり得るのでは?(「儲からない」「視聴率が取れない」などの理由で)

・戦時下の状況と似ている
戦争:権力者が戦争を扇動し、軍隊を動かし、国民を強制的に動員する
五輪:政治家が開催を扇動し、企業を動かし、国民に応援や参加、ボランティアを強制する
→バッハ会長の発言(「犠牲を払うべき」)が「安全な場所に隠れて戦争を賛美し、他人には愛国心や犠牲精神を強制して戦場に送り出す」という小説(『銀河英雄伝説』)のセリフとリンクした

・感染爆発や変異株の蔓延などオリンピックで起きたらどうするのか?
→マスコミは取捨選択するのでは?(各競技のハイライトや名シーンといった五輪のニュースとコロナの不安を煽るニュースとのバランス)

・選手が感染した場合(団体競技ではチームに感染者が出た場合)、不戦敗というルールになるのでは?
→そうした状況になった場合、果たしてそれは金メダル(世界一)に値するのか?(五輪という大会の価値に疑問)
→「コロナに勝った証」というからには感染した=負けということでは?

【オリンピックは必要か?】
・これだけの税金を投入してまでやることか?

・平和の祭典といいつつ、国威発揚や国家間の競争といった側面もある

・アスリートを利用した金儲け(資本主義の流れは止められない)

・過去五輪が戦争によって中止された=五輪が戦争に負けたという図式で捉えるなら、コロナに負けたっていいのでは?

【スポーツとは?】
・昔はオリンピック=アマチュアの大会ということだったのに、いつの間にかプロが出場するようになった(アマチュアリズムの淘汰)
→プロとアマチュアの違いとは?
→スポンサーがついているかいないかの差じゃない?

・スポーツ=良いものとされていて、また勝負事というものは注目されるため、結果政治的・商業的に利用されている(エンタメ化しやすい)

・選手の能力にはピークがあるのだから、今の4年に一度開催する方式はいかがなものか?

・「eスポーツを五輪の正式種目に!」という話には疑問
→チェスも正式種目に採用されていないのだから難しいのでは?
→そもそも「これってスポーツか?」と疑問に思う競技もある(カーリング、ビリヤードなど)


上記のような様々な意見があり、 議論が活発に行われました。

最終的な板書はコチラ↓





次回のてつがくカフェは、

7月17日(土)16時から福島市市民活動サポートセンターで行います。

テーマは「インターネットは社会をどう変えたのか?」です。


なお、会場参加にあたっては、新型コロナウイルス感染症対策のため、

マスク着用の上、ご来場いただきますようお願い致します。


また、オンラインによる参加をご希望の際は、

てつがくカフェのメールアドレスまでご連絡ください。


それでは皆様また次回の「てつがくカフェ」でお会いしましょう。

てつがくカフェ@ふくしま報告2021.5.22. 「親の呪いは解けるのか?」

2021年05月23日 00時13分35秒 | 定例てつがくカフェ記録
5/22(土)に開催された定例てつがくカフェについて

世話人の石井が報告させていただきます。


今回も会場&オンラインの同時開催となりました。

会場には15名、オンラインでは5名の

計20名の方にご参加いただきました。







前回の開催では、収音スピーカーを通して

オンラインの音声と会場の音声を繋いで対話をしようと試みましたが、

(1)マイクの音声を収音スピーカーが拾えないため会場でマイクが使えない

(2)オンラインの声が会場全体に届かない

などの問題がありました。



今回は上記の反省を活かして

スピーカーとパソコンをケーブルで繋げた結果、

会場とオンラインの対話がスムーズに行うことが出来ました。


今後もコロナの状況次第ではありますが、

基本的には会場とオンラインの同時開催方式でてつがくカフェを行ってまいります。



さて、今回参加いただいた方の発言の一部をご紹介いたします。

【親の呪いとは?】
・親からの過度な期待、親の価値観の押し付けでは?

・子どもに悪影響を与える親は存在する
→愚痴のはけ口、子どもの人生をコントロールしようとする、行き過ぎた教育(教育虐待)

・受け取る側の認識で変わる
→親の期待をきっかけに大成することもある

・大成するのはほんの一部(室伏広治、井上尚弥、イチローなど)で、全員が世界チャンピオンや金メダリストにはなれない
→勝つことや成長することを義務付けることは果たして子どもの幸せに繋がるのか?
→「どっちが勝った」「どっちが上」という考えは幸せか?

・呪いと祈りは表裏一体

・「親の呪いだ」として親のせいにしている場合もあるのでは?

【なぜ呪うのか?】
・子どもに対する「あなたのため」という言葉の疑念
→結局、親の見栄や世間体を気にした自分本位(エゴイズム)の発言では?

・対等な関係ではなく、上下関係だからこそ生じる
→子どもが成長するにつれて変えていければいいのに、見誤ったからでは?

・パターナリズム※から脱却できない
※強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援すること

・親自身(先代からの)呪いにかかっている

【呪いを解くには?】
・親以外との関係性(祖父母、叔父叔母など)を持つ
→視野を広げる

・学校教育でディスカッション・ディベートの時間を設け、多様な価値観や意見があることを学ぶ
→「哲学カフェ」の時間を設けている学校もある
→今度は「学校の呪い」にかかるのでは?
→学校教育に果たしてそこまで期待していいのか?(旭川市の女子中学生いじめ凍死事件での教育委員会や学校の対応に不信感)
→家庭と学校以外の第三の場所が必要では?
→そこは親が子どもを安心して預けられる場所なのか?

・自分から離れる(絶縁する)
→心理的に親をいないものとする

・なんとか生き延びるしかないのでは?

・過去は変えられる

上記のような様々な意見があり、 議論が活発に行われました。

最終的な板書はコチラ↓







次回のてつがくカフェは、

6月19日(土)16時から福島市市民活動サポートセンターで行います。

テーマは「オリンピックを考える」です。



なお、会場参加にあたっては、新型コロナウイルス感染症対策のため、

マスク着用の上、ご来場いただきますようお願い致します。


また、オンラインによる参加をご希望の際は、

てつがくカフェのメールアドレスまでご連絡ください。


それでは皆様また次回の「てつがくカフェ」でお会いしましょう。

てつがくカフェ@ふくしま報告2021.4.17. 「翻訳はどこまで可能か?」

2021年04月18日 08時00分00秒 | 定例てつがくカフェ記録
4/17(土)に開催された定例てつがくカフェについて

世話人の石井が報告させていただきます。

今回は初めての試みとなる会場&オンラインの同時開催となりました。

会場には14名、オンラインでは2名の

計16名の方にご参加いただきました。



会場の方には演台のパソコンの前まで来て発言していただき、

オンラインの方にはzoomを通して会場のホワイトボードを見ながら発言していただくという、

お互いの声を収音スピーカーで届けて対話を成り立たせるといった

ハイブリッドな形式でのてつがくカフェとなりました。








参加者の方の発言の一部をご紹介いたしますと

・完全に翻訳することは不可能だが、ある程度のニュアンスや思いは伝えられる

・翻訳に正解はないと思う

・「エモい」などの若者言葉は、翻訳して意味は理解できるが使いこなせない

・医学書や説明書などは完全な翻訳が求められる(誤訳が認められない)

・関西弁のフランクな敬語(~しはる)を標準語に翻訳することは難しいので妥協している

・翻訳は言葉を選ぶ作業で、(誰かに伝える以上)コミュニケーションは必要
→グーグル翻訳(AI)は、人間とコミュニケーションを取っていないでは?

・固有名詞や数学、物理学などは翻訳不要といえるのではないか

・「カワイイ」や「もったいない」などの言葉が海外に輸出され、新しい概念として広がっている
→果たして、日本人の使う意味と同義で使われているのか?

・日本は昔の言葉を知るのに古語辞典が必要など欧米に比べて、言葉の変化が激しい。

・翻訳の良しあしはどこで判断しているのか?

・歌詞や俳句や詩は翻訳するとリズム感やテンポが失われるので、どこまで原語の美しさを共有できるか疑問

など様々な意見があり、 議論が活発に行われました。






さて、今回の開催では

会場とオンラインを繋げて対話するという

初めての試みを行いましたが、

参加された皆様には色々とご不便をおかけしたことかと存じます。



しかし次回につきましても、

今回の反省を踏まえた上で

会場参加とオンライン参加のハイブリッド形式で

てつがくカフェを開催したいと思います。



設備と予算と会場の都合上、出来ることは限られてはおりますが、

様々な方に対話の空間を提供できるよう今後も努めて参ります。



次回のてつがくカフェは、

5月22日(土)16時から福島市市民活動サポートセンターで行います。


なお会場参加にあたっては、新型コロナウイルス感染症の感染対策のため、

マスク着用の上、ご来場いただきますようお願い致します。


テーマは「親の呪いは解けるのか?」です。

それでは皆様また次回の「てつがくカフェ」でお会いしましょう。

てつがくカフェ@ふくしま報告2020.12.19. 「これからの図書館をどう作ったらいいか?」

2020年12月20日 03時28分14秒 | 定例てつがくカフェ記録
12月19日(土)福島県立図書館で開催された

定例てつがくカフェについて世話人の石井が報告させていただきます。



【雪で白く覆われた福島県立図書館】


今回は「これからの図書館をどう作ったらいいか?」というテーマで、

雪が降り積もる中、19名もの方にご参加頂きました。






いつもより早めの15時からのスタートとなりましたが、

まず「図書館」という言葉の定義から入りました。

それから図書館におけるニーズとサービスについて、

また交流や勉強の「場」としての図書館についての話から、

市民に必要とされる図書館を作るにはどうすればいいのかといった問題提起に、

図書館と民主主義の関係にいたるまで

様々な意見が出されて、 議論が活発に行われました。





最終的な板書はコチラ








さて、次回は1月23日(土)にシネマdeてつがくカフェを行います。

課題映画は2016年公開のアニメ映画『この世界の片隅に』です。

場所は福島市市民活動サポートセンターで

14時から映画鑑賞会を行い、その後16時から課題映画について皆様と語り合いたいと思います。

それでは皆様よいお年をお迎えください。


てつがくカフェ@ふくしま報告2020.11.21.「責任とは何か?」

2020年11月22日 00時00分00秒 | 定例てつがくカフェ記録
11月21日(土)福島市市民活動サポートセンターで開催された

定例てつがくカフェについて世話人の石井が報告をさせていただきます。

今回は「責任とは何か?」というテーマで14名の方にご参加頂きました。






まず、「責任」の対義語は何かという疑問から対話が始まりました。

そこから「責任をとる」=罰をうける・マイナスのイメージであるという認識の話や、

辞職することは「責任をとった」ことになるのかという責任論や、

「責任」はいつ(何歳)から発生するのかという話から、

2000年代以降、新自由主義的政策の進展を背景に「自己責任」という言葉が世の中に浸透したこと、

部活動における「連帯責任」や、コロナ対策の「政府の責任」の話にまで広がって話し合いました。

最終的な板書はこちら↓






さて、次回のてつがくカフェですが、

12月19日(土)15時から福島県立図書館の第一研修室(3F)で開催いたします。

テーマは「これからの図書館をどう作ったらいいか?」です。

場所と時間帯がいつもと違いますので、お間違いないようにお越しくださいませ。
(図書館の駐車場も無料で利用できます)


また、年明け以降のスケジュールにつきましてもお知らせいたします。
(日付/時間/場所/「テーマ」)

・1月23日(土)/16:00~/福島市市民活動サポートセンター/「未定」

・2月20日(土)/16:00~/福島市市民活動サポートセンター/「未定」

・3月13日(土)/午後予定/福島市市民活動サポートセンター/「3.11特別編」


それでは皆様また次の「てつがくカフェ」でお会いしましょう。

てつがくカフェ@ふくしま報告2020.10.17.「安倍長期政権は日本に何をもたらしたか?」

2020年10月18日 22時20分20秒 | 定例てつがくカフェ記録
10月17日(土)福島市市民活動サポートセンターで開催された

定例てつがくカフェについて世話人の石井が報告をさせていただきます。

今回は「安倍長期政権は日本に何をもたらしたか?」というテーマで

17名の方にご参加頂きました。





「海外と比べると長期政権と呼べるのか?」といったところから始まり

「若い世代にとっては基準となる」という意見から

日本にもたらしたものや海外への影響、

教育政策や経済政策の検証の必要性や辞め方まで、

多方面にわたって話し合いました。







さてここでひとつイベントの告知をさせていただきます。

10月23日(金)18:00から福島市アクティブシニアセンター・アオウゼ(A・O・Z)にて

「はじめてのてつがくカフェ in A・O・Z」を開催いたします。

このイベントはてつがくカフェについて

「なんだか難しそう」「敷居が高そう」「常連さんばかりだと緊張しそう」といった理由で

参加するのをためらっている方のため

言い換えると、今までてつがくカフェに参加されたことのない方を対象に行うイベントです。

参加者全員がまったくの「てつがくカフェ初心者」として対話を行いますので、

お知り合いの方でこれまでてつがくカフェに参加することを

躊躇されていた方などがいればぜひご紹介いただければ幸いです。

なお参加される方は10月21日(水)までにお申し込みください。

詳しくは下記のURLをご参照ください。

参照URL:https://f-aoz.jp/archives/3847



最後となりますが、定例のてつがくカフェとしては

次回は11月21日(土)16時から福島市市民活動サポートセンターで開催いたします。

皆様健康にお気をつけてお越しくださいませ。

テーマは「責任とは何か?」です。

それでは皆様また次の「てつがくカフェ」でお会いしましょう。

てつがくカフェ@ふくしま報告2020.9.19.「死んだらどうなるのか?」

2020年09月20日 12時18分19秒 | 定例てつがくカフェ記録
9月19日(土)福島市市民活動サポートセンターで開催された

定例てつがくカフェについて世話人の石井が報告をさせていただきます。

今回のテーマは「死んだらどうなるのか?」というテーマで

15名の方にご参加頂きました。





話し合いはまず「死後の世界はあるのか?」というところから始まりました。

キリスト教や仏教など、あらゆる宗教で「死後の世界」が語られておりますが

それを信じるか?信じないか?という話から

非物質的な存在、いわゆる目には見えないもの(霊や魂など)の存在の有無に

前世の記憶(出生前記憶)のエピソードや

臨死体験は現実体験であるのか?それとも脳内現象なのか?

死後の世界から意識が戻ってくるという臨死体験は厳密には「死」と言えないのでは?という話から、

意識(心)とは何か?

そして「脳死」といった医療における死の定義(基準)の問題や、

身近な人の「死」に立ち会った際の体験など

1年前に行った「死は悪か?」というテーマとはまた違った角度から様々な対話が交わされました。






さて次回は10月17日(土)16時から福島市市民活動サポートセンターで開催いたします。

皆様健康にお気をつけてお越しくださいませ。

次回のテーマは「安倍長期政権は日本に何をもたらしたか?」です。

それでは皆様また来月の「てつがくカフェ」でお会いしましょう。

てつがくカフェ@ふくしま報告2020.8.22.「嫁と姑は仲良くできるのか?」

2020年08月23日 08時00分00秒 | 定例てつがくカフェ記録
8月22日(土)福島市市民活動サポートセンターで開催された

定例てつがくカフェについて世話人の石井が報告をさせていただきます。

今回はコロナで延期されていたテーマ「嫁と姑は仲良くできるのか?」で開催し、

6名の方にご参加頂きました。



今回も開催するにあたって

てつがくカフェ@ふくしまの場が

新型コロナウィルスの感染経路となることがないよう、

ソーシャルディスタンスを守り、

マスク着用、手袋着用、マイクを使っての発言等

【「てつがくカフェ@ふくしま」当面の開催方針】を守りながらの開催となりました。

ご参加いただいた皆様ご協力ありがとうございました。


定刻通り16:00にスタート。






今回参加者がすべて「男性」になってしまったのが、

少しもったいなかったかなという印象でしたが、

嫁姑問題はなぜ起きるのかといった原因や、

問題が起きた際の解決法や相手の家族との向き合い方など

様々な角度から議論することが出来ました。







さて次回は9月19日(土)16時から福島市市民活動サポートセンターで開催いたします。

皆様健康にお気をつけてお越しくださいませ。

テーマは「死んだらどうなるのか?」です。

それでは皆様また来月の「てつがくカフェ」でお会いしましょう。


てつがくカフェ@ふくしま報告2020.7.18.「時事問題を考える-2020上半期-」

2020年07月19日 07時00分00秒 | 定例てつがくカフェ記録
7月18日(土)福島市市民活動サポートセンターで開催された

定例てつがくカフェについて世話人の石井が報告をさせていただきます。

今回は2月以来となる会場で行うてつがくカフェとなりました。

「時事問題を考える-2020上半期-」というテーマで、12名の方にご参加頂きました。



まず開催するにあたって

てつがくカフェ@ふくしまの場が

新型コロナウィルスの感染経路となることがないよう、

ソーシャルディスタンスを守り、

マスク着用、手袋着用、マイクを使っての発言等

【「てつがくカフェ@ふくしま」当面の開催方針】を守りながらの開催となりました。

ご参加いただいた皆様ご協力ありがとうございました。





定刻通り16:00にスタート。

今回のファシリテーター(進行役)は世話人の石井が務めさせて頂きました。


テーマ的に新型コロナウィルスの話題が中心になるかと思っておりましたが

教育、経済、スポーツ、政治と多岐にわたる時事問題について語り合うことになりました。

とくに教育については、

広島市で起きた大雨洪水警報の最中に教師が児童50人連れ増水河川を見学したニュースから

リモートによる教育効果の問題、

都立高校の校則で“ツーブロック禁止”が波紋呼んだいわゆるブラック校則について話し合いました。






さて今回「時事問題」をテーマに設定した理由としましては、

「時事問題を自分事として考えてもらいたい」という私の想いがありました。


貧困、少子高齢化、人口の減少、年金制度の崩壊、ハラスメント、自殺、老老介護・認認介護、LGBT、待機児童など

現在日本が抱える問題はいくつもあります。

それらの問題を自分には関係ないといって切り離すことは簡単です。

しかし、切り離したところで問題は解決しません。



そして、切り離された場所にはその問題に直面している人たちがいます。

その人たちを「見なかった(いなかった)こと」にする人もいれば

「テレビを観る」みたいに安全な席から見物する人や

「自分には関係ない」「自分には起こらない」という人もいるでしょう。



ですが、いつまでも安心安全に

自分だけがそれらの問題にかかわらずに生きていくことは

はたして可能なのでしょうか?



『ダラス・バイヤーズクラブ』という映画をご存知でしょうか?

実在のカウボーイの半生を映画化した人間ドラマで

アメリカで最も保守的と言われるテキサス州生まれのロンは、

酒と女を愛し、ドラッグやギャンブルに溺れる日々を送っていました。

しかし、ある日突然せき込み、めまいに襲われて病院に運び込まれると

「HIV感染、余命一ヶ月」を医師から宣告されます。

「同性愛者でない自分がかかるはずがない」と医師の言葉を否定するロンですが、

それが根拠のない噂であることを

エイズについて自身で調べていくうちに理解していきます。

エイズに対する偏見を持ち、同性愛者を毛嫌いしてきた主人公ですが、

残された時間の中でエイズに対抗する薬を見つけるため猛勉強し、

トランスジェンダーでエイズを患うレイヨンをビジネスパートナーとして、

エイズに効果のある国内未承認の薬を販売する「ダラス・バイヤーズクラブ」を設立します。


毛嫌いしていた同性愛者の人々を救い、

効果のある薬を認めない政府や医療機関と戦う姿には胸を熱くさせられます。


この映画で主人公のロンは

エイズとなったことで同僚から

同性愛者だとからかわれ、職場内で孤立していきます。



排他的な集団の中で生きてきたロンが、

ある日突然集団から排除されたことで

自身の所属していたコミュニティが

無知と偏見にまみれていたことを知るわけです。



現実でも、問題の当事者に対して

「不幸なヤツ」「自己責任だろ」「甘えだ、甘え」と言って

彼らの話も聞かず、理解することも出来ずに追い詰める人もいます。



苦悩している人たちに対して

あまりに短絡的で誠意のない言葉です。



ここで考えてしまうのは、

追い詰められ居場所を失ってしまった人たちは

一体どこに行けばいいのか?

そして、

追い詰めていた人がいざ排除される側にまわったとき

はたして受け入れてくれる場所はあるのか?

ということです。



前述したように

世の中にはすぐにでも解決しなければならない問題があります。



それらの問題を

「他人事」ではなく「自分事」にすること

「なかった」ことではなく「向き合う」こと

「排除」するのではなく「対話」することが

これからの時代には必要なことではないでしょうか?



最後になりますが、

来月は8月22日(土)16時から福島市市民活動サポートセンターで開催いたします。

皆様健康にお気をつけてお越しくださいませ。

テーマは「嫁と姑は仲良くできるのか?」です。

それでは皆様また来月の「てつがくカフェ」でお会いしましょう。


てつがくカフェ@ふくしま報告2020.2.15.「日本は近隣諸国とどう付き合うべきか?」

2020年02月16日 08時00分00秒 | 定例てつがくカフェ記録
2月15日(土)福島市市民活動サポートセンターで開催された
定例てつがくカフェについて
世話人の石井が報告をさせていただきます。

今回は「日本は近隣諸国とどう付き合うべきか?」という
人を選ぶテーマであるにもかかわらず、28名の参加者に恵まれました。

本日も定刻通り16:00にスタートしました。
ファシリテーター(進行役)から「対話のルール」について説明を受けてから開始されます。


「対話のルール」についての詳細は本ブログの左側にあるカテゴリーの
【てつがくカフェの趣旨・ルール】をご覧いただければと思います。

ざっくりと解説すると「てつがくカフェ」では
参加者同士で自由な意見を出せるように
「どんな意見を言ってもいい」
「人の話はさえぎらずに最後まで聞く」
「人の意見に反論してもよいが相手の人格を否定してはいけない」
といったいくつかのルールを設けており、その中で参加者同士で対話を重ねていきます。

なお発言を強要されることもないので、飲み物を片手に人の意見を聞いて自分の頭の中で考えるといった参加の仕方もあります。

今回は、「近隣諸国とはどの国までを指すのか?」「アメリカも実は近隣と言えるのではないか?」といった意見から
ロシアや中国、韓国との領土問題から原発の汚染水問題に日中韓の歴史教育問題、
さらにアメリカとカナダとの関係やイギリスの欧州連合離脱(ブリクジット)の問題に、
ペリーの黒船から映画『パラサイト 半地下の家族』まで多岐にわたって語り合いました。













そして、定刻通り18時で終了。
最終的な板書はこちら↓


ご参加いただいた皆様どうもありがとうございました。

また、恒例のサイゼリヤで行う懇親会にも13名の方にご参加いただきました。


ここで事務連絡ですが、これまでポスターを掲示いただいておりました福島駅から諸事情により
コラッセふくしま1階のふくしま情報ステーションにポスターの掲示を移ることとなりました。

そのほか、「こくちーずプロ」というイベント情報サイトに
「てつがくカフェ」の3月と4月のイベント情報を掲載いたしましたので、
こちらもご覧いただければ幸いです。

【3月のてつがくカフェ】
https://www.kokuchpro.com/event/12e4a2db6e45b39ae1cd7b60e1d05470/

【4月のてつがくカフェ】
https://www.kokuchpro.com/event/bd8a4271f9d03236bc30c629b3e8fd87/

最後になりますが、
来月は3月7日(土)13時から福島市市民活動サポートセンターで
「てつがくカフェ@ふくしま特別編2020」を開催いたします。
いつもより早い時間帯での開催となりますので、お気をつけてお越しくださいませ。
テーマは「哲学対話と教育復興」です。
2部形式で1部がシンポジウム、2部が哲学カフェとなります。

それでは皆様また来月の「てつがくカフェ」でお会いしましょう。


てつがくカフェ@ふくしま報告2020.1.18.「人気とは何か?」

2020年01月19日 00時07分42秒 | 定例てつがくカフェ記録
年明け最初のてつがくカフェの報告です。
先月から引き続き、世話人の石井が1月の報告をさせていただきます。

本日の会場も福島駅から徒歩10分の場所にある
チェンバおおまちビル3階の福島市市民活動サポートセンターです。

まず会場について軽く説明いたしますと
チェンバおおまちビル3階が全てサポートセンターのフロアとなっております。


【交流広場①】

部屋は全部で5つありますが、今回使用するのは一番大きな部屋の「多目的ホール」です。
会議や講演会の他にも、ダンスや演劇等の利用もできます。


【多目的ホール】

また、火曜は休館日となっておりますが、
平日は勿論、土日祝日関係なく朝9時から夜9時まで営業しております。

会議室以外にも「交流広場」と呼ばれるスペースでは
自由に机や椅子を使用できますし、冷暖房も完備しておりますので
静かで空調の効いた空間で、火曜以外いつでも開放されているため、
中高生の勉強場所として穴場のスポットとなっております。


【交流広場②】

なお、ゴミ箱はありませんのでゴミは各自お持ち帰りください。
利用料金も大変リーズナブルなので、駅から近くの会議室をお探しの方は是非ご検討のほど。

さて、前回の報告では紹介しておりませんでしたが、
てつがくカフェ@ふくしまは参加費も無料ですが珈琲も無料で提供しております。
また、珈琲が苦手という方にも紅茶や緑茶もご用意しております。


【飲み物を提供してくれる世話人の杉岡さん】

今回も定刻通り16:00に始まりました。



開幕に対話のルールとマイクの使用について説明しております。

今回マイクを使用する理由として、広い会場ですと音が反響してしまう点や、
遠くにいる参加者の発言が聞き取りにくいといった点を考慮して、
発言する際は手を挙げ、マイクを渡されてから話すこととなりました。

そして、いよいよてつがくカフェスタートです。













定刻通り18時で終了。

最終的に板書した内容がコチラ↓


【ホワイトボード①】

【ホワイトボード②】

本日の参加者は17名でした。
ご参加いただいた皆様どうもありがとうございました。

さて、話は変わりますが、ここでてつがくカフェの広報活動の報告もさせていただきます。
今月に入ってから、たくさんのメディアに取り上げて頂きました。

〜掲載・広報メディア様一覧〜
FMポコ:1/3(金)17:45放送「ふくしま情報ステーションだより」【http://www.fm-poco.co.jp/】

ふくしまニュースリリース:1/10(金)サイト掲載【https://www.news-r.jp/】

リビング福島:1/15(水)発行「イベントinformation」掲載【http://www.f-living.co.jp/】

福島民報 情報ナビTime:1/16(木)発行「みんぽうおでかけナビ」掲載【https://www.minpo.jp/pub/topics/time】

(日付順)

イベントをご紹介いただきました皆様にこの場を借りて、改めて感謝申し上げます。
引き続き、てつがくカフェ@ふくしまを見守っていただけますと幸いでございます。

そして、てつがくカフェ後の懇親会。
懇親会の参加者が少なかったこともあり今回は福島ワイン酒場などで行いました。

また懇親会では毎回てつがくカフェで扱って欲しい
テーマについてお聞きしておりますが、
今回も下記にまとめてみました。

・祭りについて
・携帯電話について
・アイドルの変遷について
・選択の自由を考える
・兄弟(姉妹)は仲良くできるのか?
・福島県とはどんな県か?
・本deてつがくカフェ~山田玲司著『年上の義務』~

ご提案頂いた皆様には重ねてお礼申し上げます。

そのほか、懇親会の場以外でもテーマについては随時募集しておりますので、
扱って欲しいテーマがある方は世話人までどうぞお気軽にご提案ください。

最後になりますが、
来月は2月15日(土)16時から福島市市民活動サポートセンターで
「日本は近隣諸国とどう付き合うべきか?」について語り合います。

また、来月のイベント情報については既に本ブログにて掲載しておりますが、
ブログ以外でも新聞・HPおよびラジオでの掲載・放送を予定しています。
掲載・放送予定日は下記のとおりです。

ももりんく:絶賛掲載中【http://www.i-fukushima.jp/event/?p=23397】

三宅新聞:1/30(木)イベント情報誌「三宅新聞店情報ステーション」掲載予定

FMポコ:1/31(金)17:45放送予定

ふくしまニュースリリース:2/1(土)掲載予定

福島民報 情報ナビTime:2/13(木)掲載予定

以上となります。
それでは皆様また来月のてつがくカフェでお会いしましょう。

てつがくカフェ@ふくしま報告2019.12.21.「持続可能な発展はありうるのか?」

2019年12月22日 11時39分47秒 | 定例てつがくカフェ記録
12月のてつがくカフェの報告です。

今回から世話人の石井がてつがくカフェの報告をさせていただきます。

本日の会場は福島駅から徒歩10分の場所にある
チェンバおおまちビル3階の福島市市民活動サポートセンターです。


【南側入口(県庁側)のチェンバおおまちビル外観】

【南側入口に本日のポスターが掲示】


【北側入口(東邦銀行本店側)のチェンバおおまちビル外観】

【北側入口から入ってすぐに来月(1月)のポスターが掲示】

3階に上がって、本日の会場であるB-1会議室に到着。
会場の廊下にも来月(1月)のポスターが掲示されておりました。



また、会場では先日完成したパンフレットも配架されておりました。
もし、「今回は参加できなかったけど、てつがくカフェのパンフレットが欲しい!来月の開催まで待てない!」
という奇特な…失礼、コアなてつがくカフェファンの方がおりましたらサポートセンターまでお越しください。



さて、てつがくカフェビギナーの皆様へご説明させていただきますが
会場内の席につきましては、ホワイトボード前の座席(ファシリテーター席)以外は
自由席となっておりますので定刻までお座りになってお待ちください。



定刻通り16時から始まりました。



ファシリテーターからパンフレット作成の報告と対話のルールについて説明。



皆様に手に取って頂けてパンフレットを作った甲斐がありました。
お知り合いの方にお配りいただけたら幸いです。

そして、いよいよてつがくカフェスタートです。







定刻通り18時で終了。
最終的に板書した内容がコチラ↓



本日の参加者は21名でした。
ご参加いただいた皆様どうもありがとうございました。

そして、てつがくカフェ後の懇親会。
場所は福島駅東口のサイゼリヤで参加者は9名でした。


【サイゼリヤで行われた懇親会の様子】

また懇親会では毎回てつがくカフェで扱って欲しい
テーマについてお聞きしておりますが、
今回も数多くのテーマを挙げていただきましたので、まとめてみました。

・ボランティアとは?
・放っておいても人類はいい方向に行くのか?
・死後の世界について
・自死(自殺)について
・死刑について
・良いことと悪いこととは?
・翻訳は出来るのか?
・エネルギー問題について
・合意とは何か?
・ケア労働について
・嫁姑問題
・芸術に公費投入は必要か?
・公務員は必要か?
・責任とは何か?
・図書館について
・やったことのない人間は批評してはいけないのか?(「○○したことない癖に」問題)

ご提案頂いた皆様には重ねてお礼申し上げます。
なお、2020年3月まで既にテーマは決まっておりますので、
採用されるとしても2020年4月以降の回となります。ご了承ください。

そのほか、懇親会の場以外でもテーマについては随時募集しておりますので、
扱って欲しいテーマがある方は世話人までどうぞお気軽にご提案ください。

最後になりますが、
来月は1月18日(土)16時から福島市市民活動サポートセンターで「人気とは何か?」について語り合います。
それでは皆様良いお年を。