7/17(土)に開催された定例てつがくカフェについて
世話人の石井が報告させていただきます。
今回も会場&オンラインの同時開催となりました。
真夏日の中、会場には8名、オンラインでは4名の
計12名の方にご参加いただきました。
定刻通り16時から始まりました。
ここで今回参加いただいた方の発言の一部をご紹介いたします。
【社会の変化について】
・何でも調べられるようになったことで百科事典は売れなくなったが、(その結果)網羅的な知識は得にくくなり、(事件やニュースなどの)全体像をとらえるのが難しくなった
→百科事典は今や紙媒体では買い取ってくれないし、昔の動かない決定された事項を啓蒙する役割からオンライン百科事典やウィキペディアなど日々アップデートしているため知識のあり方も変わってきた
→質・内容に関して全部変わったというのがインターネット社会の一面だと思う
・ブログで紹介されたインターネットの普及率をみると、自分はスマホも持ってないという少数派の一人になっていた
→日本国民の多数がインターネットを頼っているといえる
→「直接性」というか、(社会の変化として)コロナの関係もあるのか、人と人との関係が薄くなっている気がする
・(インターネットが普及したころの)初期は、性善説に基づいて条約・議定書が作られたが、「トロイの木馬」などのウイルスが登場するなど、(ネットの世界が)自然と性悪説となって安寧に通信を共有できない時代になった
・自分はネットもしないし、なくても生活に支障もないので、インターネットが登場する前の時代(1995年以前)に戻れないか?と思ってしまう(最近疲れてしまった)
→制御が効かない状態ではないかと、心配することが多い
→反対の意見として、もはやインターネットのない時代(1995年以前)には戻れないと思う
→ネットでお手軽に調べられて楽だし、あると便利な状況なのでついつい生活の要所要所で使ってしまっている
・コロナは大学にとっても大パニックで、大学は一時閉鎖するなど危機的な状況だったがネット環境のおかげで講義は続けられた
→Zoomでの講義や会議が当たり前になってしまったので、コロナ以降はネットのない時代にはもはや戻れないのでは?
・チャットやアプリなどハンドルネームしか分からない相手と交流するといった、実生活(リアル)の接点がない交友関係を持てるようになった
・昔は権力の側は、市民が何を考えているのか調べようとし、それを市民の側が阻止する動きだったが、今は個人が自分のプライベートを(SNSなどに)載せる時代となった
→簡単に個人が特定でき、むしろ自主的に広めようとしている時代になって、社会全体で見た時に昔と比べた時に公私の関係性が逆転した
→個人が情報を開示する動きは、昔から変わっていないのでは?
→昔から井戸端会議をしているし、情報を伝達する技術が進歩(拡大)しているだけでは?
→反対の意見として、井戸端会議とインターネットは決定的に違うと思う
→SNSなどで情報はあっという間に世界に広がるのに対し、井戸端会議は半径三メートルの世界での情報の共有で根本的に違うように感じる
・経済状況から、食べていくためにYouTuberの中でも違法行為で動画の再生数(広告料)を稼ぐ人も出てきた
→インターネットの時代になってYouTuberなど新しい職業が出てきて、今や子どものなりたい職業ランキングでも上位となっている
→(ライブ配信だけで生活する)「ライバー」と呼ばれる職業もあり、視聴者からの投げ銭システムで収入を得るなど自身のタレント性でお金を稼げる時代
→昔はテレビタレントでなければできなかったことが、自宅で手軽に出来る(一般の人が自身のタレント性を活かして収入を得られる)
→インターネットで新たな職業が生まれることは、産業革命に匹敵するような出来事だと思う
→社会構造が変わってしまったので、生まれる職業もあれば廃れる職業も出てくる
・ドローンを使って人を殺すようになるなど軍事面におけるコンピューターの活用は目覚ましいが、国家という縛りの中で殺人を犯すというのは、よく考えるととんでもない話
→技術は無法で、どんどん移っていく(伝播する)ため、将来的に人類は破滅に近づいていくのでは?と危惧している
→「AI(人工知能)の戦争」も資源とエネルギーの限界があるため、最後は人間の良心にかかってくるのでは?
【エリック・シュミットの格言について】
・ポスターにも記載されていたエリック・シュミット(Googleの元CEO)の格言を見るに、(インターネットが無政府主義になることを)やはり意識していたんだなと思う
→インターネットには法廷や裁判所がないなど疑似的な社会を構成する国民国家の権力がないので、色んな使い方が出来てしまう(SNSを使っていた香港のデモなどの事例)
・インターネット社会は無政府主義的に見えるが、中国やミャンマーを見ているとむしろ逆に思える
→国がインターネットを遮断してしまっているし、技術としては電波・無線を使っている限り、国家なしにインターネットを活用できないのが現状
→ビッグデータの前提として、個人情報を登録しないと利用できない
→GAFA(「Google」「Apple」「Facebook」「Amazon」の米国のIT企業4社)は、個人情報を利用して儲けている
・「無政府主義の壮大な実験」というが、人間は無政府主義に耐えられるのかが疑問
→社会的な生き物として統一や関わりを上手く維持するには、決まりごとや約束が必要で無政府状態ではいつまでも続けられない
→無政府主義だとインターネット自体動かないのでは?勝手に個人でどうこう動けるというものではないのでは?
・格言については正しいと思っている
→世界には6000を超える言語があり、共通の意思疎通が必要
→無政府主義というよりも、20世紀初頭にあった空想社会主義に向かっていくのでは?
→一旦カオスを経験して、それから阿吽の呼吸の境が出来上がるといったこれからの変わっていく社会とのせめぎ合いがあるのでは?
【検索システムとしてのインターネット】
・かつてインターネットは検索システムであり、GoogleなのかYahoo!なのかどこが勝つのか?またどうやって儲けるのか?と考えていたが、彼らのやりたかったことは端的に言えば世界征服だったのではないかと思う
→世界中の情報(知識)を集め、巨大な組織が世界中に根を張る今の現状はまさに仮面ライダーなどに登場する悪の組織(ショッカー)のよう
・検索機能は、一方で個人情報を得るためのサービスであり、利益に結び付く業界がインターネットに力を入れている
【インターネットの危険性について】
・オバマ元大統領がトランプ前大統領を罵るといった「フェイク動画」などは、信じたい人は信じてしまう
→何がほんとで何が嘘かを調べる意識が必要
→一般市民ベースで何が正しいか調べる動きもあるが、インターネットが登場してやっと生まれた
・ネットの嘘の情報については、トランプ前大統領やウクライナの政府などが利用していたことを思えば、インターネットの影響は大きいといえる
→嘘のツイートをすると、あっという間に広まって消すことが出来ない
→個人では想像ができないほど世界が広がっている
→リテラシーのない人や悪用しようと思えば容易に出来る
・(Facebookなど)「いいね」の数が何件かで喜ぶ様子を見ると、人間は単純化していって、そのうちインターネットが人間を征服してしまうのでは?と思うことがある
・ネットサーフィンに関する論文の中で、1日10時間行ったという実験の結果、薬物中毒と同じ症状(攻撃的・興奮状態)がみられ、脳にも悪影響があると記されていた
・インターネットの登場で、人間の本質が変わってしまったのではないか?
→ホモサピエンス2.0ともいえる人類の誕生では?
→ただすべての人間が変わる訳ではなく、旧人類(古い人間)は淘汰されると思う
・ファクトとフェイクの関係についていえば、もっと事実とは何なのか?嘘とは何なのか?きちっと意識しないといけない
→情報量が多いと嘘もほんとになる恐ろしさがある
・インターネット社会はトライ&エラー
→ピースサインの写真から指紋が盗まれ悪用されるなど、痛い目を見て気づく
→自己と他者の位置づけを測る時代
→未分化(まだ分かれて発展するまでに至っていない)で不安定さを抱えながら、意思を共有していく
→常に危うさを抱えているため、一度立ち止まらないと難しい
・パソコンなどに使用されているリチウム電池は再利用できない
→将来にわたってインターネットを使用するにあたり、どのようにエネルギーを確保していくのか?
→あやふやで不安定な今のエネルギー事情を理解すべき(いつかは尽きるエネルギー枯渇問題)
→次のハードウェアにどう移行できるのか?(紙に戻らざるを得ない時が来る)
・単純で極端な意見や思想が盛り上がるなどSNSでは二元論と感情論が目立つ
→仲間内で徒党を組み、意見の異なる他者をブロックする
→意見の相違や解釈の違いを認めたり、議論を楽しんだり、対話を通して新しい価値観に気づくこともできるのでは?
→多様性を理解すれば、一方的で偏った思想や意見を考え直すのではないか?
→世界中の人々と出会えて、同じ趣味の人とも出会える一方で、ある特定の人としか会わない(タコつぼ化)
→極端な意見や思想もちゃんと調べればそうではないと分かるようになるのでは?
【情報社会について】
・グローバル化が進んでいく中で、情報自体が変わりやすすぎる
→情報=表現だと思うが、それが目まぐるしく変わっていき、すぐ忘れて次の情報に移るといった混沌の社会になっている
→変化の速度が益々早くなっている
・マイナンバーが普及していないことや役所の縦割りなどを見ると日本の情報化の整備は遅れていると思う
・「Suica」 や「PASMO」といった交通システムのサービスは、以前からセキュリティの脆弱性が指摘されている
→ウイルスが感染すると全てのシステムに移ってしまう
→便利なシステムだがビッグデータで全部捉えられている
→利便性と危険性の両面あるということを考えないといけない
上記のような様々な意見があり、 議論が活発に行われました。
最終的な板書はコチラ↓
次回のてつがくカフェは、課題映画を観て感想を語り合う「シネマdeてつがくカフェ」となります。
課題映画は1991年に公開されたスタジオジブリの『おもひでぽろぽろ』です。
8月14日(土)22日(日)に福島市市民活動サポートセンターで行いますが、
当日は14時から課題映画の鑑賞会、
16時から映画を観た感想を語り合う「シネマdeてつがくカフェ」となります。
会場参加にあたっては、新型コロナウイルス感染症対策のため、
マスク着用の上、ご来場いただきますようお願い致します。
また、オンラインによる参加をご希望の際は、
てつがくカフェのメールアドレスまでご連絡ください。
なお、16時からの「シネマdeてつがくカフェ」のみ参加をご希望の方、
またはオンライン参加の方は、
上記の課題映画を各自鑑賞のうえ、ご参加ください。
そのほか、てつがくカフェのTwitterとFacebookもありますので、フォローしていただけると幸いです。
▶てつがくカフェ@ふくしま Twitter
▶てつがくカフェ@ふくしま Facebook
それでは皆様また次回の「てつがくカフェ」でお会いしましょう。
世話人の石井が報告させていただきます。
今回も会場&オンラインの同時開催となりました。
真夏日の中、会場には8名、オンラインでは4名の
計12名の方にご参加いただきました。
定刻通り16時から始まりました。
ここで今回参加いただいた方の発言の一部をご紹介いたします。
【社会の変化について】
・何でも調べられるようになったことで百科事典は売れなくなったが、(その結果)網羅的な知識は得にくくなり、(事件やニュースなどの)全体像をとらえるのが難しくなった
→百科事典は今や紙媒体では買い取ってくれないし、昔の動かない決定された事項を啓蒙する役割からオンライン百科事典やウィキペディアなど日々アップデートしているため知識のあり方も変わってきた
→質・内容に関して全部変わったというのがインターネット社会の一面だと思う
・ブログで紹介されたインターネットの普及率をみると、自分はスマホも持ってないという少数派の一人になっていた
→日本国民の多数がインターネットを頼っているといえる
→「直接性」というか、(社会の変化として)コロナの関係もあるのか、人と人との関係が薄くなっている気がする
・(インターネットが普及したころの)初期は、性善説に基づいて条約・議定書が作られたが、「トロイの木馬」などのウイルスが登場するなど、(ネットの世界が)自然と性悪説となって安寧に通信を共有できない時代になった
・自分はネットもしないし、なくても生活に支障もないので、インターネットが登場する前の時代(1995年以前)に戻れないか?と思ってしまう(最近疲れてしまった)
→制御が効かない状態ではないかと、心配することが多い
→反対の意見として、もはやインターネットのない時代(1995年以前)には戻れないと思う
→ネットでお手軽に調べられて楽だし、あると便利な状況なのでついつい生活の要所要所で使ってしまっている
・コロナは大学にとっても大パニックで、大学は一時閉鎖するなど危機的な状況だったがネット環境のおかげで講義は続けられた
→Zoomでの講義や会議が当たり前になってしまったので、コロナ以降はネットのない時代にはもはや戻れないのでは?
・チャットやアプリなどハンドルネームしか分からない相手と交流するといった、実生活(リアル)の接点がない交友関係を持てるようになった
・昔は権力の側は、市民が何を考えているのか調べようとし、それを市民の側が阻止する動きだったが、今は個人が自分のプライベートを(SNSなどに)載せる時代となった
→簡単に個人が特定でき、むしろ自主的に広めようとしている時代になって、社会全体で見た時に昔と比べた時に公私の関係性が逆転した
→個人が情報を開示する動きは、昔から変わっていないのでは?
→昔から井戸端会議をしているし、情報を伝達する技術が進歩(拡大)しているだけでは?
→反対の意見として、井戸端会議とインターネットは決定的に違うと思う
→SNSなどで情報はあっという間に世界に広がるのに対し、井戸端会議は半径三メートルの世界での情報の共有で根本的に違うように感じる
・経済状況から、食べていくためにYouTuberの中でも違法行為で動画の再生数(広告料)を稼ぐ人も出てきた
→インターネットの時代になってYouTuberなど新しい職業が出てきて、今や子どものなりたい職業ランキングでも上位となっている
→(ライブ配信だけで生活する)「ライバー」と呼ばれる職業もあり、視聴者からの投げ銭システムで収入を得るなど自身のタレント性でお金を稼げる時代
→昔はテレビタレントでなければできなかったことが、自宅で手軽に出来る(一般の人が自身のタレント性を活かして収入を得られる)
→インターネットで新たな職業が生まれることは、産業革命に匹敵するような出来事だと思う
→社会構造が変わってしまったので、生まれる職業もあれば廃れる職業も出てくる
・ドローンを使って人を殺すようになるなど軍事面におけるコンピューターの活用は目覚ましいが、国家という縛りの中で殺人を犯すというのは、よく考えるととんでもない話
→技術は無法で、どんどん移っていく(伝播する)ため、将来的に人類は破滅に近づいていくのでは?と危惧している
→「AI(人工知能)の戦争」も資源とエネルギーの限界があるため、最後は人間の良心にかかってくるのでは?
【エリック・シュミットの格言について】
・ポスターにも記載されていたエリック・シュミット(Googleの元CEO)の格言を見るに、(インターネットが無政府主義になることを)やはり意識していたんだなと思う
→インターネットには法廷や裁判所がないなど疑似的な社会を構成する国民国家の権力がないので、色んな使い方が出来てしまう(SNSを使っていた香港のデモなどの事例)
・インターネット社会は無政府主義的に見えるが、中国やミャンマーを見ているとむしろ逆に思える
→国がインターネットを遮断してしまっているし、技術としては電波・無線を使っている限り、国家なしにインターネットを活用できないのが現状
→ビッグデータの前提として、個人情報を登録しないと利用できない
→GAFA(「Google」「Apple」「Facebook」「Amazon」の米国のIT企業4社)は、個人情報を利用して儲けている
・「無政府主義の壮大な実験」というが、人間は無政府主義に耐えられるのかが疑問
→社会的な生き物として統一や関わりを上手く維持するには、決まりごとや約束が必要で無政府状態ではいつまでも続けられない
→無政府主義だとインターネット自体動かないのでは?勝手に個人でどうこう動けるというものではないのでは?
・格言については正しいと思っている
→世界には6000を超える言語があり、共通の意思疎通が必要
→無政府主義というよりも、20世紀初頭にあった空想社会主義に向かっていくのでは?
→一旦カオスを経験して、それから阿吽の呼吸の境が出来上がるといったこれからの変わっていく社会とのせめぎ合いがあるのでは?
【検索システムとしてのインターネット】
・かつてインターネットは検索システムであり、GoogleなのかYahoo!なのかどこが勝つのか?またどうやって儲けるのか?と考えていたが、彼らのやりたかったことは端的に言えば世界征服だったのではないかと思う
→世界中の情報(知識)を集め、巨大な組織が世界中に根を張る今の現状はまさに仮面ライダーなどに登場する悪の組織(ショッカー)のよう
・検索機能は、一方で個人情報を得るためのサービスであり、利益に結び付く業界がインターネットに力を入れている
【インターネットの危険性について】
・オバマ元大統領がトランプ前大統領を罵るといった「フェイク動画」などは、信じたい人は信じてしまう
→何がほんとで何が嘘かを調べる意識が必要
→一般市民ベースで何が正しいか調べる動きもあるが、インターネットが登場してやっと生まれた
・ネットの嘘の情報については、トランプ前大統領やウクライナの政府などが利用していたことを思えば、インターネットの影響は大きいといえる
→嘘のツイートをすると、あっという間に広まって消すことが出来ない
→個人では想像ができないほど世界が広がっている
→リテラシーのない人や悪用しようと思えば容易に出来る
・(Facebookなど)「いいね」の数が何件かで喜ぶ様子を見ると、人間は単純化していって、そのうちインターネットが人間を征服してしまうのでは?と思うことがある
・ネットサーフィンに関する論文の中で、1日10時間行ったという実験の結果、薬物中毒と同じ症状(攻撃的・興奮状態)がみられ、脳にも悪影響があると記されていた
・インターネットの登場で、人間の本質が変わってしまったのではないか?
→ホモサピエンス2.0ともいえる人類の誕生では?
→ただすべての人間が変わる訳ではなく、旧人類(古い人間)は淘汰されると思う
・ファクトとフェイクの関係についていえば、もっと事実とは何なのか?嘘とは何なのか?きちっと意識しないといけない
→情報量が多いと嘘もほんとになる恐ろしさがある
・インターネット社会はトライ&エラー
→ピースサインの写真から指紋が盗まれ悪用されるなど、痛い目を見て気づく
→自己と他者の位置づけを測る時代
→未分化(まだ分かれて発展するまでに至っていない)で不安定さを抱えながら、意思を共有していく
→常に危うさを抱えているため、一度立ち止まらないと難しい
・パソコンなどに使用されているリチウム電池は再利用できない
→将来にわたってインターネットを使用するにあたり、どのようにエネルギーを確保していくのか?
→あやふやで不安定な今のエネルギー事情を理解すべき(いつかは尽きるエネルギー枯渇問題)
→次のハードウェアにどう移行できるのか?(紙に戻らざるを得ない時が来る)
・単純で極端な意見や思想が盛り上がるなどSNSでは二元論と感情論が目立つ
→仲間内で徒党を組み、意見の異なる他者をブロックする
→意見の相違や解釈の違いを認めたり、議論を楽しんだり、対話を通して新しい価値観に気づくこともできるのでは?
→多様性を理解すれば、一方的で偏った思想や意見を考え直すのではないか?
→世界中の人々と出会えて、同じ趣味の人とも出会える一方で、ある特定の人としか会わない(タコつぼ化)
→極端な意見や思想もちゃんと調べればそうではないと分かるようになるのでは?
【情報社会について】
・グローバル化が進んでいく中で、情報自体が変わりやすすぎる
→情報=表現だと思うが、それが目まぐるしく変わっていき、すぐ忘れて次の情報に移るといった混沌の社会になっている
→変化の速度が益々早くなっている
・マイナンバーが普及していないことや役所の縦割りなどを見ると日本の情報化の整備は遅れていると思う
・「Suica」 や「PASMO」といった交通システムのサービスは、以前からセキュリティの脆弱性が指摘されている
→ウイルスが感染すると全てのシステムに移ってしまう
→便利なシステムだがビッグデータで全部捉えられている
→利便性と危険性の両面あるということを考えないといけない
上記のような様々な意見があり、 議論が活発に行われました。
最終的な板書はコチラ↓
次回のてつがくカフェは、課題映画を観て感想を語り合う「シネマdeてつがくカフェ」となります。
課題映画は1991年に公開されたスタジオジブリの『おもひでぽろぽろ』です。
8月
当日は14時から課題映画の鑑賞会、
16時から映画を観た感想を語り合う「シネマdeてつがくカフェ」となります。
会場参加にあたっては、新型コロナウイルス感染症対策のため、
マスク着用の上、ご来場いただきますようお願い致します。
また、オンラインによる参加をご希望の際は、
てつがくカフェのメールアドレスまでご連絡ください。
なお、16時からの「シネマdeてつがくカフェ」のみ参加をご希望の方、
またはオンライン参加の方は、
上記の課題映画を各自鑑賞のうえ、ご参加ください。
そのほか、てつがくカフェのTwitterとFacebookもありますので、フォローしていただけると幸いです。
▶てつがくカフェ@ふくしま Twitter
▶てつがくカフェ@ふくしま Facebook
それでは皆様また次回の「てつがくカフェ」でお会いしましょう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます