ホテルで、選んだ朝食は、’雑炊’ 昨年 夏の京都でも 同じように ’おかゆ’を選んだのだが、これが ’大当たり’ こんな旨いものは ほかに無い。 朝食は この手のもの に限る。まさに’日本人’しかわからない と思ったが、マテヨ たしか 台湾 でも こんなメニューがあったな・・。
日立市の、昔 通った小学校に 寄った。
ちょうど、登校時間で 校長先生とお話しすることが出来た。 ’柴田国明’は、やはり 同級生だった。 昔 こんなに ’旗’が立っていることは 無かったのだが・・・
どこの小学校でも、クラスの数が 当時の1/3 。( この国は、大丈夫か?)
日立市内は、子供の頃の記憶より 狭かった。車社会の、活動エリアの広さ を 十分に実感。住んでいた場所には、ちょっと違う家が建っていたが、これも かなり古いもので 無人のようだ。 (実は、ここは 日立市が生まれた元になった 誰でも想像のつく、某有名電機メーカーの社宅 )
仕事で 来たんじゃないから、常磐道で戻るんでは 能が無い。 海岸線を 南下して 帰ることにした。
日立市 河原子海岸 から 九十九里まで・・
東海村・那珂湊・大洗・鹿嶋・銚子 と 南下。 高速道路は無し だから 海岸線の 空き地に ほとんど どこでも 駐車できた。ゆっくり の ドライブ である。
日立市から、ひたちなか市(昔の 勝田市)までは かなり昔 那珂郡東海村に国内最初の原発が設置された関係からか たくさんの 関連施設が並ぶ。
何年か前 問題を起こした民間施設は R6 東海村 二軒茶屋交差点のすぐ横。この近くの ’ある場所’を 見にきたのも 今回の 大きな目的・・ 更地になって、不動産会社の看板が 建っていただけだったが・・。
日立港は、日立市ではなく ひたちなか市 阿字ヶ浦の近くにある。
ひたちなか市から利根川河口までは、最近になって 国営の海浜公園が 出来たり 開発が続く 広大な 地域。
ん?・・・たしか、安倍内閣の 終末を決定付けた ’赤城の 絆創膏・・’は、この辺が 地元 じゃなかったかな?。( 海沿いではなく、もっと 西のはずれの 筑西市だそうだ。)
アントラーズの拠点。
犬吠埼。 利根川 を 渡ると、’水戸ナンバー’が ’千葉ナンバー’に・・ 極端に変わる、川の仕切りは、強力。
はじめての ’海ほたる’
千葉 袖ヶ浦方向は、海上
川崎方向は、海底
湾岸・R16バイパス・東名 を通り、帰宅は 18:30。この日の走行距離は、399km。
横浜 磯子付近で 高速を下りれば、すぐそこに 息子の家 があるが、この日は疲れたので PASS。
袖ヶ浦から御殿場までは、’アッという間’ だったが、’敷かれたレールの上を、お金を払って 押し流されただけ’ のような 妙な感覚。便利な世の中になった かわりに どうも いまひとつ何かが 足りない・・。