道楽ねずみ

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神々の黄昏(新国立劇場・渋谷区本町)

2010年03月28日 | オペラ道楽
再び新国立劇場で「神々の黄昏」を見ました。
既に2004年春の上演されたものの再演ですが,演出は今回も微妙に違うような気がします。
自分はこの演目を既にフランクフルトのオペラ座,ベルリンの国立歌劇場(ウンター・デン・リンデン)でも見ていますので,2004年に新国立劇場で見たのと併せて4回目となります。

序幕では,パンクのような不思議な風貌のラインの乙女(ノルン)が現れ,次いでジークフリートとブリュンヒルデの登場です。ジークフリートはブリュンヒルデのBと書いたシャツを,ブリュンヒルデはSと書いたシャツを着て,ラブラブぶりというか限りなくバカップル状態を披露し,この後に起こる破局とは正反対の愛を語り合います。因みに「ジークフリート」の演目ではジークフリートがSと書かれたシャツを着ていました。
そして,有名な「ジークフリートのラインの旅」の曲を経て,第1幕にそのまま突入します。「ワルキューレ」で,最初にはトロイの木馬のような巨大な模型として登場し,次いでデパートの屋上にある子供のおもちゃとして登場した愛馬グラーネは,今回は一段と小型化して手で持つことができるような小さなサイズとなり,旅するジークフリートのアタッシュケースの中に収められています。
第1幕は,名家の貴公子グンターその妹グートルーネのいるギービッヒが舞台です。そこには,異父弟(アルベリヒの子)であるハーゲンもいます。ハーゲンが言葉巧みに,お坊ちゃんのグンターとお嬢さんのグートルーネを唆したところに,当のジークフリートがやってきます。ジークフリートは最初からとてもとても粗野で,知性を感じられない振る舞いをします。グンターとのやりとりを見ても,ジークフリートはハーゲンの薬によって記憶を消される前から,粗野で愚かなダメ男のようです。ジークフリートは相変わらすBの文字のシャツを着ていて,忘れてはならないことが・・・と言いながらハーゲンの薬を飲まされますが,忘れ薬でいとも簡単に過去を忘れてしまいます。そして,ジークフリートは,グンターと義兄弟のちぎりを結び,惚れたグートルーネを妻にするために必要といわれ,すぐにブリュンヒルデのいる炎の岩山に向かいます。ジークフリートの馬鹿っぷりを見ていますと,ハーゲンの薬がなくても,ジークフリートはグートルーネと浮気くらいはしたのでしょう。この場面,ハーゲンが,気を失っているグートルーネの股を大きく開き,犯そうとするのが変わった演出でした。グンターとハーゲンは異父兄弟ということは,ハーゲンとグートルーネも異父兄妹の関係にあり,両者の近親相姦となれば,中国の春秋時代の斉の襄公とその妹文姜(魯の桓公の后)との関係のようなものでしょうか。

そのころ,ブリュンヒルデのもとには,妹のヴァルトラウデ(ワルキューレ時代の仲間)が現れ,危機の迫っていることを告げ,指環を捨てるようアドバイスをします。しかし,ブリュンヒルデも,ノロけ話ばかりで全く危機感がありません。そして,魔法の頭巾の力によってグンターに姿を変えたジークフリートが現れ,指環を奪い取り,ブリュンヒルデをグンターの嫁として奪い取っていきます。この場面では,本当はグンターの姿になったジークフリートだけがブリュンヒルデを訪問するはずなのに,グンター役とジークフリート役の歌手が同時に舞台に出ていたり,その場に行っているはずのないハーゲンが一言も発することなくその場に立ち会っていたりする演出が面白かったです(指環を奪い取るときには,指環を念力で吸い寄せるような動作をします。)。

そして第2幕。最初にハーゲンの父であるアルベリヒが登場し,ハーゲンに共同しての企てを提案しますが,既に思惑通りに物事が進んでいるハーゲンは取り合いません。アルベリヒは瀕死の病人のような状態で現れます。ハーゲンも薬物中毒のようで,モルヒネか覚醒剤かわかりませんが,止血帯を巻いて自分で自分の腕に注射をします。

次いで場面が変わり,ブリュンヒルデが現れます。ブリュンヒルデは,ジークフリートとの愛の住みかごと連れ去られてきています。そこで彼女が目にしたものは,相変わらずBのシャツを着ているジークフリート。ブリュンヒルデはジークフリートに駆け寄りますが,忘れ薬で忘れてしまったジークフリートは覚えがないと否定するばかりです。しかし,ジークフリートの話は,指環の一件でどうしても辻褄があいません。ハーゲンがこれ見よがしに見せた隠れ頭巾によって,ブリュンヒルデは自分を力ずくで連れ去った犯人がジークフリートであることを悟ります。ブリュンヒルデはジークフリートを糾弾し,ジークフリートは誓いを立てます。序幕でのバカップルぶりと対照的なこの場面は,今度は痴情のもつれで激しく争うカップルというイメージです。
そして,面子丸つぶれの貴公子グンター,激しい怒りをジークフリートに持つブリュンヒルデ,そして陰謀の張本人ハーゲンの3人はジークフリートを暗殺する共謀をします。
第2幕の演出では,ことさらに遠近法を強調した廊下(左右に無数の扉があります。)がこの演目でも再び現れ,ギービッヒ家の兵士達は,白衣の上に緑の作業衣をまとった手術医か看護師のような姿で登場します。

第3幕目。狩りの場で皆からはぐれたジークフリートは獲物もないまま,ラインの乙女達(ノルン)と遭遇し,指環を返して欲しいと言われます。今回の演出で感じたのは,ノルン達は最初からジークフリートが指環を返すと期待していなかったのではないかということです。ジークフリートを持ち上げたり,ケチだと悪口を言ったりし,ジークフリートも当初は指環を返そうとします。しかし,ノルン達は指環を持っていると悪いことが起きるからと言って,あえてジークフリートを怒らせるようにしむけます。今回の演出では,ノルン達が善意でジークフリートを助けようとして,悪いことがおきないようにと言ったのではなく,そのように言うとジークフリートが機嫌を悪くして,返さなくなることをよく知りながら,わざとそのように言ったような気がします。実際,ジークフリートが指環を返してくれないと知るや,ノルン達はあっさり引き下がります。
やがて,ジークフリートは,ハーゲンとグンターや狩りの仲間と合流します。そこで,ジークフリートはハーゲンから記憶を回復する薬を飲まされます。ジークフリートは,昔話を初め,ブリュンヒルデと知り合ったときのことまで語ります。そこでグンターに槍を渡されたハーゲンは,ジークフリートの背中に槍を突き立て,ジークフリートは息絶えていきます。
有名な「ジークフリートの葬送行進曲」ですが,瀕死のジークフリートが絶命寸前に向かおうとした先にいたのは,本来の妻ブリュンヒルデ・・・ではなく,ブリュンヒルデと見誤ったグートルーネでした。ジークフリートは最後まで英雄ではなく,オトボケキャラのまま死んで行きます。
ジークフリートの亡骸はギービッヒの家に連れ帰られ,ブリュンヒルデと暮らした家(今は火葬場になっています。)と共に燃やされます。ジークフリートがブリュンヒルデが共に使ったベッドや,ブリュンヒルデがワルキューレ時代に使っていたもの等々,様々な道具は皆,今やゴミ回収のために路上におかれた粗大ゴミのように放置された挙げ句,ジークフリートの亡骸とともに一緒に燃やされることになります。そして,ラインの黄金の指輪も。ブリュンヒルデも自ら火葬場の中に飛び込みます。因みにワルハラ城の炎上のシーンはありません。
そしてハーゲンはと言えば,最後の最後に指環を取りに行きますが,それまでは目の前の出来事を他人事のように呆然と見ているだけで,動きが乏しいです。この人は本当に指環が欲しかったのだろうかと疑問さえ生じてきます。ジークフリートやブリュンヒルデの方がよっぽど指環にこだわっていたように思いました。

ラストの場面では,ジグソーパズルのパーツの形をしていた指環が,スクリーンに上映されたパズルの中にしっかりと収まった上で,スクリーンが姿を消します。そして,舞台の上には映写機が出て,その映写機からの映像を見ていたと思わしき現代の人々が現れて終わります。

演出で目をひいたのは,ジークフリート,そしてブリュンヒルデの愚かさの演出です。ジークフリートが馬鹿っぽく演出されているのは,今までのことでおわかりになっていただけると思いますが,ブリュンヒルデもジークフリートとの恋愛で物事が見えなくなり,そして財産(指環)にもこだわります。そして激情からハーゲンの陰謀に加担しながらも,最後は自分が陰謀の仲間であったことをコロっと忘れ,ジークフリートをたたえ,ハーゲンらの陰謀を非難して死んでいきます。とても賢いとは言えないようです。
同時に非常に特徴的だったのは,ハーゲンの毒性が弱いことです。この演出は,他の演出に類を見ない特徴と思います。ハーゲンは陰謀の黒幕にはなりますが,何が何でも指環を奪い取ろうとはしていません。ジークフリートを殺害するのも,グンターに槍を渡され,やむを得なくなってからです。他のオペラ座で見るような悪役としてのキャラクターからはほど遠いものがありまして,悪役としてはずいぶんと矮小化されているようです。この演出では,ハーゲンもまた,運命の糸から逃れることのできないまま悪役を演じざるを得ない1人の人間に過ぎないと言うことなのでしょうか。

この破滅をもたらしたダメ主神ヴォータンは役として登場しないのはもちろん,映像等でも姿は現しません。

いろいろ書きましたが,音楽は迫力があって,とてもよかったです。
ジークフリート役のフランツさんも,ブリュンヒルデ役のイレーネ・テオリンさんもとても良かったです。特に今回はフランツさんもがんばっていました。

新国立劇場内の様子