道楽ねずみ

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汪兆銘の南京国民政府樹立

2010年03月30日 | 衒学道楽
1940年3月30日,南京に「南京国民政府」が誕生しました。首班は汪兆銘です。
日本は満州事変以後,中国への侵略を繰り返し,1937年に日中戦争を開始し,その年には既に中華民国の首都南京を陥落させました。
その後,首相近衛文麿は,無責任に「爾後國民政府ヲ對手トセズ」との近衛声明を発表し,講和の機会も閉ざしてしまいました。しかし日本も,他方で1938年ころから新たに南京に傀儡政権を樹立することを画策していました。
汪兆銘は,日本が中国に和平の条件を示した上で,この条件に応じて日本未占領地域に新政府を樹立するというプランを建て,新政府の樹立を企てました。しかし汪兆銘もは,交渉過程で,再び首相となっていた近衛文麿からハシゴを外された挙げ句,結果的には完全に日本の傀儡政権に過ぎない南京国民政府の首班を押しつけられるだけになります。そして,期待した和平は進まず,蒋介石の重慶国民政府と日本との戦争はさらに続くことになります。

汪兆銘は辛亥革命時代から活躍し,中華民国の成立宣言を起草したこともあれば,孫文の遺言の草稿を起案したとも言われています。その汪兆銘がどのような思いから,後に漢奸と蔑まれるような南京国民政府の首班となったのか関心のあるところです。

例えば「プラハの春」が鎮圧された後も職に留まったスボボタ大統領やポーランドの連帯運動を鎮圧する側に回ったヤルゼルスキ将軍のように,国の将来のため,より大きな被害が発生するのを食い止めるために国外の勢力にあえて迎合する汚れ役を演じるという生き方もあると思います。しかし,客観的に見ても汪兆銘の行動は,中国のその後にとってプラスとなったとも思えないのです。

写真は南京国民政府のあった総統府です。
wikiのGNU Free Documentation Licenseの写真からとったものです。
総統府 正門 2004年5月4日撮影 撮影者:権作

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