道楽ねずみ

ドイツに関するものを中心に美術展,オペラ,映画等の趣味の世界を紹介します。

レンピッカ展(Bunkamuraザ・ミュージアム・渋谷区道玄坂)

2010年03月23日 | 美術道楽
Bunkamura・ザ・ミュージアムで開催中のレンピッカ展に行きました。
恥ずかしながらレンピッカという名前は聞いたこともありませんでした。
名前すら聞いたことのない画家の展覧会に行くというのも珍しいのですが・・・

女流画家タマラ・ド・レンピッカは1898年,ワルシャワの名家に生まれ,18歳のときにロシア貴族のタデウシュと結婚します。ところが,結婚後まもなくロシア革命が勃発し,レンピッカ夫妻はパリでの亡命生活を余儀なくされます。
夫タデウシュは亡命生活の中で,無気力となり何もする気を失い,レンピッカは画家として収入を得て,自立するようになります。そして,「狂乱の時代」と呼ばれた1920年代から30年代、レンピッカは時代の寵児としてもてはやされます。娘ギゼットを描いた絵(例えばピンクの服を着たギゼット)は,ナボコフの小説「ロリータ」のイメージでとらえられます。他にもタデウシュとの離婚直前に描いた「タデウシュ・ド・レンピッキの肖像」もこの時期の作品です。ほかにも「サン・モリッツ」,「イーラ・Pの肖像画」(この女性はレンピッカと深い関係にあったようです。),「カラーの花束」,「ジュリー・ソリドール」(レンピッカの恋人の女性)の肖像など皆この時代の絵画です。
レンピッカはパリの社交界に多くの交遊関係を持ち,男女を問わず,多くの人々と親しく関係を持つようになります。アンドレ・ジイドは,レンピッカに相当にご執心で,レンピッカを困らせたようです。

レンピッカはナチスドイツが台頭し,第2次世界大戦の脅威が高まるとアメリカに亡命します。1961年の個展が惨憺たる大失敗に終わったことから,しばらく忘れ去られていまいますが,晩年に再評価され,請われるまま「狂乱の時代」の自分の作品のレプリカを作ったりもしますが,最後はメキシコで亡くなります。

ルネッサンスの巨匠に学んだり,抽象画を試みたりした晩年の作品も見ましたが,やはりレンピッカが最も生き生きとしていたのは狂乱の時代だったような気がします。絵画を漫画チックにしながらも,モデルに陰とエロチシズムを持たせる画風は独特だと思いました。

【余談】
音声ガイドのナレーションは夏木マリさんでした。ぴったりというイメージでした。

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