素晴らしいインド料理の数々のパンプキンさんからお酒バトン回ってきました。私生活公表するようで一寸躊躇しましたが受け取りました。
【項目】
Q1.酔うと基本的にどうなりますか?
Q2.酔っぱらった時の最悪の失敗談は?
Q3.最悪の2日酔いはどんな感じですか?
Q4.今、冷蔵庫に入っているお酒の量は?
Q5.好きな銘柄は?
Q6.最近飲んだ店は?
Q7.よく飲む、もしくは思い入れのある5品
Q8.ジョッキを渡す5人
義弟のいたときに開けたワイン
では始めましょう。
Q1.酔うと基本的にどうなりますか?
お酒は長い道のりなので色々な過程通過しました。
フランスに来て初めてビールを飲んだ時[私のお酒はカクテル(大学半ば時代)に始まったのでビール飲んだ事ありませんでした。)陽気になって饒舌に なんてフランス語がぽんぽん出てくるのだろうと喜んだものです。皆にも言われたから本当かも。
でも機嫌の悪い時に飲むお酒はいらいら突如怒り出したり。悲しい時には急に泣き出したり。気分に飲まれてしまう私です。
Q2.酔っぱらった時の最悪の失敗談は?
最悪の失敗談というのはあまりないみたい。小さな失敗談はとても数多く。
悲しく泣き出してどうしてこんなところにお嫁に来たのだろうと。一人になれる部屋に引きこもり泣きながら寝入ることも。前は一年に少なくとも一回はありました。家族のものは皆心得ていて 又ママ通例のヒステリーと近寄らず放って置いてくれました。
私は1950年生まれです。皆さんの倍の年齢。
結婚生活の月日も長いしそしてその長い時期にとても難しい時ありました。何もかにも諦めて日本に帰ろうかなと思ったことも。
お酒の量増えました。それも強いアルコール。ウイスキーにラムのストレート。如何しようかな と 解決方法も見つからず。伴侶と心の交換拒否の姿勢だったかも知れません。悪い状態に走るのは目に見えていたのに。でもそれも乗り越えましたね。
今では仲の良い夫婦みたい。お互い手を取り合ってこのまま生涯が終わってくれればと思っています。
どうやって乗り越えたといえば又長い話。いつか語るかも。
でも乱れたアルコールではなく沈黙のアルコールです。一人でぽっん。と言う感じ。その後反省決心してワイン以外のお酒は全て止めました。決断した時点で辛くも無く一度も破ったことなく欲しくも無いから重大な事ではなく自分を破壊してやろうとの姿勢だったと思います。
その後もう一度ワインの量が増えた時期在ります。2001年から主人がスイスローザンヌ4年間勤務。私は家を守るために一人で当地に。長女はドイツ留学中。次女は反抗期それも私に対してがひどかったので主人がレマン湖反対側のミネラル水で有名なエビアンの高校に入れたとき。寄宿舎。週末は父親の所にで主人は朝夜と必ず電話を入れてくれそばに彼女がいる気配するのに一度も電話に出てくれませんでした。1年6ヶ月ママの所に戻りたいと帰って来るまで一度も交流無く寂しい期間でした。主人は月に一度は帰宅しても彼女は。一人で食事を作る気もせずワインと野菜をぽりぽりと言う日々もよくありました。
(寄宿舎に付いて誤解があるといけないので一言。公立高校です。レマン湖ほとりに昔のお城跡のそばに近代的な宿舎。フランスには小さな街では色々の周辺で学業施設の無い街の学生に施設が整っています。お値段も普通に我が家で生活するのと同じ値段。決して贅沢ではありません。娘生涯というくらい親しいお友達との出会いも。我が家に休暇ごとにやってきます。2週間も3週間も。
娘が帰ってきたのは急にママが一人で可哀相と言う気持ちへの変更。居心地の悪さではなく私との反抗期の締め括り。今では本当に仲良い親子です。2人とも虎年。いいたいことは言葉に瞬間的に発してしまって。喧嘩。仲直り。トラトラは仕方ありません。)
このときの解決方法はがらがらの家の中の2部屋を用意ペンションではないけれど民宿みたいな感じで日本の方々お迎えしました。殆ど宣伝しなかったけれど色々いらっしゃってくださり今でも御友達としてメイルの交流あります。その後主人の関係で留守が事多くやめたのですが又再開しようかなとも思っています。その際には皆様もどうぞ
Q3.最悪の2日酔いはどんな感じですか?
翌朝頭痛。目はしょぼしょぼ 体中重く。一気に凄く歳をとってしまったような気分。後悔し手も始まらないなー。
前夜の記憶の無い事も。皆にママ色々喋ったじゃないと言われ真っさお。
Q4.今、冷蔵庫に入っているお酒の量は?
此処から北のナント近くの白ワインGros Plantが一本。このワインは辛口酸味が利いているけれど魚介類にあうのでやはりそばで生産されるMuscadetと共に良く手元においてあります。時にはこの地方の特産の食前酒ピノーが在る時も。夕方突如として現れる友人を迎えるために。ビールは主人のおなかのために購入しません。
Q5.好きな銘柄は?
私は赤ワインが好きです。
ロワールのワインは赤ワインでも魚介類ともすっきりマッチ 好み。ブルゴーニュワインは優雅で女性的 大好き。でもお値段高いから特別の機会に。隣人だからボルドーワインを良く飲みます。南西のワインも見直され色々美味しいものあるし。スイスでは白ワインがとてもフルーティで美味しかったです。
Q6.最近飲んだ店は?
特別に飲みに行くということはありませんね。お食事と飲むワインが私のお酒です。外食私達難しいのかがっかりする事多いです。ああ家で食べればよかったと。時折美味しいワインを購入それにあわせた料理を作るほうが好きです。主人がスイス滞在中車でフランスを何日か掛けて何度も横断往復素朴な土地の料理と素朴なワインを満喫しました。フランスは果てしなく広く豊かこのような旅をするとどんどん他の新発見への興味がわきます。
Q7.よく飲む、もしくは思い入れのある5品
好きなワインはたくさんあって。でも羊のお料理ならPauillac とか 洗練された山羊のチーズにはSancerre とか 個性の強いお肉料理にはこれ 鶏料理このようなものはこれ と言うかなりのイメージは湧きます。
追加。
お酒を飲み始めてのは遅かったです。(主人にとり返したね。と 冷やかされるけれど)。普段は食事ごとにグラスワイン一杯。ワインがないと寂しいです。
お料理 私の親しい母のようなお友達と教えていた時期がありました。料理教室というより一緒に作りワインを片手に昼食会というようなものを彼女の経営するホテルで。月に2回ほど。時折ゲストでカービスト[ワインの専門家)を何回も招待。そのおかげで何となく知識が。
義弟はワイン通。いつも滞在の時にはワインを抱えて。いつも素敵なワイン。良いワインを飲む機会に割りと恵まれています。
大学卒業後日本で働いていた時代あります。その時代は日本酒と居酒屋が好みでした。お酒とは体の要求と雰囲気 気分 そして一緒に味合う伴侶によりその世界が作られその世界の中でほろ酔うのが幸せなのかしら?
Q8.ジョッキを渡す5人
頭の中ではすでに。でも意向を聞いてから と します。
5人の御友達引き受けてくださいました。
バールを始められるチチワさん、私のようにロワールワインの好きなmirabelle さん、アメリカで御主人のために一生懸命お料理を作っている可愛いたえさん、いつも楽しい本格シェフのレアールシェフさん、いつも良いお話を語ってくださるなりさん。有難うございます。
長い投稿。最後まで読んでくださった方にもどうも有難うございます。
【項目】
Q1.酔うと基本的にどうなりますか?
Q2.酔っぱらった時の最悪の失敗談は?
Q3.最悪の2日酔いはどんな感じですか?
Q4.今、冷蔵庫に入っているお酒の量は?
Q5.好きな銘柄は?
Q6.最近飲んだ店は?
Q7.よく飲む、もしくは思い入れのある5品
Q8.ジョッキを渡す5人
義弟のいたときに開けたワイン
では始めましょう。
Q1.酔うと基本的にどうなりますか?
お酒は長い道のりなので色々な過程通過しました。
フランスに来て初めてビールを飲んだ時[私のお酒はカクテル(大学半ば時代)に始まったのでビール飲んだ事ありませんでした。)陽気になって饒舌に なんてフランス語がぽんぽん出てくるのだろうと喜んだものです。皆にも言われたから本当かも。
でも機嫌の悪い時に飲むお酒はいらいら突如怒り出したり。悲しい時には急に泣き出したり。気分に飲まれてしまう私です。
Q2.酔っぱらった時の最悪の失敗談は?
最悪の失敗談というのはあまりないみたい。小さな失敗談はとても数多く。
悲しく泣き出してどうしてこんなところにお嫁に来たのだろうと。一人になれる部屋に引きこもり泣きながら寝入ることも。前は一年に少なくとも一回はありました。家族のものは皆心得ていて 又ママ通例のヒステリーと近寄らず放って置いてくれました。
私は1950年生まれです。皆さんの倍の年齢。
結婚生活の月日も長いしそしてその長い時期にとても難しい時ありました。何もかにも諦めて日本に帰ろうかなと思ったことも。
お酒の量増えました。それも強いアルコール。ウイスキーにラムのストレート。如何しようかな と 解決方法も見つからず。伴侶と心の交換拒否の姿勢だったかも知れません。悪い状態に走るのは目に見えていたのに。でもそれも乗り越えましたね。
今では仲の良い夫婦みたい。お互い手を取り合ってこのまま生涯が終わってくれればと思っています。
どうやって乗り越えたといえば又長い話。いつか語るかも。
でも乱れたアルコールではなく沈黙のアルコールです。一人でぽっん。と言う感じ。その後反省決心してワイン以外のお酒は全て止めました。決断した時点で辛くも無く一度も破ったことなく欲しくも無いから重大な事ではなく自分を破壊してやろうとの姿勢だったと思います。
その後もう一度ワインの量が増えた時期在ります。2001年から主人がスイスローザンヌ4年間勤務。私は家を守るために一人で当地に。長女はドイツ留学中。次女は反抗期それも私に対してがひどかったので主人がレマン湖反対側のミネラル水で有名なエビアンの高校に入れたとき。寄宿舎。週末は父親の所にで主人は朝夜と必ず電話を入れてくれそばに彼女がいる気配するのに一度も電話に出てくれませんでした。1年6ヶ月ママの所に戻りたいと帰って来るまで一度も交流無く寂しい期間でした。主人は月に一度は帰宅しても彼女は。一人で食事を作る気もせずワインと野菜をぽりぽりと言う日々もよくありました。
(寄宿舎に付いて誤解があるといけないので一言。公立高校です。レマン湖ほとりに昔のお城跡のそばに近代的な宿舎。フランスには小さな街では色々の周辺で学業施設の無い街の学生に施設が整っています。お値段も普通に我が家で生活するのと同じ値段。決して贅沢ではありません。娘生涯というくらい親しいお友達との出会いも。我が家に休暇ごとにやってきます。2週間も3週間も。
娘が帰ってきたのは急にママが一人で可哀相と言う気持ちへの変更。居心地の悪さではなく私との反抗期の締め括り。今では本当に仲良い親子です。2人とも虎年。いいたいことは言葉に瞬間的に発してしまって。喧嘩。仲直り。トラトラは仕方ありません。)
このときの解決方法はがらがらの家の中の2部屋を用意ペンションではないけれど民宿みたいな感じで日本の方々お迎えしました。殆ど宣伝しなかったけれど色々いらっしゃってくださり今でも御友達としてメイルの交流あります。その後主人の関係で留守が事多くやめたのですが又再開しようかなとも思っています。その際には皆様もどうぞ
Q3.最悪の2日酔いはどんな感じですか?
翌朝頭痛。目はしょぼしょぼ 体中重く。一気に凄く歳をとってしまったような気分。後悔し手も始まらないなー。
前夜の記憶の無い事も。皆にママ色々喋ったじゃないと言われ真っさお。
Q4.今、冷蔵庫に入っているお酒の量は?
此処から北のナント近くの白ワインGros Plantが一本。このワインは辛口酸味が利いているけれど魚介類にあうのでやはりそばで生産されるMuscadetと共に良く手元においてあります。時にはこの地方の特産の食前酒ピノーが在る時も。夕方突如として現れる友人を迎えるために。ビールは主人のおなかのために購入しません。
Q5.好きな銘柄は?
私は赤ワインが好きです。
ロワールのワインは赤ワインでも魚介類ともすっきりマッチ 好み。ブルゴーニュワインは優雅で女性的 大好き。でもお値段高いから特別の機会に。隣人だからボルドーワインを良く飲みます。南西のワインも見直され色々美味しいものあるし。スイスでは白ワインがとてもフルーティで美味しかったです。
Q6.最近飲んだ店は?
特別に飲みに行くということはありませんね。お食事と飲むワインが私のお酒です。外食私達難しいのかがっかりする事多いです。ああ家で食べればよかったと。時折美味しいワインを購入それにあわせた料理を作るほうが好きです。主人がスイス滞在中車でフランスを何日か掛けて何度も横断往復素朴な土地の料理と素朴なワインを満喫しました。フランスは果てしなく広く豊かこのような旅をするとどんどん他の新発見への興味がわきます。
Q7.よく飲む、もしくは思い入れのある5品
好きなワインはたくさんあって。でも羊のお料理ならPauillac とか 洗練された山羊のチーズにはSancerre とか 個性の強いお肉料理にはこれ 鶏料理このようなものはこれ と言うかなりのイメージは湧きます。
追加。
お酒を飲み始めてのは遅かったです。(主人にとり返したね。と 冷やかされるけれど)。普段は食事ごとにグラスワイン一杯。ワインがないと寂しいです。
お料理 私の親しい母のようなお友達と教えていた時期がありました。料理教室というより一緒に作りワインを片手に昼食会というようなものを彼女の経営するホテルで。月に2回ほど。時折ゲストでカービスト[ワインの専門家)を何回も招待。そのおかげで何となく知識が。
義弟はワイン通。いつも滞在の時にはワインを抱えて。いつも素敵なワイン。良いワインを飲む機会に割りと恵まれています。
大学卒業後日本で働いていた時代あります。その時代は日本酒と居酒屋が好みでした。お酒とは体の要求と雰囲気 気分 そして一緒に味合う伴侶によりその世界が作られその世界の中でほろ酔うのが幸せなのかしら?
Q8.ジョッキを渡す5人
頭の中ではすでに。でも意向を聞いてから と します。
5人の御友達引き受けてくださいました。
バールを始められるチチワさん、私のようにロワールワインの好きなmirabelle さん、アメリカで御主人のために一生懸命お料理を作っている可愛いたえさん、いつも楽しい本格シェフのレアールシェフさん、いつも良いお話を語ってくださるなりさん。有難うございます。
長い投稿。最後まで読んでくださった方にもどうも有難うございます。
アメリカ人のオットと結婚して8年、今まで異文化の中で生活しながら生活習慣の違いや日本にいる自分の両親を想ったりしたときにやはり同じような気持ちになったときがあります。
私はまだ子供はいないので、親になったときには、また恵美さんのお話、聞かせていただけたらと思います。
恵美さんの家のお部屋に滞在して、いろんなお話をしたいです^^!
ぶろぐから見ると優雅そのものです。
違う世界のセレブ生活かと思って
いましたが、おつらいこともいろいろ
あったのですね。
こうして教えていただくと、『よし、反抗期
には、寄宿舎に入れよう』とか、勉強に
なります。人に歴史ありですね。
料理と子育てのヒントを織り交ぜた
本を出したらどうでしょう?
セルさんみたいに、内容の濃い
いいことが書けませんでしたが。。。。
ん~~~~~~~
moi moi moi moi?
とうとうアリヴェ
マダムの ブログを拝見したとたんに
あっ
来た
やっぱり
この文章見て
ふふふ っと微笑んでいるでしょー
バトン受け取ったら
だれに渡せばよいか今から悩みます
Mais, pas grande chose chez moi quand même...
今日書くつもりでしたが、明日になりそうです。書いたら改めてお知らせします。
とても興味深いお話、かわいらしい一面、恵美さんの人生がお酒と共にあった時代を少し垣間見れた気がして、素敵でした。
人は良い事も悪い事も乗り越えるからこそ素敵。
改めて感じました。
私にはプレッシャーです。(笑)
だってお酒の事まだまだわからないし、お酒を絡めたお話も大してないんですもの。
過去の記憶思い起こしてみるけれど、どんなバトンになるのやら…。
今日書こうと思います。ドキドキv
http://blog.goo.ne.jp/miramarille/e/3492ba1660454cbad28d37980014d446
さて誰にリレーしてもらったものかしら・・・。
さっそく興味津々でやってきました~。
酔っ払ったときの話を聞くと
小太郎の思っていた恵美さん像とちょっと違って
新しい一面と魅力を垣間見ることが出来ました。
とってもクールで冷静な印象だったので
ちょっとほっとしたような・・・。
小太郎も恵美さんと同様、
お酒の飲み始めは遅かったです。
でも、お酒を覚えたことで料理にも一層感心が深まり
今は酒の肴的料理が多く占めるようになってしまいました。
恵美さんは、恵美さんの好きな生活や家族と一緒にほろ酔いになれるお酒を飲めるときが
一番幸せなんですね~。
小太郎もそうだな。
飲んでそういう気持ちが楽しめるなら
お酒のある人生もいいものです♪
気持ちが伝わり、じんわりしてしまいました。
主婦って優雅で気楽、みたいに思っていましたが、会社仲間とつるんでいるよりずっと精神的には強くないとやっていけないな、と実感している今日この頃なので、このお話読ませていただけて本当によかったです。
ありがとうございました。