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映画「ボヘミアン・ラプソディ」

2019年01月03日 20時29分44秒 | 映画


 遅ればせながら、映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観てきました。中学生時代、ある日FMから流れてきた「バイシクルレース」という曲を聴いて、なんととりとめのない変な音楽だろうと。中学時代のぼくは懐が広くないし、度量も狭いので、当時マーラーの交響曲も不純だと毛嫌いしていたくらいで、とても馴染めない音楽でした(当時はバッハとドビュッシーに夢中でした)。そんなクイーンと縁遠い人生を歩んできた人間にとってもこの映画は大変心動かされるものがありました。
 新しいものを作る、その生き生きとした現場に立ち会うのは本当に感動的です。シューベルトを題材にした1930年代の映画「未完成交響楽」でも、音楽が生まれる瞬間のシーンでの、ある種の祝祭感が素晴らしかったのですが、それを思い出してしまいました。あのレコーディングでのさまざまな工夫(ライムスター的に言うとkufu)のなんと誘惑的なこと。まったく自分もその仲間に引き込まれるようでした。
 そして歴史的事実はさておきつの経緯を経てのエンディング。最初のシーンがそこへの導入で、ラストがあのシーンですから、ぼくたちはそこへと至る過程を体験させられるわけです。そしてあのパフォーマンスですから、ぼくは号泣でした。
 何度も聴いたことがある同じ音楽でも、的確な場所で、的確なタイミングで奏でられると、それはまったく違う文脈での響きになって感動を喚起するのですね。ああ、そう言えば、農鳥小屋で朝焼けの中聴いたウラディミール・マルティノフの音楽のかけがえのなさ。そんなことを思い出しました。
 クラシックオタク的に面白かったことをいくつか補足的に。
 プロポーズのシーンに流れるプッチーニのオペラ「蝶々夫人」。幸せなはずのシーンに、夫が日本の現地妻を捨ててアメリカに帰り、彼女は自殺するという、悲劇が流れ、この結婚が決して順風満帆ではないのだろうという暗示を感じました。
 それからボヘミアン・ラプソディをシングルにするかどうかでもめていたシーン。あそこではビゼーの「カルメン」からカルメンのアリアが流れていました。あの歌詞は直訳すると「恋はボヘミアンの子だから、法律なんか気にしない」とシーンを象徴するかのようなBGMでした。
 そして、窓越しの電話のシーンで流れるのはプッチーニの「トゥーランドット」でのリューのアリア。王子に従順なリューが「王子様、もうリューは耐えられません、リューの心は砕けてしまいます」と歌います。乾杯しようとして彼女がグラスを持たなかった、あのシーン。あそこでこのBGMです。クイーンの音楽のみならず、ほかの音楽も本当に考えられて使われたのだと思いました。
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