毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

ラスコー展

2016年11月24日 21時04分15秒 | 観光


 当直明け、外は雪。一日を満喫するには最高の滑り出し。そそくさと上野へ向かい、上野駅中央地下通路。台東区長奨励賞を受賞した佐宗乃梨子さんの「IZANAMI」を見る。以前藝大の卒展・修了展で彼女のゾンビ造形を見て強く心揺さぶられたことがあって、今回は「IZANAMI」。イザナミもまたゾンビだし、彼女の言う通り「生と死の外側」に。左頬を伝うウジのような造形がすごい。
 それから国立科学博物館でラスコー展。
  
  
  


 もう、最高。いよいよ来月フランスにオープン予定のラスコー4に行きたくて行きたくて。かつてならバタイユを想起したところだけれど、今回は港千尋さんのこんな文章を思いながら見ていた。「イメージには人を沈黙させる力がある。すべてのイメージがそうなのではない。むしろ現代は沈黙させないためのイメージのほうが圧倒的に多い。現代人が一日中見せられているイメージはすべて意味と理解を要求するものばかりだ。その世界にどっぷりと浸かっている人間にとって、洞窟芸術の世界は理解を超える。どれほど知ろうとしても、知りえない、語りえないイメージ。わたしたちが知る何かに対応するものをもたない、意味以前の世界。それがこの世界のどこかに存在する。その奇跡を受け入れなければ、沈黙を護ることはできない。
 闇の奥のそのまた奥で、かすかな灯りに照らされてその人は壁に手を置き、細かく砕いた土の粉を、勢いよく吹きつけた。闇に向かって息を吹きかけるように、誰かに向かって囁くように。
 そして炎は遠ざかる。闇に残るのは滴る水の音ばかり。永い時の彼方に、それをふたたび誰かが見る時が来るかもしれない。いや来ないかもしれない。「永遠と関係をもつこと」は、このイメージとともにはじまったのだろうか」(港千尋「闇への憧れ」)
 実は先日あいちトリエンナーレへ行ってきて、これはそのコンセプトブックにあった文章。なんだかいろんなことがつながりをもっていて、毎日が結構ワクワクどきどき。
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平安の秘仏 上野東京国立博物館

2016年11月24日 01時23分53秒 | 観光
 常々、浄土真宗と一神教はどこか通底する部分があるように思ってきた。ほかの何ものにも目もくれない阿弥陀如来への帰依(南無阿弥陀仏)、そしてときに一向一揆にまで発展するその折れない信仰心。たとえば、長島一向一揆に島原の乱の先取りされた幻影を見ることはできないだろうか。
 その浄土真宗が染み付いた土地に生れ、信仰心と商業を高いところで見事なバランスをとって成功したのが、近江商人と呼ばれる人たちだった。信仰心にもとづき、「自利利他円満」「勤労公正」を旨に活動した結果、彼らは経済的に成功を収め、それを寺や仏像の寄進という形で還元した(ぼくはそこにマックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を重ね合わせたい欲望に駆られる)。
 そんな彼らが信仰した櫟野寺の改修にあわせた今回の東京国立博物館での展示。丈六の十一面観世音菩薩座像をはじめ、さまざまな仏像たちが立ち並ぶ偉容は見もので、2ヶ月足らずで入場者数が10万人を突破する企画となったことも納得いくし、十一面観世音の一つ一つの顔の説明など見る者にも大変親切な見せ方も素晴らしい。こういう親切な解説に対して「いまさら?」などと言う人間に災いあれ。丈六の観音像がメインであることはもちろんだけれども、右に侍った毘沙門天もまた素敵だった。
 東京国立博物館で12月11日まで
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