毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

三原橋地下街

2010年02月09日 17時51分13秒 | 観光
 昔、歌舞伎の好きな女の子と付き合ったことがあった。当時のぼくはそれほど歌舞伎に興味はなかったのだけれど、彼女に連れられて歌舞伎座に通い次第にその楽しさに目覚めてきた。
 ぼくたちは最寄の東銀座で待ち合わせするよりも、銀座で待ち合わせをして、歌舞伎座までぶらぶら歩くことを好んだ。
 銀座から歌舞伎座まで一直線の道で別に不思議なところはなかったんだけれど、一箇所だけ少し雰囲気の違う場所があった。道路が不思議に盛り上がっている気がする。
 あの当時、今の知識があったら、ぼくは彼女に「ここはね」とご披露申し上げたのに、そこにある女性の下着屋に「一緒に入ろうよ」「入れるわけがないだろう」と押し問答して通り過ぎるばかりだった。今回行ってみたらまだ同じ店があって、日々流転する東京の中でも変らないものがあるものだなあ、と少し遠い目をしてしまった。
 あだしごとはさておきつ。

 さて、そのちょっとなんだか雰囲気の違う場所がここ。

 そこだけ長屋に4、5軒妙な感じに店が並んでる。よく見ると真ん中がふくらんでいる。
 実はここ、橋だったのである。この建物が橋の欄干部分にあたっている。かつてここには三十三間堀が流れていたが、今はない。暗渠の好きなぼくだけれど、ここは暗渠でもない。戦災で大量に出た瓦礫を処理するために埋め立てられてしまったのだ。



 普通、川を埋め立てる場合、橋を撤去してから作業した方がどう考えてもたやすい。事実、三十三間堀にかかる橋はここ以外すべて撤去されている。実は当時この橋には都電が走っており、撤去したくても撤去できなかったのだ。
 そこで埋め立てた場所と橋の下の部分に地下街が誕生した。



 現在の地下街。
 この通路が川筋にあたるわけだ。
 ここにはまだ昭和の時間が流れている。



 真ん中の「シネパトス」看板の上にゆるやかな勾配を描く鉄骨が見えるだろうか。そう、これ、残された橋桁なのだ。どれぐらい古いものか、想像がつきます? この橋が完成した当時、この橋桁の上を歩いた60歳以上の人間が生まれたのは、江戸時代。

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4 コメント

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チャレンジしてみます (aquira)
2010-02-11 19:32:05
 おお、そうですか。
 ぜひチャレンジしてみたいと思います。
 さすが、チェックが行き届いてらっしゃいますね。
 ぼくは、まだまだ修行が足りないです。
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けっこう大丈夫 (lotus62)
2010-02-10 19:47:52
あ、ここのカレー、結構美味しかったですwたしか日替わりでカツとかカキフライとかフライのコンビネーション物が安くなっていたはず・・・(平日ですが)。
ポテトサラダとハムエッグもいただいたことがありましたが、結構雰囲気あって美味しかったですよーww
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勇気がいります (aquira)
2010-02-10 18:44:06
 あそこで映画を見るのは大丈夫ですが、ものを食べるのは、ちょっと勇気がいる気が………。いや、別に衛生面が不安とかそういうのではないし、もっと汚いアジアの屋台で食べたりした経験はあるんですが。なぜかあの地下街の雰囲気は。
 あと、不思議なんですけれど、どういうわけか、ああした古い地下街って床屋さんがあるんですよねえ。
 いつか全身の勇気を振り絞って、あそこで髪を切るってのが、ぼくの夢(度胸試し)です。
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昭和の雰囲気ですよねえ (nama)
2010-02-10 11:37:40
こんにちは。
お返事、どうもありがとうございました。

いらしていただいてたなんて、こちらこそ、恐縮してしまいます。でもとてもうれしいです!
今後とも、よろしくお願いいたします。

三原橋地下街には、いろいろなロマン(というか萌え要素)が詰まっている気がします。あすこで、いつかカレーを食べるのが夢です。
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