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立山ウォーキング(後編)

2015年10月06日 23時24分01秒 | 観光
 そう言えば前回言い忘れていました。あの温泉、日本で1番高いところにある露天風呂だそうです。天空にある地獄の温泉、そんな二律背反も素敵な立山。
 さて、立山ウォーキング後編は立山の持つ宗教的な側面にふれてみるお散歩。

 そんな矢先、さっそく雷鳥に遭遇。幸先の良い出だし。春に西表島行ったときにヤマネコ会えないかなって思って、案の定その毛先すら見ることかなわなかったことに比べると立山フレンドリー。


 みくりが池。


 血の池地獄。そう、ここは死者たちが集まる地獄でもあった。


「立山に参詣に訪れた僧侶が、芦峅寺の姥堂前で山城國嵯峨小渕の道善と名乗る亡霊に遭遇する。道善が語るには、自分は生前、清涼寺(釈迦堂)の近くに住んでいながら参詣することもなく、名主としてぜいたくな暮らしをしていたので、その報いを受け餓鬼道に堕ちたのだという。そして僧侶に対し、自分が餓鬼道から救われるために、ぜひ遺族の妻子を訪ね、妻子が釈迦堂へお供え物をし、さらに法華八講の法事を催してくれるように伝えに行ってほしいと懇願した。
 これを聞いた僧侶は、遺族を納得させるだけの証拠を求めた。そこで道善は僧に着物の袖を形見の品として託し、消え失せて行った。のちに僧侶が嵯峨を訪れ、遺族の妻子に着物の袖を見せて一部始終を語ると、妻子は深く悲しみ、伝言通り法事を催して弔った。
 その後、嵯峨小渕の住人が立山参詣を行ったとき、道善が現れて「おかげさまで餓鬼道を出ることができた」と言って喜んだという。この説話は永正12年(1515)の『清涼寺縁起』に記されている」(福江充「立山曼荼羅」)

 この『清涼寺縁起』の筋立て、どこかでお目にかかったことはないだろうか。そう、まさに謡曲『善知鳥』とほぼ同じストーリーなのである。ハッピーエンドで終わる『清涼寺縁起』に対して、「助けてたべや御僧」と繰り返して消えていく『善知鳥』の結末は対照的だけれども、立山を中心に同じように亡者の苦しみと救済への望みを描いているわけで、これは立山という場所が地獄的な部分と救済にも繋がる極楽的な部分の二面性を持っていることを表しているようにも思える。事実、立山曼荼羅と呼ばれる宗教画は、至る所で地獄の拷問責苦が繰り広げられている中、山の向こうから阿弥陀如来が顔を出し救済を示唆している。いわば地獄と極楽のテーマパーク。

 無限軌道車と石仏。技術と信仰、まさに立山らしい光景だと思う。現在ここに人が集まるには技術が必要だし、過去ここに人が集まった原動力は信仰であった。この二つが今の立山にも息づいている。



 旧室堂。18世紀建造の日本最古の山小屋。単なる登山のための小屋ではなく、雄山神社登拝などのために使われた一種の宗教施設と言ってもいいかもしれない。


 だから旧室堂付近にはこうした石造りのお堂がいくつも並んでる。



 立山開山はその主人公は時代によってちょっと変わったりするけれども、狩りに使う鷹を追っていたら出くわした熊に邪魔をされたので、熊に向け矢を打ったらそのあと鷹と熊ともに同じ洞窟に入り、あとをつけてみたら、洞窟の中には不動明王と胸に矢を受けた阿弥陀如来がいた、と。そこで改心して出家し開山した、と。
 その洞窟がこちら。

 怖がりですから、元来。ここの何か持ってる雰囲気怖いけれども、ここを含めてこその立山なんだって実感しましたよ。山も温泉も歴史も素晴らしい立山。今度ここに来るときは剣岳に登りましょう。では、4回にわたった立山編、今回で終了です。お付き合いありがとうございました。

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