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岩船山にあの世への信仰を見ました

2014年11月02日 19時33分11秒 | 観光
 「次回岩船山にあの世への信仰を見ました、どうぞよろしく 」などと書きながらずいぶん時間が経ってしまいました。あの頃の残暑はすっかり晩秋へ様変わりして、衣替えなどもしてしまいました。
 前回書き終えて、まあぼちぼち調べて岩船山の信仰について書こうと思った心の浅はかさ。魚も棲めない浅さで、やれ甲羅干しにぴったりだと亀大喜びのわたしの心。よかったね、亀。
 いや、亀じゃなく。
 時間が経ってしまったのは、実は岩船山、あれだけの霊山なのに文献が見当たらないんです。実際行ってみるとわかるんですが、山自体には信仰の体臭が濃厚に漂っているのに、門前町はおろか、その名残さえもないんです。信仰の山ですから当然そこには関東各地から信心する人が訪れてもいいんですが、その気配がない。つまりぽつんと山一つが信仰の対象となってる。
 この信仰の山の面白いところは、関東の人々がここに集ったのではなく、この山のお地蔵さん(岩船地蔵)が逆に関東の人々のところに訪れているんです。18世紀、村から村へとお地蔵さんが送られていく形で関東地方を中心に大流行します。この栃木県岩船を出発して、群馬、埼玉、東京、神奈川、山梨、そして長野や新潟、静岡まで拡大していきます。

「近世における流行神仏は、その村の組織や秩序を前提にして、その組織にのって拡大した。それが村送りという方式であった。名主以下の村役人が正装して付き添い、村として行列を組み、他村を訪れ、踊るのである」(福田アジオ「歴史探索の手法」)

 祭礼みたいな形で村から村へと伝わっていったのです。ですから有名な割に本山そのものには門前町もないわけです。しかし、この山に漂う死者たちの気配は尋常ならざるものがありました。霊感だのスピリチュアルなんたらとかパワーポイント(わざとだから)とか鼻で笑うわたしですが、この山に染み込んだ人々の思いはどこか山形の山寺を思わせました。ムカサリ絵馬の世界です。
 本堂を除くとそこには、おびただしい数の着古した故人の衣服がかけられていて、異様な光景が暗がりに広がっていました。

 そして境内のお地蔵さんたちはどれも故人の衣装を身にまとい風雨にされされています。



 路傍に置かれた服もあります。中には服を着たまま人間だけが消えてしまったんじゃないか、という着てました感まんまんのものあって、気の弱いぼくの軽い悲鳴を誘っていました。



 幼くして亡くなった(あるいは生まれることなく亡くなった)子どもたちを供養するお地蔵さま。


 普段は訪れる人の少ない山ですが、なんだか人でいっぱいの雰囲気でありました。
コメント (2)
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