毎日が観光

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洞窟観音(高崎)

2006年08月10日 09時37分22秒 | 観光
 夏真っ盛り。
 容赦ない陽ざしはわずかな隙も見逃さず、うなじや手の甲などをチリチリ灼けさせる。
 暑い。あまりにも暑い。
 しかし、その前に立った瞬間、中から冷房より涼しい風が吹き、思わず身震いさせられる。汗が冷え、体が凍る。ここは高崎観音からしばらく下ったところにある洞窟観音。この洞窟に40体以上の観音像が安置されているのだ。

 ここで注目すべきは、ただ洞窟があったから観音像を置いているのではないということだ。ここには洞窟などなかった。
 作ったのだ。
 作ったのは、山田徳蔵。高崎観音の井上保三郎同様、実業家である。
 しかし、高崎観音が大規模工事によって着工してから2年で完成したのに対し、こちらは着工して50年、山田徳蔵自らがつるはしをふるって400mの洞窟の完成させて亡くなった、なんというか執念迫るもの。

 入り口の建築様式からして、何かこの世ならぬものを感じる。
 この前に立って、その長い年月の執念といい、異様な感じのつくりといい、さらに手作りという点でもシュヴァルの理想宮を思い起こした。

 フランスの郵便配達夫シュヴァルは1879年配達中に一つの石に躓く(これは比喩としての「躓く」ではなく、実際に物理的に躓いたのだ)。その石を手に取り、不思議な美しさに見せられた彼は、急に石工になることを決意、郵便配達夫を続けながら自分の手で一つ一つ石を組み上げ、上の写真のような宮殿を40年以上に渡って作り続けたのだ。
 さて、洞窟観音の中に入ってみよう。手で作られたとは思えないほど、中は広い。通路にあたる部分の両脇にさまざまな観音像が安置されているが、圧巻はホール状になっている終盤の部分。

 浅間山の溶岩を配したそこは観音が舞う浄土であった。

 よく見えないかもしれないけれど、中央にある白く長いものは滝を模したものだろう。
 滝があり、その下には渓流が流れている案配だ。

 そして渓流の最下部には亀。
 滝から渓流、その上部に観音像と一つの世界を形作っている。
 すごい、と思いつつも、怖い。
 ぼくを存在論的に恐怖させるのは、水と洞窟なので、実は洞窟だの、鍾乳洞(最悪は鍾乳洞などの中にある地底湖。ああ、怖い)などはものすごく苦手なのだ。苦手で体が震えるように怖いのに、なぜか水と洞窟に引き寄せられてしまう。アンビヴァレントなものほど力を持っているものである。
 自分で考えれば、水も洞窟も再生に関わるからだと思う。再生に関わるということは「死」に関わるからであり、その「死」はエリアーデの言う、「宇宙的な死」に関わるからだ。
 だから、この洞窟にもこんな文章が飾られていた。
  
  ここは黄泉の国
 母なる大地の中なり
 「こころ」病み
 疲れ果てたる人々よ
時には「胎児」のように
 只ひたすら瞑想し
  母なる大地の
   鳴動を聴け
  諸悪の根源を
 不動の剣で断ち祓い
「生き返るのだ 蘇るのだ」
 「生まれ変わるのだ」

 マーラーの復活の第5楽章っぽいが、洞窟において死と再生は表裏一体なのだ。

 一つの山に対照的な実業家が二人いて、対照的な観音を二つ作った。彼らは亡くなったが、観音像は時を越えて存在している。
コメント
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