明治16(1883)年に鹿児島で開催された九州沖縄連合共進会の物産陳列所として建設されたという石造建物。 設計者不詳ですが英国人か仏人技師によるものとも云われます。 県商工奨励館や県立博物館、考古資料館などと用途を変えて使用されてきましたが、現在は建物老朽化を理由にして内部は閉鎖されています。 鹿児島県鹿児島市城山町1-1 09年05月上旬
建物入口へと伸びる階段。
良く見ると階段の下半分は埋まっているように思えます。 かつて建物正面には庭園と池があり、もっと下から見上げるような権威付けされた建物だったのでしょうか。
「東…」の下の字も読み取れません。
バルコニーの手すりは菱形と半円を組み合わせたようなデザイン。
角張っていますが擬宝珠のようです。
アーチ部分の造形もシャープ。 九州各地で育まれた石造文化もここに極まれり。
装飾と補強を目的とした隅石。
戦災で外壁を残して内部焼失しているので、この寄せ棟屋根も戦後の再建と思われます。 当初は2階バルコニーの手すりと同じような意匠の屋根回りだったそうです。