エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

初雪

2016年11月25日 | ポエム
54年ぶりの11月の初雪、である。
嗚呼それなのに、ぼくは千葉県にバス旅に出かけたのであった。
目的は、養老渓谷の紅葉。
農溝(のうみぞ)の滝。
それに、ドイツ村のイルミネーション。
農溝の滝は、地元の方のインスタグラムから評判になったとのこと。
まるで、ジブリの世界!
まさに、そうした感じである。

雪降る中、ぼくは駅に向かった。
大降りであったから、ぼくは途中で挫折しそうになってしまった。
けれど「日和見主義」は笑われる、そう思った。

断固として、出かけたのである。



バスの車窓から、である。ピンぼけはお許しあれ!



この風景は、三好達治の詩を想起させる。
 太郎を眠らせ 太郎の屋根に雪ふりつむ
 次郎を眠らせ 次郎の屋根に雪ふりつむ
で、ある。



とまれ、初雪である。
千葉県も初雪である。
誰に聞いても、この時期の雪は始めてだと云う。

それに、かじかむ寒さである。







「初雪や窓の硝子に散華する」







亀山湖の風景を見ながら、初雪の気配を家事て頂ければ幸いである。
初雪の句は始めて詠んだ。
初雪の日は、ずっと暖房の傍にいたからである。

その意味で、とても嬉しい。
句として、まだだけれど初々しさは詠めたかな?



     荒 野人

白い山茶花

2016年11月24日 | ポエム
山茶花の八重。
山茶花の白の八重は「美しい」とか云いようが無い。



出会う度に、美しい女性に例えたくなる。
そうした思いに捕われる、のである。



山茶花が兼題となっているのだけれど、なかなか詠めない。
山茶花を俳句に留めるのは、難しいのである。







「山茶花や白き乳房を含みおり」







雨上がりの午前中、白の八重山茶花に出会ったのである。
たまたま、であった。
数本の木があって、古くなった自転車をその小さな公園の脇に置いて写真を撮った。



雨に濡れたままの山茶花の花弁は、透通るようであった。
﨟長けた、嫋やかな女性のように佇んでいるのだ。



誰もが虜になってしまう。
その妖しげな美しさは「妖気」すら湛えている。
この季節しか出会えない、山茶花の白である。




       荒 野人

照紅葉

2016年11月23日 | ポエム
里も、そろそろ紅葉の鮮やかな候に入る。
その紅葉を陽射しが照らす。
「照紅葉」となる、のである。

誰もが、美しいと合点する刹那である。



過日、関東の名刹「平林寺」の紅葉の下見に出かけた。
従兄に、平林寺の紅葉を見せたいからである。



平林寺の紅葉は、京都の赤に負ける事が無い。
鮮やかな赤なのである。







「屈託の欠片もいらぬ照紅葉」







けれど、今日の紅葉は八ヶ岳の麓である。
三分の一湧水の紅葉だ。



ほんの小さな四阿の屋根に枝垂れかかる紅葉は、見事である。
赤も黄も、季節を告げる。
告げつつ、自らは枯れ果てるのだ。

それが紅葉の美学である。
さらば、秋の光。
徒花となって散りゆけかし。



     荒 野人

皇帝ダリアに思う

2016年11月22日 | ポエム
皇帝ダリアは、いまが咲き時。
多くの蕾と、大輪の花が渾然一体となって虚空を指差している。



今、鴨長明の方丈記を読み解いている。
ぼくの今の心境は、この序章にある。
そう思えてならないのだ。



今年は長明の没後、800年である。
それにしても、こに方丈記の文章は現在を照らして退色する事が無い。
色褪せる事が無いのである。







「折合といふ愚かしさ冬景色」







「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」と言葉が紡がれていく。
然も、その後には以下のように続いている。
「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし」
そして、世の中の人と栖とはこのようなものである・・・と云いきっている。

改めてお読みになられる事を薦めたい、一冊である。

さて、今朝は六時からすっと情報番組に釘付けになっている。
六時一分前の大きな揺れである。
あの、3.11を想起させる揺れであった。

現地の皆さんの恐怖はいかばかりだったか、想像に難く無い。
心からお見舞い申し上げたい。



     荒 野人

銀杏並木の黄葉

2016年11月21日 | ポエム
あたかも、ブラックホールである。
その並木の向こうには、異次元の世界があるのでは無いか・・・。
そう思わせる。



いや、予感させるのである。
深く昏い、のである。



先には、人が蠢く。
蠢いて人類最後の日を、予感させるのである。
あらゆる文明がそうであるように、最終日を予言する。
ハルマゲドンもそうした思想の一つである。







「黄葉やいてふ並木の底深き」







並木の横径は、陽射しがある。
そこに、一途の「救い」を示すのである。



嗚呼、今年の秋よ。
短く、鋭かった秋よ。
而して、冬を讃えよ。

細胞の一つひとつは、まだ馴れきれない。
いきなり来た、寒さに心が凍えるようだ。



     荒 野人