エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

新装なった牧野記念庭園に出かけたのである!

2010年08月10日 | 日記
なるほど庭園が綺麗に整備されてしまった。

しかし一歩この庭園に踏み入るやいなや、藪蚊(やぶっか)が猛烈に攻撃してくるのであった。
ぼくは短パンであったからか、脛(すね)をめがけて攻撃してくるのである。



パタパタと叩(はた)きつつ、見学も早々に切り上げざるを得なかった。
この庭園は新装オープンしたばかりである。



流石(さすが)である。
牧野博士が命名した「スエコザサ」の植え込みが迎えてくれる。

スエコザサは略称であって「ササ・スエコヤナ・マキノ」が正式名称である。

スエコは牧野博士の夫人のお名前である。

これも正確には「壽衛」である。



壽衛夫人は、今なお牧野博士を守っておられる。
これは牧野博士の胸像である。



入口からのアプローチである。

いまこの庭園に花は1種類しか咲いていない。



「キツネノカミソリ」である。
ヒガンバナ科の花で8月から9月に咲くのである。



これから次々と咲いていく。
この庭園での見ごろは、今週一杯ではないだろうか。



この「キツネノカミソリ」の群落の先に、石碑が建っている。



「花在れバこそ 吾れも在り」

である。

藪蚊の軍団に追い立てられるように、愛車に逃げ込んだのである。
この車もあと2日間の付き合いとなってしまった。

2日後からは、エコを考えてハイブリッド・カーに乗り換えるのである。



庭園を車窓から見上げたら、万緑の葉の重なりが迫って来た。

藪蚊が脛に吸い跡を残している。

痒(かゆ)みを忘れるため、アイネ・クライネ・ナハトムジークト長調 K.525をかけて手足を動かしてみたけれど、痒みは増すばかりであった。






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                     荒野人

長崎・・・鎮魂の一日に同化したい!

2010年08月09日 | 日記
長崎は65年目の原爆の日である。
痛ましく、かつ非人間的な原爆投下から65年経ったのである。



ぼくは、11時02分長崎方向に向かい黙祷を捧げた。
やはり、涙が止まらなかった。

長崎の人々の心から、あの日の悲しみは癒えていないのである。

長崎は、山に囲まれた街である。
そして一番の低地に港がある。

稲佐山に登ればそれが良く分かる。
ここからの夜景は「100万ドルの夜景」と言われる。

坂が多く綺麗な、そして歴史的に貴重な街である。





         長崎の鐘に


      坂を上って
      あなたは振り向いた事が
      あるか

      坂は
      わたしの人生であって
      振り返る事の
      辛さに
      満ちている

      坂は上り切ると
      街を俯瞰させつつ
      浦上天主堂からの
      鐘を響かせる

      坂はいつもそうだ
      坂は
      無機質に傾斜して
      未来への
      道を紡ぐのだ

      あたしは
      振り返らなかった
      65年経っても
      振り返るのが
      怖かったからだ

      長崎の鐘は
      坂を転げ落ちるように
      あたしたちの心に
      鳴り響き
      坂を転げ落ちるようでいて
      街中に
      鐘の音を
      跳ね返しつつ
      鳴り響かせるのだ

      ああ
      長崎の鐘よ
      いま一度
      あたしの内部に入り込み
      あたしを懐胎させよ

      そしてその音色をして
      散華せよ

      時間という
      おぞましくも
      華美なる天女を制御せよ
      理性と知性をして
      散華させよ






歴史を鎮魂しつつ、風化を許さないとの決意を込めて哀悼の誠を捧げるものである。
2010年8月9日


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熱さも一服・・・しかし植物に異変あり!

2010年08月09日 | 日記
夜来の雨が降り続いている。
台風の雨であろうか?

である・・・としたらこの雨で熱さは追い上げられるかもしれない。
わずかの期待を持ちたいものである。

さて、ぼくたちはいま「熱い熱い・・・!」と言いながら普通に生活している。
ここで言う「普通」とは、通常の生活様式と言った程度の意味合いである。

だがしかし、植物の世界では異変が起きているのである。



エゴの樹である。
葉が枯れている。



欅である。



橡(とち)の樹である。
見事に枯れてしまっている。

30度を連日越えた気温が、この異変を現出させたのであろう。

今日ぼくが驚いたのは、もう一本の樹である。



銀杏の葉である。
あたかも黄色に紅葉しているかのようである。

上を見上げて驚いたのである。

不思議な風景である。



これは枯れている・・・というより葉が炭化してしまったかのようだ。
アオキの葉である。
真黒になっている。

ぼくはこの葉を一葉失敬して帰宅。
玄関で火を着けてみた。



すると枯葉が燃えるのではなく、炭のように着火して燃えていった。
片手で燃やし、片手で写真を撮ったのでぶれてしまった。

見にくいのだけれど、感じは伝わると思うのである。

30度で連日照りつけるとして、葉のでんぷん質はこのように炭化するのであろうか?
不思議である。

こうした現象を見ると、やはり地球の生態系は変わっていくのであろうか。
場合によれば、極めて非科学的な発想であるけれども、地球の地軸がずれていないだろうか?

S極とN極の位置が傾き、ずれているとすればこうした現象は一定程度解明できるのである。


怖ろしい気がするのである。






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風立ちぬ、いざ生きめやも

2010年08月08日 | 日記
立秋の夜。
窓から涼しい風が吹きこんできた。

風立ちぬ、いざ生きめやも・・・である。
熱風が吹く昼と違って、夜は涼しくなってきている。

確実に季節が変わろうとしている。



今日の空である。
雲が変幻自在に絵を描き始めた。

空の主人公は、秋の雲に変わろうとしている。
入道雲は低い位置に抑え込まれつつあるのだ。



木芙蓉である。
ピンクの色から、少し酔っぱらった感じを受けたらしく「酔芙蓉」とも言うのである。

ピンクから赤色になって朽ちる花である。
酔いが深くなっていくという訳だ。



これも木芙蓉だ。
真紅の色であるけれど、可愛らしい。



真紅と言えばこれは「鶏頭」である。
鶏頭となれども龍尾となるべからずの、鶏頭である。

鶏のトサカに似ていることから着いた名前である。
従って、トサカは「鶏冠」とも書くのである。



今日の昼である。
セミが煩かった。

ミンミン蝉である。



短い命を謳歌するのである。

いま、町中にはムクゲの花が咲き初めている。
長く花を楽しませてくれるのである。



韓国の国花でもある。

立秋を過ぎた今、昼の陽射しがいかに厳しくとも、夜は「夜の女王」が君臨する。
冷たい夜の女王に抱き竦(すく)められたいものである。





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追悼の日に・・・核なき世界へ

2010年08月07日 | 日記
昨日は、広島に原爆が投下された日であった。
65年目の「原爆の日」である。

オバマ・ドクトリンによる「核なき世界」へ、大きな一歩を刻んだ日でもある。

オバマ大統領によるプラハ演説の驚愕が、いま大地に足を着けた・・・と言える。

米・英・仏駐日大使の参加、あるいはロシア・パキスタンという核保有国の参加といったエポックもさることながら、国連事務総長「藩 基文(パン・ギムン)」氏の平和式典への出席は、時代という歯車を動かしたのだと思う。

氏は、広島の平和式典参列の前、長崎を訪ねた。
「私にとっては最も深く心を揺さぶられた日だった。私の人生で、この種の感動的な日を経験したことはなかった。」というコメントには、落涙するしか無かった。

戦争は、悲劇の再生産である。

この日、空は澄み渡って夕焼けが空と人々の内面を茜色に彩った。







         追悼の日に


      追悼の日
      8時15分

      ぼくは黙祷を捧げた

      追悼の日
      8時15分

      ぼくはテラを考えた

      追悼の日
      8時15分

      ぼくはあなたの洩声を聞いた

      追悼の日
      8時15分

      ぼくは死に
      そして生きつづけた
      テラは喘(あえ)ぎ
      瀕死の床にあった
      あなたは
      苦悩の中にあって
      新しい道筋を探っているというのに
      ぼくは
      淡々と生き
      淡々と死に
      淡々とあなたを見つめる
      ぼくは
      すでに
      そうした生きかた以外
      生命力を保持しえなくなって
      しまっている
      あなたはテラであって
      新しいぼくの支柱

      追悼の日
      8時15分

      ぼくは
      ぼくに黙祷を捧げた
      淡々とした専念は
      ひたすらの没頭であるのかもしれない

      追悼の日
      8時15分

      ぼくは
      あなたというテラを
      考えた
      のである







かつて、広島・長崎の式典には毎年のように行った。
熱い日ばかりであった。

広島は夕方になると凪(なぎ)となって風も吹かない。
夾竹桃が赤く咲いている。
お好み焼き横丁に出かけ、滝のように汗を流して食べたものだった。

長崎は、坂の多い街であって汗と切り離せないのである。
隘地ともいう長崎港は夕景が美しいのである。

町中に溢れる長崎チャンポンの匂いが体にねっとりとまとわりついてくる。

広島も長崎も・・・特徴のある美しい街である。
だからこそ原爆が投下された。



ぼくは、今年の黙祷ほど感動したことは無かった。





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