エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

追悼の日に・・・核なき世界へ

2010年08月07日 | 日記
昨日は、広島に原爆が投下された日であった。
65年目の「原爆の日」である。

オバマ・ドクトリンによる「核なき世界」へ、大きな一歩を刻んだ日でもある。

オバマ大統領によるプラハ演説の驚愕が、いま大地に足を着けた・・・と言える。

米・英・仏駐日大使の参加、あるいはロシア・パキスタンという核保有国の参加といったエポックもさることながら、国連事務総長「藩 基文(パン・ギムン)」氏の平和式典への出席は、時代という歯車を動かしたのだと思う。

氏は、広島の平和式典参列の前、長崎を訪ねた。
「私にとっては最も深く心を揺さぶられた日だった。私の人生で、この種の感動的な日を経験したことはなかった。」というコメントには、落涙するしか無かった。

戦争は、悲劇の再生産である。

この日、空は澄み渡って夕焼けが空と人々の内面を茜色に彩った。







         追悼の日に


      追悼の日
      8時15分

      ぼくは黙祷を捧げた

      追悼の日
      8時15分

      ぼくはテラを考えた

      追悼の日
      8時15分

      ぼくはあなたの洩声を聞いた

      追悼の日
      8時15分

      ぼくは死に
      そして生きつづけた
      テラは喘(あえ)ぎ
      瀕死の床にあった
      あなたは
      苦悩の中にあって
      新しい道筋を探っているというのに
      ぼくは
      淡々と生き
      淡々と死に
      淡々とあなたを見つめる
      ぼくは
      すでに
      そうした生きかた以外
      生命力を保持しえなくなって
      しまっている
      あなたはテラであって
      新しいぼくの支柱

      追悼の日
      8時15分

      ぼくは
      ぼくに黙祷を捧げた
      淡々とした専念は
      ひたすらの没頭であるのかもしれない

      追悼の日
      8時15分

      ぼくは
      あなたというテラを
      考えた
      のである







かつて、広島・長崎の式典には毎年のように行った。
熱い日ばかりであった。

広島は夕方になると凪(なぎ)となって風も吹かない。
夾竹桃が赤く咲いている。
お好み焼き横丁に出かけ、滝のように汗を流して食べたものだった。

長崎は、坂の多い街であって汗と切り離せないのである。
隘地ともいう長崎港は夕景が美しいのである。

町中に溢れる長崎チャンポンの匂いが体にねっとりとまとわりついてくる。

広島も長崎も・・・特徴のある美しい街である。
だからこそ原爆が投下された。



ぼくは、今年の黙祷ほど感動したことは無かった。





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八ヶ岳の麓から・・・高原の百合

2010年08月07日 | 日記
富士見高原・百合の里の総集編である。

デジタル・ブックに編集しました。



時間のある方も、無い方も・・・どうぞご覧下さい。



デジブック 『高原の百合』




百合の花のある斜面は視線を緊張させておく必要があるけれど、それは楽しい緊張である。



この斜面の向こうに一体何があるのだろう?
どんな風景が広がっているのだろう・・・その想像が楽しさの源泉である。



そうか、百合の背丈は高いんだ!
と思い知る。






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