エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

八ヶ岳の麓から・・・百合の里に咲いていないのは!

2010年08月03日 | 日記
八ヶ岳の百合の里で咲いていないのは「黒百合」である。



これが黒百合である。
1954年(S.29)「黒百合は 恋の花・・・」と歌ったのは織井茂子である。

作詞 菊田 一夫
作曲 古関 裕而

の両巨頭である。

二番は「 黒百合は 魔物だよ」三番は「黒百合は 毒の花」と歌い継いでいくのである。

黒百合の花言葉は「恋」「恋の魔術」「ときめき」「呪い」である。
確かに不吉な要素の色濃い花言葉である。



百合の花言葉は「威厳」「純潔」「無垢」である。
美しいイメージに溢れている。



百合の花弁にアキアカネが停まっていた。
もう少し時間がたってくれば「アカトンボ」が群舞する。

秋の爽やかさが待ち遠しい熱い夏である。






にほんブログ村 シニア日記ブログ 団塊の世代へにほんブログ村
                     荒野人

八ヶ岳の麓から・・・ミネラル豊かな野菜たち

2010年08月03日 | 日記
八ヶ岳の麓も熱い。
気象変動を実感せざるをえないのである。

例年だと、午後も6時を過ぎると、その日いくら熱くても涼風が吹き渡ってくれる。
しかし、今年は10時を過ぎてもムシムシと熱いのである。

ぼくの経験でも、こうした熱さは記憶が無いのである。

例年だと午後の6時くらいになると、その日いくら熱くても涼風が吹き渡るものだった。
それが夜の10時になっても、大気に熱が籠っている。

しかし、高原野菜たちは収穫をせがんでいる。



それにしても、このトウモロコ畑の有様は何だと言うのだ!
根元から折られたり、途中で折られたりしている。
しかもモロコシも齧られてしまっている。

一番甘いモロコシを悪戯されているのである。
今が一番甘く、かつ美味しいモロコシである。



悪戯から免れたモロコシである。
犯人は、カラスではない。

夜中に悪戯している。
キツネやタヌキであると思う。

こうした野生の生き物が、この里まで降りて来て農作物を荒らすのはかつて無かった。
その原因は何なのだろうか?

寡聞にしてぼくには分からない。
しかし、これだけは分かる・・・山に異常が起きているのだと。

わが茅屋の畑は土が良いからであろう、野菜の出来がとても宜しいのである。
農薬を使わない事は当然である。
義父が丹精込めた土である。

今日・明日で収穫した野菜を紹介しよう。

とりあえず・・・。



茗荷である。

冷奴にしても、素麺にしてもその役割は「薬味」である。
時として、主役をも食ってしまう薬味である。

ぼくは、大量の茗荷を大量にスライスして、その上にこれまた大量の鰹節を載せる。
おもむろにポン酢をかけて「エイヤッ」とアツアツのご飯に載せて頬張る。

美味いのである。



不揃いのラディッシュである。
不揃いでも味は折紙つきである。

かつて室生犀星は「たとえ鰯と云えども、形正しからざるものには鍋を貸すべからず!」
と言い放ったけれど、形正しからざるとも、美味いものは旨いのである。

そうそう今日は「バラいちご」を摘んだ。



甘酸っぱい味である。
子ども時代を蘇らせる魔法の果実である。



ルビー色の可愛い果実である。
たったのこれだけ収穫できたのであった。

大切にみんなでいただいた。
妹と争って食べた記憶が蘇ってきて、なんだか嬉しかった。





にほんブログ村 シニア日記ブログ 団塊の世代へにほんブログ村
                     荒野人