平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

江~姫たちの戦国~第9回「義父の涙」

2011年03月07日 | 大河ドラマ・時代劇
★史実は別として、今回は勝家(大地康雄)の葛藤がよく描けていたのではないでしょうか。
 父親を再び失うことを怖れる娘たちを思い、いくさを避けようとする勝家。
 一方で、やりたい放題の秀吉(岸谷五朗)に怒り、誇りを傷つけられ、信孝(金井勇太)からは共闘の要請が来ている。
 勝家の葛藤がよく描けていたと思います。
 「平穏で安らかな暮らしを知ってしもうたがため、わしも(いくさに)行きたくないのじゃ」とポロリと漏らす本音も人間らしい。

 人生の最期にあたって獲得することが出来た家族。
 家族と共に過ごす歓びとふれあう温もり。
 勝家は幸せであったことでしょう。

 また江(上野樹里)の御守り袋を含めた小道具もなかなか気が利いている。
 次回も効果的に活用されることでしょうね。

★さて今回は<時代>と<ドラマ>の関連について。
 つるの剛士さんの育児休暇やイクメンという言葉が示すとおり、現代は男性が家庭を大事にする時代。
 男性が仕事よりも家族を優先する時代。
 そんな時代を背景にして、今回の勝家像が形作られたのであろう。

 大河ドラマで、これと同じラインの作品としては「功名が辻」。
 しかし、「功名が辻」の一豊はあくまで、家族のために仕事をがんばるお父さんで、今回の勝家のように<家族>か<仕事(いくさ)>かで迷うことはなかった。
 <男が外で仕事をすることが家族の幸せに繋がる>という論理で貫かれていた。
 しかし、今回の勝家は極めて内向きである。
 内向き過ぎる。
 もし、一豊が同じ状況に置かれていたら、娘の「いくさはイヤでございます」などという言葉に迷うことなどなかったであろう。

 男性の女性化。
 僕はこれを全く悪いことだと思わない。
 むしろ、市(鈴木保奈美)が勝家に言った「誇りを貫き、武士として死ねることこそ歓び。それが男というもの」という言葉の方に違和感を感じる。
 これこそ昔の男性論理だからだ。

 時代と共にドラマは変わる。
 ドラマを始めとするあらゆる表現は時代の反映。
 今回の勝家像はそんなことを感じさせてくれた。


※追記
 先程<男性の女性化>と書きましたが、これは表現の便宜上のことで、<男性らしい><女性らしい>と分けること自体が間違っているというジェンダー論を支持しています。
 すべての価値観は時代と共に変わりますし、相対的なものですから。

※追記
 そう言えば、勝家は上手に刺繍をしていましたね。
 これも女性化?


コメント (2)
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