2年前(2019年)くらいからだったと思うけど、当ブログでは、しきりに「神話」ということを言ってまして……。「物語の愉楽」なんてカテゴリをつくって、やれ「プリキュアは神話だ。」「どろろも神話だ。」てな具合にやってたんだけども。
そりゃすべての物語(説話)ってものは神話的構造をもってるんだから、あからさまにサブカル(商品)として創作されるジャンルにおいて、それぞれの作品が神話に通底してるのは当然なんだ。だから間違ったことは言ってない。間違ったことは言ってないんだけど、しかし、いつまでもそればかり主張してても仕方ないぞってところはありますね。
手持ちの資料が乏しいもんで、アカデミックとはいかないけれども、もうすこし詰められぬものか。「物語の愉楽」のカテゴリでは、「メロドラマ」「竜退治」といったキーワードを使っていろいろと考えたりもして、それなりに手ごたえはあったが、あらためて思いなおすと、ニッポンのサブカルについて考察するのに、なんで西欧由来のコンセプトばかり持ってくるんだって気もする。自前の伝統のなかにそういうものはなかったんかいと。
いや、ありました。この国には江戸270年の泰平ってものがあったんだから、メインもサブもひっくるめて、相応にカルチャーは爛熟してたんだよね。どうしてもぼくらは、1945年の敗戦でブツッと切れ、1867(もしくは68)年の明治維新でブツッと切れ、ってぐあいに、日本史を切断でとらえちゃうもんで(受験教育の弊害です)、つい見逃しちゃうけども、たしかに切断っていうか、根こそぎ変わってしまった面もあるにせよ、連なってる面だってもちろんあるわけだ。そっちのほうをもっとしっかり見るべきではないか。
「プリキュアは歌舞伎だ!」ってのは、キャッチコピーとして見るならば、「ああなるほど似てるよね。」くらいの話かもしれぬが、前回試みたとおり、ざっくりとでも系譜を辿っていくことはできるわけですよ。つまり、たんに類比的な相似性ってだけではなく、系譜学的にも立証可能というわけね。
ここではあえて「実写」と「アニメ」をサブカルとして一緒くたに括っちゃってますが……いや「日本アニメ論」をまじめにやるなら、たぶん浮世絵の話か、下手すると中世の絵巻物からってことになるんで、それはまたの機会にして、このまま先へ進めます。
「プリキュア」や「どろろ」に代表されるアクション系の現代アニメは(ほかにもっと適切な作品があるのかもしれぬが、ぼくはアニメに詳しくないんで、自分がよく知ってるものを挙げてます)、歌舞伎に淵源をもっている。
歌舞伎。これは江戸期を代表するサブカルチャーですね。
そのあいだをつなぐのが、いわゆる特撮ヒーローもの/およびヒーローものアニメ。仮面ライダーが昭和後期の、月光仮面が「戦後」のそれぞれ代表といえる。
さらにそれらをつなぐのが、明治後期~大正~昭和初期(戦前)にかけての剣戟活劇、いわゆるチャンバラ映画ね。大雑把にいってそんな流れをわたしは想定しています。
「チャンバラ映画なんて古臭い。」と思ったら大間違いで、早い話、『鬼滅の刃』はチャンバラアニメじゃないか。あそこまでヒットするのには様々な理由があるんだろうけど、あれがチャンバラだってことはかなり大きな要因を占めていると思いますよ。なんのこたぁない、われわれは今でもチャンバラが大好きなんですね。忍者ものまで含めるならば、明らかにそう言えるでしょう。われわれは今でもチャンバラが好き。今風の味付けさえ施してやれば、いくらでも需要はあるわけね。
といって、モノホンの時代劇となるとね……阪東妻三郎、市川右太衛門(旗本退屈男)、片岡千恵蔵、大河内傅次郎(丹下左膳)、嵐寛寿郎(鞍馬天狗)、林長二郎(のちの芸名は長谷川一夫)……といった名前が平成生まれに馴染みがないのはたしかだろうけど……バンヅマが田村正和ほか三兄弟の父君で、右太衛門が北大路欣也の父君だってことくらいは、なんとなく聞いたことあるかもしれませんけども。
しかし、これらのスタアは戦前から活躍してたには違いないが、じつは戦後になってもその多くがまだ第一線にいたんだよね。右太衛門の『旗本退屈男』なんて、映画版の第一作は1930(昭和5)年だけど、ラストの第30作は1963(昭和38)年に封切られてるんだから。さすがにこれは大記録ですが、でも1950年代には、バンヅマ版の丹下左膳も封切られたし、それと対抗するように、本家・大河内傅次郎の丹下左膳も公開されてる。だいたい1963年といえば、市川雷蔵というニュースタアが出て、「眠狂四郎」シリーズが始まった年だし。
(なお、敗戦後5年のあいだチャンバラが撮られなかったのは……「時代劇」は細々とながら制作されていたが……GHQ(占領軍)が俗称「チャンバラ禁止令」を発令していたため。それがなくなった1950年代にチャンバラを含む時代劇がどっと作られ、質量ともに黄金期を迎える。)
「月光仮面」は前回も述べたとおり1958(昭和33)年に放送がはじまったから、戦後の1960年代くらいまでは、いわばチャンバラ・ヒーローと特撮ヒーローとが並走していたことになる。これは娯楽の主流が劇場からテレビに移っていったってことでもあり、つまりメディア論にも関わってきますが、いずれにせよ、「系譜をたどる」といっても、数直線みたいにそれぞれが律儀に並んでるわけじゃなく、絡み合ったり、縺れ合ったりしてるんですけどね。文化史っていうか、歴史ってのはそういうものですからね。
そりゃすべての物語(説話)ってものは神話的構造をもってるんだから、あからさまにサブカル(商品)として創作されるジャンルにおいて、それぞれの作品が神話に通底してるのは当然なんだ。だから間違ったことは言ってない。間違ったことは言ってないんだけど、しかし、いつまでもそればかり主張してても仕方ないぞってところはありますね。
手持ちの資料が乏しいもんで、アカデミックとはいかないけれども、もうすこし詰められぬものか。「物語の愉楽」のカテゴリでは、「メロドラマ」「竜退治」といったキーワードを使っていろいろと考えたりもして、それなりに手ごたえはあったが、あらためて思いなおすと、ニッポンのサブカルについて考察するのに、なんで西欧由来のコンセプトばかり持ってくるんだって気もする。自前の伝統のなかにそういうものはなかったんかいと。
いや、ありました。この国には江戸270年の泰平ってものがあったんだから、メインもサブもひっくるめて、相応にカルチャーは爛熟してたんだよね。どうしてもぼくらは、1945年の敗戦でブツッと切れ、1867(もしくは68)年の明治維新でブツッと切れ、ってぐあいに、日本史を切断でとらえちゃうもんで(受験教育の弊害です)、つい見逃しちゃうけども、たしかに切断っていうか、根こそぎ変わってしまった面もあるにせよ、連なってる面だってもちろんあるわけだ。そっちのほうをもっとしっかり見るべきではないか。
「プリキュアは歌舞伎だ!」ってのは、キャッチコピーとして見るならば、「ああなるほど似てるよね。」くらいの話かもしれぬが、前回試みたとおり、ざっくりとでも系譜を辿っていくことはできるわけですよ。つまり、たんに類比的な相似性ってだけではなく、系譜学的にも立証可能というわけね。
ここではあえて「実写」と「アニメ」をサブカルとして一緒くたに括っちゃってますが……いや「日本アニメ論」をまじめにやるなら、たぶん浮世絵の話か、下手すると中世の絵巻物からってことになるんで、それはまたの機会にして、このまま先へ進めます。
「プリキュア」や「どろろ」に代表されるアクション系の現代アニメは(ほかにもっと適切な作品があるのかもしれぬが、ぼくはアニメに詳しくないんで、自分がよく知ってるものを挙げてます)、歌舞伎に淵源をもっている。
歌舞伎。これは江戸期を代表するサブカルチャーですね。
そのあいだをつなぐのが、いわゆる特撮ヒーローもの/およびヒーローものアニメ。仮面ライダーが昭和後期の、月光仮面が「戦後」のそれぞれ代表といえる。
さらにそれらをつなぐのが、明治後期~大正~昭和初期(戦前)にかけての剣戟活劇、いわゆるチャンバラ映画ね。大雑把にいってそんな流れをわたしは想定しています。
「チャンバラ映画なんて古臭い。」と思ったら大間違いで、早い話、『鬼滅の刃』はチャンバラアニメじゃないか。あそこまでヒットするのには様々な理由があるんだろうけど、あれがチャンバラだってことはかなり大きな要因を占めていると思いますよ。なんのこたぁない、われわれは今でもチャンバラが大好きなんですね。忍者ものまで含めるならば、明らかにそう言えるでしょう。われわれは今でもチャンバラが好き。今風の味付けさえ施してやれば、いくらでも需要はあるわけね。
といって、モノホンの時代劇となるとね……阪東妻三郎、市川右太衛門(旗本退屈男)、片岡千恵蔵、大河内傅次郎(丹下左膳)、嵐寛寿郎(鞍馬天狗)、林長二郎(のちの芸名は長谷川一夫)……といった名前が平成生まれに馴染みがないのはたしかだろうけど……バンヅマが田村正和ほか三兄弟の父君で、右太衛門が北大路欣也の父君だってことくらいは、なんとなく聞いたことあるかもしれませんけども。
しかし、これらのスタアは戦前から活躍してたには違いないが、じつは戦後になってもその多くがまだ第一線にいたんだよね。右太衛門の『旗本退屈男』なんて、映画版の第一作は1930(昭和5)年だけど、ラストの第30作は1963(昭和38)年に封切られてるんだから。さすがにこれは大記録ですが、でも1950年代には、バンヅマ版の丹下左膳も封切られたし、それと対抗するように、本家・大河内傅次郎の丹下左膳も公開されてる。だいたい1963年といえば、市川雷蔵というニュースタアが出て、「眠狂四郎」シリーズが始まった年だし。
(なお、敗戦後5年のあいだチャンバラが撮られなかったのは……「時代劇」は細々とながら制作されていたが……GHQ(占領軍)が俗称「チャンバラ禁止令」を発令していたため。それがなくなった1950年代にチャンバラを含む時代劇がどっと作られ、質量ともに黄金期を迎える。)
「月光仮面」は前回も述べたとおり1958(昭和33)年に放送がはじまったから、戦後の1960年代くらいまでは、いわばチャンバラ・ヒーローと特撮ヒーローとが並走していたことになる。これは娯楽の主流が劇場からテレビに移っていったってことでもあり、つまりメディア論にも関わってきますが、いずれにせよ、「系譜をたどる」といっても、数直線みたいにそれぞれが律儀に並んでるわけじゃなく、絡み合ったり、縺れ合ったりしてるんですけどね。文化史っていうか、歴史ってのはそういうものですからね。