ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

サンフランシスコ平和条約と60年安保闘争 01

2021-09-08 | 戦後民主主義/新自由主義



 今日は9月8日。きっかり70年前の1951(昭和26)年、カリフォルニア州サンフランシスコにて、連合国と日本とのあいだにTreaty of Peace with Japanが結ばれた。いわゆるサンフランシスコ平和条約。講和条約ともいいますが。
 この調印によって、日本はようやく戦争を終えた。それまでは法的にはまだ戦時がつづいてたわけね。むろん交戦状態ではなく、日本軍は解体されて、GHQ(General Headquarters 連合国最高司令官総司令部)に……つまりはアメリカ軍に占領統治されていたんですが。
 この条約によって日本は国際社会に復帰を果たしたわけだけど、それは同時に「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」とセットになっていた。こちらがいわゆる(旧)安保条約。9年後、この(旧)安保条約の改定をめぐって日本全土が騒然となります。60年安保闘争というやつで、主催者発表で計33万人、警視庁発表でも約13万人という数のデモ隊が国会議事堂を取り巻いた。まさに政治の季節。




 ときの首相は安倍晋三の祖父・岸信介。岸は念願だった安保条約の改定を果たすが、結果として辞任を余儀なくされる。安倍氏がその際の祖父の無念をずっと抱えているのは有名な話。
 ぼくは昭和後期の生まれだから、「60年安保」はリアルタイムでは知らず、その10年後の「70年安保」についてうっすらと朧げな記憶があるだけなんだけど、それでも「60年安保は凄かった。」という風評だけは何とはなしに知っていた。とはいえ、なぜそれほどの騒擾が巻き起こったのかは自分の中で長らく判然とせぬままだった。
 わからないのも仕方がなくて、じつは話は太平洋戦争から連綿とつながっていたのである。内田樹さん(1950/昭和25生まれ)はそのあたりの機微をうまいぐあいに纏めている。


http://blog.tatsuru.com/2008/07/06_1145.html
「全共闘運動は日本をどう変えたか?」


 このなかで、内田さんはこう述べている。

「60年安保は反米ナショナリズムの闘争であるが、それは15年前に完遂されるべきだった「本土決戦」を幻想的なかたちで再生したものである。
ただ、その標的は今度はアメリカそのものではなく、「アメリカに迎合した日本人」たちに(具体的には戦前は満州国経営に辣腕を揮い、東条内閣の商工大臣の職にありA級戦犯として逮捕されながら、アメリカの反共戦略に乗じて総理大臣になった岸信介)向けられていた。」










 しかし平成中期~後半生まれの皆さんにはこれでもまだピンとこないだろうなあ。ぼくなりに乱暴に言い換えるならば、昭和20年の敗戦時にはあまりの衝撃ゆえに有耶無耶になってしまった大衆の激越な「怒り」のエネルギーが深層レベルでマグマのごとく煮え滾り、15年の歳月を経て当時の子供たちを中心として一挙に噴き上がった、ということであろう。

(つづく)