「HUGっと!プリキュア」の制作陣は、49話×23分(推定)=1127分(推定)という尺を所与のものとして、劈頭からラストシーンまで、ほぼ隙のない「一本の作品」をつくろうとしてるのではないか、と前々回にぼくは書いた。
それくらい、ひとつひとつのカットに無駄がなく、すべてが濃密で、有機的につながってるのだ。トータル・コーディネートが行き届いているとでも言うか。
もうひとつ、「光と影」の描写がおそろしく緻密だ、とも書いた。「光と影」については、16話がとにかく凄くて、2018年の時点におけるアニメ表現のひとつの極ではなかったかと思う。以下の図版は、ほんの片鱗にすぎない。
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16話より。
この「光と影」と、トータル・コーディネート、ふたつの特徴がいかんなく発揮されたのが次のシークエンスだろう。
01話。転校初日、ふしぎな赤ちゃんの声に導かれ、校舎の屋上に出た野乃はなが、薬師寺さあや(CV 本泉莉奈)、輝木ほまれ(CV 小倉唯)の2人と出会うシーン。
いちおう同級生なので、お互いにまるっきりの初対面ではないのだが、3人が一堂に会して顔を合わせるのはこれが最初である。
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のちにプリキュアとして共に闘う仲間たちなので、まあ運命の出会いといっていいと思うが、いかにも運命の出会いにふさわしい、崇高さをおびたシーンとなっている。
この構図が、そっくりそのまま11話で反復される。
出会いの時からいくつかの曲折を経て、この時はもう朋友になっているのだけれど、この前の回ではなは、さあやの有能さ、ほまれの卓越した運動能力とスター性に圧倒されて、自分には何の取り柄もないと、すっかり自信を失っていた。明るくて元気な女の子ではあるのだが、前の学校で「いじめ」にあったことが尾を引いて(この時点では視聴者はそれを知らされてないが)、じつはたいそう自己評価が低く、内面に脆さを抱えた娘さんでもあるわけだ。
「友がみな我より偉く見ゆる日よ」という石川啄木の歌ではないけれど、同じプリキュア仲間のスペックの高さに劣等感をおぼえて落ち込む設定なんて、過去シリーズにはなかったはずだ。
夜。自分の部屋で眠れずに輾転反側(てんてんはんそく)するはなを、まずは母のすみれが慰撫する。寝室が別なのに娘の様子に異変をおぼえて足を運ぶ繊細さと優しさ。そのことばは娘の屈託を真正面から受け止め、その存在を無条件で丸ごと肯定し、未来へと向かう力を与える。
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「どうしてわたしは、さあやみたいに賢くないし、ほまれみたいに運動もできないんだろう。どうしてわたし、何も持ってないんだろう?」
「(はなの頭を撫でながら)はなが産まれてきた時ね、パパとママは、とってもうれしかったの。はなは笑うだけで、私たちを幸せにしてくれた。今もそう。はなの笑顔はどんな時だって、ママたちに幸せをくれる」
「(泣きじゃくり、母の胸に顔を押し当てて)ママ……ママ……めっちゃいけてるお姉さんになりたいのに、あたし、めっちゃカッコ悪いの……。こんな私、ぜんぜん好きじゃ……ない。どうしたらいいか、もうわかんないよぅ」
「(笑って)はなは、少し大人になったのね。フレフレ、はぁな。前を向いて、今をがんばれば、きっとすてきな未来がやってくる」
こうやって夜を乗り越え、次の日の朝、はなが玄関を出たところで、01話のあのシーンが反復される。2人して、ずっと待っててくれたわけである。
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はなの顔をまっすぐに見つめて、さあやがいう。
「いつでもがんばり屋さん。だれかのために一生懸命になれるところ。失敗してもガッツで乗り越えるところ。すなおで表情がくるくる変わって、見ているだけで元気になれるところ。まだまだいっぱいあるよ。わたしが憧れた、はなの素敵なところ。だから……何もないなんて言わないで!」
自らの思いをきっちりと言語化できるさあやに対し、ほまれは毅然たる面持ちで、ひとこと、
「はな」
と力づよく彼女の名を呼び、あとは黙って両手をひろげる。その胸に飛び込んでいくはな。
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注目したいのは、同じシーンの反復でありながら、01話のほうではさあや、ほまれの顔がやや逆光ぎみにいくぶん陰をまとっていることだ。それに対し、この11話では全体にハイライトが当たって、ふたりの朋友はまるっきりもう眩い光のなかにいる。3人の関係性が、それだけ晴れやかなものになったのである。
それくらい、ひとつひとつのカットに無駄がなく、すべてが濃密で、有機的につながってるのだ。トータル・コーディネートが行き届いているとでも言うか。
もうひとつ、「光と影」の描写がおそろしく緻密だ、とも書いた。「光と影」については、16話がとにかく凄くて、2018年の時点におけるアニメ表現のひとつの極ではなかったかと思う。以下の図版は、ほんの片鱗にすぎない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/ec/2e04d9aca57b7793978fcf630823788a.jpg)
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16話より。
この「光と影」と、トータル・コーディネート、ふたつの特徴がいかんなく発揮されたのが次のシークエンスだろう。
01話。転校初日、ふしぎな赤ちゃんの声に導かれ、校舎の屋上に出た野乃はなが、薬師寺さあや(CV 本泉莉奈)、輝木ほまれ(CV 小倉唯)の2人と出会うシーン。
いちおう同級生なので、お互いにまるっきりの初対面ではないのだが、3人が一堂に会して顔を合わせるのはこれが最初である。
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のちにプリキュアとして共に闘う仲間たちなので、まあ運命の出会いといっていいと思うが、いかにも運命の出会いにふさわしい、崇高さをおびたシーンとなっている。
この構図が、そっくりそのまま11話で反復される。
出会いの時からいくつかの曲折を経て、この時はもう朋友になっているのだけれど、この前の回ではなは、さあやの有能さ、ほまれの卓越した運動能力とスター性に圧倒されて、自分には何の取り柄もないと、すっかり自信を失っていた。明るくて元気な女の子ではあるのだが、前の学校で「いじめ」にあったことが尾を引いて(この時点では視聴者はそれを知らされてないが)、じつはたいそう自己評価が低く、内面に脆さを抱えた娘さんでもあるわけだ。
「友がみな我より偉く見ゆる日よ」という石川啄木の歌ではないけれど、同じプリキュア仲間のスペックの高さに劣等感をおぼえて落ち込む設定なんて、過去シリーズにはなかったはずだ。
夜。自分の部屋で眠れずに輾転反側(てんてんはんそく)するはなを、まずは母のすみれが慰撫する。寝室が別なのに娘の様子に異変をおぼえて足を運ぶ繊細さと優しさ。そのことばは娘の屈託を真正面から受け止め、その存在を無条件で丸ごと肯定し、未来へと向かう力を与える。
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「どうしてわたしは、さあやみたいに賢くないし、ほまれみたいに運動もできないんだろう。どうしてわたし、何も持ってないんだろう?」
「(はなの頭を撫でながら)はなが産まれてきた時ね、パパとママは、とってもうれしかったの。はなは笑うだけで、私たちを幸せにしてくれた。今もそう。はなの笑顔はどんな時だって、ママたちに幸せをくれる」
「(泣きじゃくり、母の胸に顔を押し当てて)ママ……ママ……めっちゃいけてるお姉さんになりたいのに、あたし、めっちゃカッコ悪いの……。こんな私、ぜんぜん好きじゃ……ない。どうしたらいいか、もうわかんないよぅ」
「(笑って)はなは、少し大人になったのね。フレフレ、はぁな。前を向いて、今をがんばれば、きっとすてきな未来がやってくる」
こうやって夜を乗り越え、次の日の朝、はなが玄関を出たところで、01話のあのシーンが反復される。2人して、ずっと待っててくれたわけである。
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はなの顔をまっすぐに見つめて、さあやがいう。
「いつでもがんばり屋さん。だれかのために一生懸命になれるところ。失敗してもガッツで乗り越えるところ。すなおで表情がくるくる変わって、見ているだけで元気になれるところ。まだまだいっぱいあるよ。わたしが憧れた、はなの素敵なところ。だから……何もないなんて言わないで!」
自らの思いをきっちりと言語化できるさあやに対し、ほまれは毅然たる面持ちで、ひとこと、
「はな」
と力づよく彼女の名を呼び、あとは黙って両手をひろげる。その胸に飛び込んでいくはな。
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注目したいのは、同じシーンの反復でありながら、01話のほうではさあや、ほまれの顔がやや逆光ぎみにいくぶん陰をまとっていることだ。それに対し、この11話では全体にハイライトが当たって、ふたりの朋友はまるっきりもう眩い光のなかにいる。3人の関係性が、それだけ晴れやかなものになったのである。