ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

色気。

2019-03-29 | 映画・マンガ・アニメ・ドラマ・音楽
 






 ショーケン死す。思えば松田優作が亡くなったのが平成元年。その22年後の平成23年に原田芳雄とコロンボ警部の訃報を聞き、平成28年にはすでに引退していた根津甚八が逝去して、平成の終焉が目睫(もくしょう)に迫ったこの時期になって萩原健一。これで、十代の頃のぼくが「身体論的」に魅了されたカリスマは平成のうちにみんな鬼籍に入ったことになる。寂しい。
 十代の頃のぼくが「文体論的」に魅了されたカリスマ、筒井康隆と大江健三郎という両巨匠がご健在なのがせめてもの慰めというべきか。
 筒井さんはご自身も役者でいらっしゃるわけだが、冒頭に挙げた方々のばあい、むろん醜貌ではないにせよ極めてわかりやすい美男、というわけでもないのが特徴で、顔立ちからいっても全身から発するオーラからいっても「役者」としか呼びようのない存在であった。総身から、香油のようにオトコの色気が滴っていた。
 ちなみに筒井さんによる小説講義『創作の極意と掟』(講談社文庫)には、「文体」「人物」「視点」といった真っ当な項目にならんで「色気」なる項目が設けられている。身体を用いたものであれ文章を用いたものであれ、およそ「表現」さらには「芸術」にとって「色気」はぜったいになくてはならないものなのだ。色気を欠いた芸術なんて成立しない。
 ぼくのばあい、沢田研二や坂東玉三郎、さいきんだったら山田孝之、林遣都のような美男俳優よりも、むしろサンドウィッチマンの富澤たけしのごとく、やや魁偉な雰囲気を漂わせる容貌のほうに「オトコの色気」を覚えたりもするが、必ずしもそれがすべてってわけでもなく、痩せぎすで、なよっとした繊弱な佇まいのひとを色っぽく感じることももちろんある。
 リリー・フランキーなんかもそうだが、ここしばらくでは、昨年暮れの紅白で着流しを着て椎名林檎と歌い踊っていたエレファントカシマシの宮本浩次が忘れ難い。もとより林檎嬢の色気だって只事ではなかったけれど、それよりもさらにセクシーで、ちょっと胸苦しいほどの妖しさを覚えたものである。そのあとの、桑田佳祐とユーミンによる文字どおりの「歴史的共演」よりも印象に残っているのだから、よほどのインパクトであった。
 町田康に似ているなあ、とも思ったが、見たことはないが町田康が着流しでパフォーマンスをしても相当に凄い感じになることだろう。まあ総じてニホンの男は着流し姿がいちばん色っぽく映るはずであり、あなたもぼくも、それでもしサマにならなかったらちょっともう諦めたほうがいいかもしれない。
 日本語というのはもともとが色っぽい言語ではないか、ということをつねづね思ってもいて、むろんこんなのは実証困難なただの思い込みにすぎぬのだが、しかし「漢字」という直線的で詰屈した、厳めしい字面の中に「ひらかな」といふ、みるからにたおやかでやわらかな文字が立ち交わって共存している様は世界中どこを探してもほかの言語にみられないのはたしかである。
 大江健三郎が好きなのも、とかく晦渋だの衒学的だの左翼的だのと思われがちだがじつはその文体そのものがべらぼうに色っぽいから、という理由が大きくて、その伝でいけばいまの日本でもっとも色気のある文章を紡ぎだすのは古井由吉であろう。個人的には「日本文学史上、紫式部と双璧」とさえ思っており、あとはもう泉鏡花とか川端康成とか谷崎潤一郎とか永井荷風とか三島由紀夫とか、正真正銘の「化け物」たちの名前しか思い浮かばない。



カメラを止めるな! 感想

2019-03-09 | 映画・マンガ・アニメ・ドラマ・音楽
 ネタバレを含む、というより、いまふうの言い方をすれば「ネタバレしかない」ので、テレビ放送を見逃した方は、くれぐれもお読みにならぬようお願いします。




 金曜ロードshowで観たんだけど、思った以上に良かったですね。笑えたし泣けた。世評というのは侮れません。日本アカデミー賞の最優秀編集賞ですか。脚本のほうは優秀賞どまりか。最優秀は『万引き家族』だったんですね。しょうがないか。あっちは社会派だもんね。テーマの重さが違うわなあ。
 『カメ止め!』のばあい、「父と娘のきずなの回復」が隠し味(いやべつに隠れてないか)になってるんだけど、ほんとの主題は「映画づくりにかける情熱」でしょう。あの監督の父親(濱津隆之)にしても見習いADの娘(真魚)にしても、また元女優の母親(しゅはまはるみ)にしても「根っから映画が好き」ってことで通じ合ってるんですね。ただ、父親のほうは「便利屋」としての賃仕事だけで長年食ってきたもんで、今やもう「作家」ではなく、ていのいい「雇われ職人」に成り下がってる。上(プロデューサー)にも下(俳優)にも気を使いまくってね。
 まだアルバイトの身分で、世間の荒波に揉まれてなくて、本気で「映画づくり」に向き合いたい娘は、そんな親父がもどかしくってならない。ケーベツしてるわけですよ。なんでそんなに卑屈なんだと。オメエ監督だろ? 監督だったら、たとえ埋め草みたいな駄作だってわかってても、全力を尽くして納得のいくもん作っていけよと。
 ま、それができれば苦労はしないんだけどね。げんに娘は、撮影の進行そっちのけで子役にホンモノの涙を流させようとしたために、その母親を怒らせて現場を放り出されるわけだし。実情はそんなもんですよ。
 父親だってね、実力と実績さえあればなんもペコペコする筈ないわけさ。さしたる才幹もないくせに、「映画が好き」って情熱だけで業界に入って、とりあえず目先の仕事を「来るもの拒まず」でこなしてるうちに齢を重ねちゃったタイプだよね。幼い日の娘を肩車してる写真をこっそり見ながら咽び泣くシーン、いいよね。日本人ならアタマのなかに、寅さんこと渥美清のうたう「男はつらいよ」の替え歌が流れるところだ。
「い~つ~かお前の喜~ぶような えらい親父になぁりたくて 奮闘~努力の甲斐もなく きょおおおもなみぃだの~」
 今日も涙の日が落ちるってやつですよ、まさに。
 ほんとは自分だって精魂込めた名作を撮りたい。でもぜんぜん及ばなかった。たぶんこの先も駄目だろう。ていのいい職人として、便利屋としてずっとやっていくしかない。
 コネを大事に、波風立てず、世間をわたっていくしかない。
 言いたいことは山ほどあるけど、こらえてこらえて、ぜんぶ腹の底にぐぐーっと収めてやってきた。これまでも、これからも。いや、なにも「ものづくり」の人に限った話じゃないよね。社会人ならだれだって身につまされるよなあ。
 だから本番、代役できゅうきょ監督役になったこの人が、自分(と作品)をナメきってる主演女優(秋山ゆずき)に向かって、
「なんで嘘になるか教えてやろうか? お前の人生が嘘ばっかりだから。嘘ついてばっかりだからだよ!」
 とアドリブで本音をぶっつける場面が(序盤ではなく、後半の2回目の時だけど)カタルシスになるんですよね。
 いっぽうの男優(長屋和彰)のほうはその逆で、とかく考えすぎ、こだわりすぎるタイプ。真摯なのはいいんだけど、監督を蔑ろにしてる点では同じ。でもって、この人にもガツンと言ってましたね。
「これはオレの作品だ。オレの作品だよ! お前はリハの時からぐだぐだぐだぐだ口ごたえばっかりしやがって!」
 もう思ってることそのまんまだな。奥さんが(この時はまだ冷静だったんだね)慌てて止めに入ってました。もちろんこれも、後半の2回目でわかることですが。
 序盤の37分の映像内にあった退屈な部分、冗漫な部分、おかしな部分、不可解な部分が後半になって明確な意味を帯びてくるくだりの快感は『アフタースクール』『サマータイムマシン・ブルース』に通じるし、アクシデントやトラブルを現場のスタッフが取り繕いながら必死でつじつまを合わせていく愉快さは『ラヂオの時間』に通じる。
 あの序盤の37分のC級ホラーパートはほんとに下らないんだけど、ホラーをワンカットの長回しでやりゃあ、あんなもんですよ。ホラーってのはカメラワークとカット割りで恐怖を煽ってくもんなんだから。あんな企画を思いつくプロデューサーなんて、あの「超適当」なおばさん(笹原芳子)と「ふつうに適当」なイケメンさん(大沢真一郎)くらいなもんで、だからこそあの企画はどの監督にも断られて、あの人に回ってきたのな。
 感心すべきは、裏ではあれだけグダグダになってたのに、スタッフや機材が、たった1ヶ所を除いてまったく映り込まなかった(という設定になってた)点ですよ。どれほどバカげた出来であろうと、あのゾンビ映画『ONE CUT OF THE DEAD』が曲がりなりにも「映画」として成立してたところがミソなんだ。
 むろん、いちばんの見どころは、出演男優めあてで押しかけてた娘が、モニター越しにみる父親の熱気にだんだん当てられていって、ついには「カメラ、いったん止めましょう」と言ったプロデューサーに逆らい、「このシーンとこのシーン繋げたら大丈夫だから」てなこといって、勝手にディレクターと化してみんなを仕切り出すくだりですよね。
 つられて他の出演者たちも、だんだんマジになってくる。あそこはワクワクもんでした。
 でもってラストが、役者も裏方もみんな総出でつくったピラミッドのてっぺんで、監督と当の娘が在りし日の「肩車」を再現し、それを奥さんが(脳天に斧を突っ立てたまま)見守ってる場面でしょ。これは泣くよね。
 予算がなくて出演陣が無名でも、アイデアと熱意と才能があれば良い作品は作れるってことの証明というべき一作でした。上田慎一郎監督、最優秀編集賞おめでとうございます。




『どろろ』2019年アニメ版。

2019-02-09 | 映画・マンガ・アニメ・ドラマ・音楽




 アニメ版としてリメイクされ、この1月から放送中の『どろろ』、いま第五話までだが、かなりの出来栄え。人間と世間と歴史の闇を煮詰めたかのごとき、凄愴かつ重厚、しかも極めて現代的な作品に仕上がっているのだ。
 改めて思い知ったが、これはまた「物語」のもつ闇の部分を煮詰めた作品でもあった。手塚治虫はつくづく天才だ。魔物と契約した父親のため身体の48ヶ所を奪われた姿で産み落とされ(今回のアニメ版では12ヶ所に改変)、すぐに捨てられて川に流される百鬼丸は「貴種流離」の系譜を引いているわけだが、のみならず、ここには記紀神話にみる「蛭子」のイメージまで重ねられているではないか。これはむかし原作を読んだ時には気づかなかった。
 「真の父親」ともいうべき医師・寿海に拾われ、義肢を装着してもらうことで「再生」を果たすところ、さらに魔物たちを倒して奪われた部分を取り戻すべく各地を遍歴するところは、『鋼の錬金術師』をはじめ、たくさんの後継作にインスピレーションを与えている。
 いっぽうの主人公たるどろろは、まだ性的に未分化で、かのアトムとも、さらにいうならサファイア王子とも通底する手塚好みのキャラである。しかし、それが百鬼丸という強烈な個性のバディー(相棒)となることで、ほかの手塚作品にはないふくざつな効果を醸している(近いのはブラックジャックにとってのピノコか)。しかも彼女(なんだよね)は、「戦災孤児」でもあるのだ。
 野心に燃える父・醍醐景光には「マクベス」のニオイがするし、母親の情愛を除くすべてのものに恵まれた弟・多宝丸との葛藤は(アニメ版ではまだそこまで話は進んでないが)、これまたどこの神話/民話にもみられる「兄弟相克」のパターンである。この点、高橋留美子の『犬夜叉』も、「後継作」のリストに加えてよいかと思う。
 さらにアニメ版では、「六部殺し(まれびと殺し)」や、「母性的なるもののもつ二面性」、さらには「生きるための売春」など、業の深いモティーフがたっぷりと盛り込まれていた。また原作とは異なり、百鬼丸は身体の各部を取り戻すたびに「痛み」を知って「弱く」なる。あたかも嬰児からまた生をやり直すかのような按配なのである。人工知能が「心」を育てていくかのように。
 ただし、その「成長」は、穏やかな日常の中でなされるわけではない。彼とどろろは、常に周囲を夥しい外敵に取り巻かれているのだ。
 「物語」とは人間にとって不可欠なものだが、けして明るく楽しいだけではない。むしろ、「闇」の奥底から這い出るようにして生成されてしまうものなのかもしれない。そんなことまで考えさせられる、ストレスフルだが目の離せないアニメなのである。


この記事の続き。


2019年版アニメ『どろろ』再説。
https://blog.goo.ne.jp/eminus/e/8f9ae935a32b93dc8245d240539c50aa









7秒間。

2018-08-26 | 映画・マンガ・アニメ・ドラマ・音楽


 画像はネナ・チェリー。

 

Youssou N'Dour - 7 Seconds ft. Neneh Cherry

 



https://www.youtube.com/watch?v=wqCpjFMvz-k

 

 

 昔むかし、ラジオだか有線だかで耳にして、すごく心に残ったんだけど、調べる術(すべ)とてないままに、雑事に紛れて流れちゃった。ま、よくある事です。それっきり思い出すこともなかったんだけど、この前たまたま聴いてたFMで掛かって、「おお、これこれ」って。

 ありがたいことに、今は当時と違ってたいていの局がオンエア曲のリストをホームページにあげてくれている。それですぐに曲名&アーティスト名がわかって、これまたありがたいことに、youtubeで聴かせていただいて、こうしてご紹介もできるという。

 Youssou N'Dourは、カタカナで表記するならユッスー・ンドゥール。そういやミシェル・ンデゲオチェロという凄い女性シンガーもいる。現代アフリカ文学にはングーギ・ワ・ジオンゴという巨匠がいるし、アフリカの人の名前もOKというルールにしたら、しりとりに勝負はつきませんね。いやそんな話はどうでもいい。

 リリースは1994年。すぐにヨーロッパのチャートを席巻したとか。ぼくが耳にしたのもその頃のはずだから、もう四半世紀も前かあ。まさに光陰矢のごとし。「人の一生は、戸の隙間から、白馬が駆け抜けていくのを覗き見るほどに短い。」というコトワザが中国にあるそうだけど、ほんとにそんなもんかもしれない。

 あらためて聴くと、やっぱり良かった。なぜかナミダが滲んできました。たんに「いい曲」ってだけじゃなく、ぐいぐいと心に迫ってくる。これはきっとなんかあるに違いないと思って、さらに調べてみたですよ(ネットの恩恵その③)。

 Youssou N’Dourは、アフリカはセネガルの出身の歌手。セネガルに古くから伝わる音楽や思想を伝える「語り部」の血を引き、伝統音楽にポピュラー・ミュージックの要素を取り入れた独自の音楽性で知られる。歌手活動のほかにもパーカッショニスト、俳優としても活躍、さらには政治活動も活発に行い、2012年からはセネガルの文化観光大臣も務めたそうな(その後、内閣がかわって、1年ほどで解任されたようですが)。

 歌詞は3ヶ国語で書かれ/歌われてるとのこと。まずユッスーがウォロフ語(セネガルに住むウォロフ族の言語)で歌い、次のパートは女性シンガーのNeneh Cherry ネナ・チェリーが英語で、そして次には再びユッスーがフランス語で歌う。これはもちろん、セネガルが1960年(ついこのあいだじゃん)まで、フランスの植民地だったからですね。ぼくが聴いても、彼のフランス語は上手くない。めちゃ訛ってます。そこがリアルなんだろうな。

 しかしなんといっても、この歌の魅力はふたりの声が重なるパート。ここがむちゃくちゃ強烈で、ぼくの耳に四半世紀も残ってたんですが。

 

(It's not)a second

7 seconds away

Just as long as I stay

I'll be waiting

It's not a second

7 seconds away

Just as long as I stay

I'll be waiting

I'll be waiting

I'll be waiting

 

 この「私」が「できうるかぎりそこに留まる」といい、さらに「この先もずっと待ち続ける」と歌うその「7秒間」ってなんなんだろう。ビデオクリップの映像を観ても、たんなる男女の色恋沙汰とか、そんなものとは思えない。

 ネット上の解釈では、「新生児がこの世に生まれ落ちて最初の7秒間」という解釈が有力ですね。そしてそれは、「世界が抱える様々な問題について、何も知らないでいられる時間」という含意らしい。いろんな人がそう解釈してるってより、ひとつ強力なネタ元があって、それを他の方々が拝借してるって印象でしたけど。それでまあ、ぼくもそのうちの一人なんですけども。

 この節の前の、ネナが歌う英詞のパートがこうなっている。

 

And when a child is born into this world

It has no concept

Of the tone the skin it's living in

 

 「問題」っていうか、conceptだから「概念」かなあ。でも、「肌(の色の違い)がもたらす概念」なんだから、ただの概念じゃなく、葛藤を含んでいるのは確かですね。

 

 さらにその前のパートは、

 

Roughneck and rudeness,

We should be using, on the ones who practice wicked charms

For the sword and the stone

Bad to the bone

Battle is not over

Even when it's won

 

 なんとなくわかるんだけど、ぼくの英語力では、すっきりと日本語にならない。

 

 粗野や不作法、私たちはもう、使ってなきゃだめなんだ。

 剣と石とのおかげで、邪悪な魅力を湛えた連中。

 やつらは骨の髄までのワル。

 闘いは終わらない。

 勝利の後でも。

 

 だいたいそんな感じだろうけど、自信ない。ラスト2行は、「やつらは争いをやめようとしない。/もうとっくに勝ってるのに」かな? 短すぎて主語がわからんよ。うーん。まあいいや、最初ので行きましょう。

 

 なめらかな日本語にして、つなげてみると、

 

 私たちはもう、粗野や不作法を我慢してちゃだめなんだ。

 剣と石が大好きな、邪悪な魅力を湛えた連中に抗うために。

 やつらは骨の髄までのワル。

 闘いは終わらない。

 かりそめの勝利の後でも。

 赤ちゃんがこの世に生まれ落ちたとき、

 まだ何も知らない。

 肌の色の違いがこの先の人生でもたらす色んなことを。

 それはたったの1秒じゃない。

 7秒あるんだ。すぐに過ぎ去っていくけれど。

 私はできうるかぎりそこに留まる。

 この先もずっと待ち続ける。

 それはたったの1秒じゃない。

 7秒あるんだ。すぐに過ぎ去っていくけれど。

 私はできうるかぎりそこに留まる。

 この先もずっと待ち続ける。

 待ち続ける。

 この先もずっと。

 

 

 ほんと試訳なんで、でたらめかも知れないけど、とりあえず私はこう意味を汲みました。

 「まだ何も知らない」時間というのは、まあ、純粋無垢な時間なんでしょうね。ただ、じっさい医学的というか、認知心理学的というか、新生児が出生ののち外界を認識しはじめるまでの時間が「7秒」だっていう科学的裏付けがあるわけじゃない。あくまでもこれはこの歌の中だけのフィクションですね。

 あと、それが「1秒」ではなく「7秒」なんだと強調してるけど、ぼくには1秒も7秒も大差ないように思えるんだけどなあ。いやいや、その「有るか無しかの僅かな差」に思いを込めて、希望を懸けてみるっていうのがこの歌のキモか。

 ユッスー・ンドゥールさんは、上で述べたとおり2013年に政権がかわって大臣を解任されたんだけど、wikipediaによれば、そのあとでまた(当然ながら)音楽に復帰したそうです。あと、ネットを逍遥しているうちに、それよりも前の話になりますが、

 

 9.11テロの後、イスラム教徒への反感が高まる中、「平和を求める本来のイスラム教の姿を知って欲しい」と、「エジプト」プロジェクトを立ち上げた。当初は、こうした活動に対し、イスラム教徒からの反発もあった。しかし、セネガル伝統音楽にポップスの要素を加えた歌は世界中で大ヒット、2004年米グラミー賞を受賞する。イスラムゆえの葛藤を抱えながら、音楽で人々に平和や幸福を訴えかけている。

 

 という記事に出会って、いろいろと感じるところがありました。

 第三世界というのは、音楽と政治との距離が近くて、そのぶんすごく熱いんですね。ちょっと羨ましい気もする。それにしても、7 Seconds、意味がわかるとますます心に沁みる良い曲だ。

 

 

 


あらためて、HINOMARU の話。

2018-06-17 | 映画・マンガ・アニメ・ドラマ・音楽
 『君の名は。』のことは前回でケリがついたので、あらためて、RADWIMPS≒野田洋次郎さんの「HINOMARU」の歌詞について考えたい。
 ツイッターによる謝罪から6日が過ぎた今朝、「RADWIMPS HINOMARU」で検索し、上位にきた記事をひととおり読ませて頂いたのだが、ぼくが前前前世、じゃなかった前々回の記事でやったような、「歌詞の文法的誤り」をていねいに指摘したものはなかった。
 こんなコスプレみたいな「なんちゃって古文」で綴られた詞で「愛国(心)」を歌い、それをまたファンの子たちや、そっち系の人たちが「ええ歌やんけ! 国を愛して何が悪いんじゃあ!」と言って持てはやしてる光景は、それ自体がもうブラックジョークである。
 冒頭から掉尾まで、文法的・用法的誤りのない行はひとつもないが、何よりも、「御霊」という誠に大切な単語を、「僕ら」という一人称に接続するのは、およそ日本語に対する冒涜といっていい。
 古事記、日本書紀、万葉集、古今集、新古今集、源氏、それに本居宣長までを読んでご覧なさい。
 「わが御霊(御魂)」という言い回しが見つかるのは、ただ一か所だけだろう。
 「この鏡は、もはら我が御魂(みたま)として、吾が前を拝(いつ)くがごと拝き奉(まつ)れ。」
 古事記の一節である。そして、この言葉を述べているのは、天照大神だ。
 むろん、科学的にいうならば、「『古事記』を編纂したチームが、天照大神という人格神を措定して、そのお方にこのような言葉を喋らせている。」というのが正しいのだが、とりあえずここでは、「日本語の伝統」について強調したいので、あえて「天照大神がそのように語っている。」と言っておく。
 言いたいのは、「私」という一人称に「御霊(御魂)」という単語を繋げ得るのは、日本語の伝統において、神にのみ許される所業であるということだ。
 しかるに何ぞや、「僕らの御霊」とは。
 まあ、「僕」と「僕ら」とではまた話がかわってくるわけで、「僕ら」と風呂敷を広げて周りの者を包みこもうとするあたり、よけいに気色悪さが際立つのだけれど、まあ自分から包み込まれたがってる人たちも多いみたいだから、別にそこはもうどうでもいいか。
 ロッカーなんだから、とりあえずファン層っていうか、同調者を増やそうというのは本能だろうしなあ。
 いずれにしても、「僕らの御霊」なんて歌詞をつくって恬(てん)として恥じず、「愛国者でござい。」と胸を張ってる姿は、少しでも古典に親しんでいる者から見れば笑止でしかない。しっかりしてくれよ野田くん。おれ『前前前世』も『スパークル』も好きなのに。映画館で見て(聴いて)泣いたのにさあ。アホみたいじゃないかこれじゃあ。
 ところで、それはそれとして、「HINOMARU」という曲そのものとはまた別に、この曲のリリースと、野田さんの謝罪、それに対する世間の反応といった一連のプロセスも気になる。
 「HINOMARU現象」とでもいうか。
 「HINOMARU」という曲そのものと、「HINOMARU現象」とはまた別だ。こちらについても少し述べたい。
 「ゆとり」という括りは社会学的に確立されてるわけではないし、そもそも軽侮の響きがあるので失礼だろう。いまどきの若い人たちをなんと呼べばいいのかわからないのだけれど、とりあえず「平成生まれ」といっておこうか。
 むろん、平成といっても30年の長きにわたり、「平成生まれ」で一括りにするのも粗すぎるが、この先また適切な呼び方を思いつくまで、ひとまずそうさせて頂きたい。
 ぼくは昭和後半の生まれだけれど、子供の頃から、小説はもとより、ドラマやマンガなどにおいても、「軍国ニッポンの怖さ」ってものが、いろいろな物語、たくさんのキャラに託されて、繰り返し繰り返し、それこそもう「イヤというほど」描かれるのを見てきた。
 それはもちろん、作り手の側が、じっさいに戦争を体験した世代であったからだけど、とうぜんながら時代を追うごとにその記憶は薄れ、「軍国ニッポンの怖さ」を追体験できる(させられる)機会も、めっきり少なくなってるはずだ。
 正直なところ、学校の授業にもまして、子どもってのはサブカルによって「教育」されるもんだから、このあたりが、「昭和生まれ」と「平成生まれ」との温度差になってて、今みたいな機会に露呈される。
 「右」とか「左」とか、そんなイデオロギー的な、たいそうな話じゃないんだよな、ほんとはな。
 平成生まれの人たちはむしろ、『ゴーマニズム宣言 戦争論』をはじめとする、小林よしのりの著作のほうに親しんでるんじゃないか。
 小林さんの作品は、ぼくもいっぺんまとめて読まにゃいかんと思ってるんだけど、あのどぎつい描線が生理的にダメで、ついつい後回しになってる。
 でも、ブックオフで立ち読みしたことはある。じっくり読んだわけじゃないんで、おおきなことは言えないけど、ぼくが読んだ範囲では、小林よしのりという表現者が、「軍国ニッポンの怖さ」を生々しく描いているものはなかった。
 平成生まれの人たちの多くが、もしこれをそのまま真に受けてるんだとすると、それは相当偏ってるんじゃないかと思う。
 というわけで、今回は、いま手元にある本の中から、ぼくが相当えぐいと思ったくだりを、引用させて頂きたい。「軍国ニッポン」ってもののえげつなさが、わかりやすく伝わってくると思うからだ。


 ……軍隊では、教育は暴力のもとにおこなわれた。それは多くは、暴行であり、私刑であった。兵隊は、朝から寝るまで、時には夜中まで、なぐられつづけた。学徒兵も、その例にもれなかった。……(中略)……復唱のいいかたが悪いといってはなぐられ、いつも走っていないからといってはなぐられた。……(中略)……班内のひとりが失敗したために、ほかの全員が制裁されることも、しばしばあった。いきなり、なぐられることもあるが、多数が制裁を受ける時には、号令がかけられた。「今から、しょうねをいれかえてやる。ありがたく礼をいえ」と、若い下士官が、いばりかえる。兵たちは、声をそろえて、「ありがとうございます」といわねばならない。それをまずくいうと、それもなぐられる数を増すことになる。
 号令は、「両足をひらけ」にはじまり、「歯をくいしばれ」とくる。下士官は両手をふるって、交互に頬をなぐりつける。からだがよろめく。三発か四発くらうと、目がくらんで、ぶったおれる。それをつかみあげ、あるいはけとばして立たせて、また、なぐりたおす。
 このような激しい暴行のために、顔ははれあがり、目が見えなくなる。誰とも見わけのつかない顔になる。鼻血を流して、顎を染めるのは、普通である。なかには、前歯が折れ、耳の鼓膜をやぶられたものも、すくなくはない。もっと侮辱した制裁も行われていた。……(後略)……。

 奥野健男・編『太平洋戦争』集英社文庫、387ページより。

 これは「陸軍 内務班」での話だけれど、ぜんぜん特殊なケースじゃなく、これこそが、「軍国ニッポン」の体質そのものなのだった。
 ぼくなんかが小学生の頃には、この「軍国教育」で育った教師がじっさいに居て、ぼく自身、何ひとつ悪いことをしてないのに、いきなり廊下で、「貴様、何をちんたら歩いとるかッ」と一喝され、顔を張られたことがある(実話)。
 今だったら大問題だろう。まあ、軍国教育もさることながら、今から思うと、すこし精神に異常を来たしていたのかもしれない。しばらくのちに、本当に事件を起こして退職しちゃったようだから。
 そんなのがいたんですよ、まだね、昭和50年代にはね。
 ああ、つい思い出話が入っちまった。まあいいや。
 もちろんこれは、野田洋次郎さんのつくった「HINOMARU」って歌とは直接にはカンケイのない話だよ。直接にはね。ただ、昭和に生まれた者たちには、幼いころからの刷り込みによって、「ヒノマル」ってコトバと、この手の陰惨な情景とが、心のどこかで結びつくようになっちゃってんのな。
 そういうふうになっちゃってんですよ、ほんとにね。体質としてね。だから、「過剰反応かなあ」とも思いつつ、どうしても、あれこれ言っちゃいたくなるわけさ。
 そこんとこもひとつ、わかって頂きたいとは思う。

追記)
 例年だったら8月に書くような記事を、2ヶ月も前倒しで書いちゃったなあ……。
 でも、「カタルシスト」はいい曲なんですよ。YOU TUBEで公式を5回くらい立て続けに見せて(聴かせて)もらっちゃった。英語詞のパートにかわったとたん、曲の肌ざわりが冷ややかな、金属的な感じになるのな。あそこ痺れる。もちろんメインの日本語パートもいいし、詞そのものもいいわ。林檎嬢には及ばないけどね……(@個人の感想です)。
 だから身の丈に合ったコトバを使ってるかぎりは巧いんだよな。裏返していえば、それだけ無理して作ったんだね、あの歌は。
 いやHINOMARUだって、歌詞を度外視して、曲だけ聴けばアツくなるんだよね、胸がね。こういうとこが、「音楽」の凄さであり、コワさでもあるわけだけど。
 なんにせよ今回は、コトバってのは難しいもので、また怖ろしいものだと、あらためて、自戒を込めて思ったですよ。




RADWIMPS HINOMARUについて

2018-06-15 | 映画・マンガ・アニメ・ドラマ・音楽
 これは2018(平成30)年の記事です。日付にご注意ください。


 RADWIMPSが6月6日にリリースした曲「HINOMARU」が、「軍歌みたいだ」と物議をかもしている。これを受け、このバンドのフロント(ボーカル)で、同曲の作詞・作曲も担当した野田洋次郎が、11日、ツイッターで謝罪をした。
 全文はネットで見られるが、「戦時中のことと結びつけて考えられる可能性があるかと腑に落ちる部分もありました。傷ついた人達、すみませんでした」というくだりがあるから、たんなる「釈明」ではなく、れっきとした謝罪である。
 でもネットを見ていると、これで鎮静化ってわけでもなく、15日現在もなお、けっこうな騒ぎがつづいている。
 ふつうなら、こんな厄介そうな話題はブログで取り上げないんだけど、野田さんといえば、映画『君の名は。』に、主題歌をふくむ4曲の楽曲を提供し、大きな寄与をした人だ。RADWIMPSの曲のない『君の名は。』なんて考えられない。
 ぼくは2年前に劇場で観て年甲斐もなくこのアニメに魅了され、いくつか記事も書いた。今年(2018年)の1月、テレビでの初オンエアを見たのだが、かつての感動はまるで色褪せず、やはり良い作品だと思って、「『君の名は。 Another Side Earthbound』 なぜ町長はとつぜん態度を翻し、町民の避難を敢行したか」を1月5日に再掲した。




 そういう縁があるもんで、ブログをやってる以上、この件を避けては通れない。
 「HINOMARU」は、通算22枚目のシングル「カタルシスト」のカップリング曲である。「カタルシスト」は、2018年サッカーワールドカップ・ロシア大会の、フジテレビ系テーマ曲だ。
 つまり、「HINOMARU」がW杯ロシア大会のテーマ曲ってわけではない。このところ、勘違いしている方もおられるようなので、念を押しておきたい。
 とはいえ、カップリング曲なのだから、これと「カタルシスト」とが無関係ってはずもない。裏と表とで補い合って、ひとつの「世界観」をあらわしている……と見るのがふつうだろう。
 サッカーW杯のテーマ曲と聞いてすぐ思い出すのは、2014年にNHKからの依頼を受けて作られ、結果として2016年度まで使われることとなった、椎名林檎の「NIPPON」だ。
 この「NIPPON」の歌詞も、じつは当時そうとう批判を浴びた。Wikipediaより、すこし編集のうえ引用させていただく。


 『週刊朝日』は、2014年7月4日号の誌上にて、「(サッカー日本代表のチームカラーを「混じり気無い青」と表現した歌詞が)『純血性』を強調している」、「(死をイメージさせる歌詞が)特攻隊を思わせる」、「『日本の応援歌なんだから日の丸は当然』と言うが、意味深な歌詞をはためく国旗の下で歌われてしまうと、さすがにいろいろ勘ぐりたくもなる」などと評した。
 音楽評論家の石黒隆之は「日本に限定された歌がずっと流れることになるのも、相当にハイリスク」「過剰で、TPOをわきまえていないフレーズ。日本以前にサッカーそのものを想起させる瞬間すらない」と、NHKのワールドカップ中継のテーマとしてふさわしくないと批判した。
 ジャーナリストの清義明も「サッカーは民族と文化のミクスチャー(混在)のシンボル」「最近は浦和レッズの一部のサポーターが掲げた『ジャパニーズ・オンリー』という横断幕が差別表現と大批判された事件もあったのに、サッカーのカルチャーをまったくわかってないとしか言いようがない」と批判した。
 一方で、音楽評論家の宗像明将は「デビュー当時から和の要素も含む過剰な様式美を押し出してきた人ですから、その要素が過剰に出すぎて議論を呼んでいるだけでしょう」として、椎名の音楽に特段の政治性はないと擁護した。


 どんどん長くなってしまうが、これらの批判に対する才媛・林檎嬢の反論も大切なので、もうすこしwikiからの引用をつづける。


 椎名自身は、雑誌『SWITCH』のインタビューにて「貧しい。」「諸外国の方々が過去の不幸な出来事を踏まえて何かを問うているなら耳を傾けるべき話もあるかもしれないが、日本人から右寄り云々と言われたのは心外。(それらの批判は)揚げ足を取られたと理解するほかない。趣味嗜好の偏りや個々の美意識の違いなどという話を踏まえた上でも、自分は誰かを鼓舞するものを書こうとはしても誰かに誤って危害を加えるようなものは書いていないつもりだ。」と反論し、不謹慎だと言われた“死”という言葉については「死は生と同じくみんな平等に与えられるもので、勝負時にせよ今しかないという局面にせよ、死の匂いを感じさせる瞬間は日常にもある。ここを逃すなら死んだ方がマシという誇りや負けた後のことまで考えていられないという決死の覚悟をそのまま写し取りたかっただけ。」と答えている。
 また、2014年6月14日にゲスト出演したラジオ番組『JA全農 COUNTDOWN JAPAN』においては、「最前線で戦う方だけにわかる、『ここを逃したら死ぬしかない、死んでもいいから突破したい』っていう気持ちはどんな分野にでもある。その瞬間だけを苦しむんじゃなくて、楽しもうという気分を切り出せば成功するだろうと思い、頑張って取り組んだ。」と語っている。


 椎名さんは、どのような形であれ、ひとことも謝罪はしていない。そこが今回の野田さんと違う。潔い、とぼくは思うが、ただ、寄せられた批判の声が、野田さんのほうがずっと大きかったのも確かである。
 ひとつには、『君の名は。』の世界的ヒットによってRADWIMPSの知名度がワールドワイドとなり、この夏には昨年に続いて、韓国をふくむアジア・ツアーが予定されている、ということもあるだろう。つまり営業上の配慮である。
 もうひとつ、歌詞そのものに重大な違いがある。このブログの性格上、ここではこちらを詰めていく。
 JASRACが怒るので残念ながら転載できないが、「NIPPON」と「HINOMARU」、双方の歌詞を、あらためてネットで見比べてみた。とりあえず、「椎名林檎は天才だ。」と再確認した。「戦い」の場における「生」の極まり。そこにおいて身体を突き上げてくるタナトス(死への欲動)。くらくらさせられる歌詞だ。いわゆる現代詩人をもふくめ、いまの日本で、ここまで鮮烈に日本語を使いこなせるひとは数えるほどしかいまい。
 とはいえ、「現代詩手帖」みたく、日本全国でも数千人単位の読者しかいないメディアに発表するのではなしに、天下のNHKで、天下のサッカーW杯のテーマ曲として流されるのだから、これを「過剰」ととる視聴者はとうぜん想定しうる。上に引いた批判のなかで、「TPOをわきまえていない」とあるのは、まさにそのことであろう。
 じつはこれは、「政治」というもののもつエロティシズムにかかわってくる大問題なのである。きちんと論じるつもりなら、あの三島由紀夫まで引き合いに出して、長い評論をでっちあげねばならない。だからここでは深入りしない。そんなトリガーをつい引いてしまいそうになるくらい、林檎嬢の才はすさまじいということだ。
 いっぽう、「HINOMARU」の歌詞には、エロティシズムもタナトスもない。こういっちゃナンだが、かなり素人くさい。
 もともと野田さんの歌詞は、ぼくの好きな「前前前世」もふくめてどれも素人くさく、ある種のブンガク臭と、やや攻撃的な妄想力が爆発してるのが魅力、というところはある。
 「NIPPON」に寄せられた批判のなかで、「HINOMARU」に通じるのは、「『純血性』の強調」だろう。
 強調された「純血性」は、わりとたやすく「優越性」につながる。それゆえに危ういというので警戒されるわけだけど、「HINOMARU」のばあい、これに加えて「愛国」がストレートに出てくるもんで、よりいっそう批判を招いた。
 全文ではなく、断片だけならJASRACも寛恕してくれると思うので、一部を抜粋させて頂こう。
 出だしが、

 風にたなびくあの旗に
 古(いにしえ)よりはためく旗に
 意味もなく懐かしくなり
 こみ上げるこの気持ちはなに?

 となっている。このテクニックは、「修辞的疑問」というのだけれど、あえて真面目に答えるならば、うんまあそれは、ふつうにいえば愛国心だよね、と、だれしもが言わざるを得まい。
 林檎嬢の「NIPPON」には、「愛国心」というワード(概念)を呼び起こす要素がなかった。ここもまた、ぼくが凄いと思うところだ。げんに、上に引用した批判の声でも、「愛国心をかき立てる」みたいなことは言ってない。週刊朝日でさえもだ。それはつまり、彼女がたんなる「詩人」としてのみならず、「商業ポップ」の作り手としても、プロ中のプロだということだろう。むろん、スポンサーたるNHKのチェックがきちんと入っていた、ということもあろうが。
 じつは、サッカーのテーマ曲ではないけれど、つい最近、今年の4月に「愛国心扇動ソング」として物議をかもした歌がある。「ゆず」の最新アルバム『BIG YELL』に収録された「ガイコクジンノトモダチ」だ。

 この国で生まれ 育ち 愛し 生きる
 なのに
 どうして胸を張っちゃいけないのか?
 この国で泣いて 笑い 怒り 喜ぶ
 なのに

 「この国で(を)/愛し」と、はっきり明言しちゃってる。「はっきり」と「明言」とは意味がかぶってて、いわゆる「重言」なんだけど、「重言」なんて反則ワザを使いたくなるほど、「愛国」を明瞭に歌っちゃってるのだ。
 なお、「なのに」が繰り返されるのは、「なのに」君が代を歌えない、「なのに」国旗を飾れないと続くからである。これはこれで、何だかなあと思うけれども、この方面に踏み込んでいくといよいよ紛糾して収拾がつかなくなるので、ここではただ、「この国で(を)/愛し」と、このくだりにだけ注目したい。
 たぶん、戦後のポップス史において、まあアングラ系は別として、オリコンランキング常連クラスのアーティストで、ここまで「愛国(心)」を前面に出した人はこれまでいなかったはずだ。そういう意味では画期的だろう。
 歌詞を書いたのは、ゆずの北川悠仁である。
 このたびの野田さんにしても、あくまでもぼくの想像だけど、この「ガイコクジンノトモダチ」の歌詞に(いろいろな意味で)触発された面はあったかと思う。まるっきり無関係とは思えない。そして、もしこんな言い方が許されるならば、北川さんは「一線を越えた」のだ。でもって、野田さんはさらにその先を100メートルくらい突っ走っちゃった感がある。


 胸に手を当て見上げれば 高鳴る血潮、誇り高く
 この身体に流れゆくは 気高きこの御国の御霊

 また、

 ひと時とて忘れやしない 帰るべきあなたのことを
 たとえこの身が滅ぶとて 幾々千代に さぁ咲き誇れ

 とか、字面だけ見ても、かなりイカツい。
 ネットでこの歌をじっさいに聴かせていただき(ありがとうございます)、歌詞をつぶさに拝見して、ぼく個人も、「うん。軍歌みたいだね。」とほんとに思った。
 ただ興味ぶかいのは、擬古文を使おうとしてるわりに、口語は混じるし、文法自体もメチャクチャだし、なんかちょっと、怖いってより笑っちゃいそうになるところだ。
 イデオロギーうんぬん以前に、正直いって、ひとりの作詞家としての野田洋次郎に、今回ぼくはまるっきり失望させられちまった。素人くさいってレベルじゃない。
 それくらいひどいから、「この歌詞そのものが『愛国心』の空洞を表してるのだ。つまりこの歌はフェイクなのだ。」という「穿った見方」すらネットには出ているのだけれど、でもそれはそれで変な話で、今度は逆サイドから怒られるんじゃないかという気がする。
 ところで、野田さんや北川さんは、批判に対する釈明の中で、「自分は右でも左でもない。そういうものとは関係なしにこの詞を書いた。」と述べて、それでまた、「ウソつけ」と言われたりしてるわけだけど、これを書いてるぼく自身は、中立ってよりも、じつはけっこう「右」なんである。
 といってもまあ、シンプルにこの国を大切に思ってて(「愛」とはちょっと違う気がする。「愛」ってのはよくわからない)、この国のことば、つまり日本語をものすごく大切に思っている、というていどの話だけれど。
 しかし、「日本語を大切に思っている」という点においては人後に落ちないつもりでおり、だから野田さんのこの歌詞については、たんに失望したとか、思わずからかいたくなる、といった段階をこえて、いささか腹を立てている。
 「愛国」を歌うんであれば、もっと日本語をきちんと使おうよ、と言いたい。
 中途半端に擬古文をもちいて「それっぽい感じ」を出そうとするなら、いっそもう、すべてをそれで統一すべきであった。

 風にたなびくあの旗に
 古(いにしえ)よりはためく旗に
 意味もなく懐かしくなり
 こみ上げるこの気持ちはなに?

 「意味もなく」は「故知らず」がよい。たんに擬古文だからそのほうがいいってだけでなく、ここで「意味もなく」では文字どおり「意味」をなさない。わからないのは「意味」ではなく「理由」なのだから。
 ほかの部分にも違和感はあるが、符割りのこともあるのでうまい言い方が見つからない。でもこの冒頭だけでも、据わりのよくないフレーズだらけなのは確かだ。


 胸に手を当て見上げれば 高鳴る血潮、誇り高く
 この身体に流れゆくは 気高きこの御国の御霊

 見上げれば、ではなく、格調のために、見上ぐれば、としたいところだ。
 高鳴る血潮、誇り高く、と、「高く」が重なるのも見(聴き)苦しいが、そもそも「血潮」は「熱く滾る」ものであって「高鳴る」ものじゃない。高鳴るのは「鼓動」だ。
 たしかに、「高鳴る血潮」というフレーズを校歌につかってる学校もあるようだ。しかしそれも厳密には誤用だ。「高鳴る潮(うしお)」という言い回しはあり、それを拡張しているのだと思うが、ここでの「潮」は「波の音」であり、だから「高鳴る」のである。「血潮」が高鳴るというのは、誇張法としても無理があるのだ。
 「この身体に流れゆく」も変で、「ゆく」は、所定の場所からどこかへ去ってしまうことである。身体のなかを巡っているのだから、「流れたる」だ。あ。いや、「御霊」が流れ込んでくると言いたいのかな? それならば、「流れくる」だ。
 「気高き」と、ここでまたさらに「高い」が重なる。品がない。「御国」と「御霊」の重なりも品がない。それにしても「御霊」とはしかし、えらいコトバを持ち出したものだ(これについては後で詳しく述べる)。


 ひと時とて忘れやしない 帰るべきあなたのことを
 たとえこの身が滅ぶとて 幾々千代に さぁ咲き誇れ

 「忘れやしない」は甘ったるい口語だ。気持ち悪い。「ひと時たりと忘るまじ」であろう。「忘るまじ」が固すぎるなら(でも林檎は使いこなしてたよ)、せめて「忘れまい」だ。
 「たとえこの身が滅ぶとて」は、文法がおかしい。「たとえこの身が滅ぶとも」である。こういう誤りは、カッコつけて擬古文を使おうとするとき誰しもがやってしまいがちなことだが、仮にも商業ベースに乗せる楽曲が(しかも「愛国」を歌う楽曲が!)、こんな間違いをするのはまことに恥ずべきことである。


 どれだけ強き風吹けど 遥か高き波がくれど

 擬古文としてもぎこちない。「いかなる強き風吹けど 遥か高き波来たれども」くらいか。


 胸に優しき母の声 背中に強き父の教え

 こういうのもまあ、「愛国とワンセットになった性差の固定化だっ。」とフェミニストなら気色ばみそうなくだりだが、ぼくとしては、背中(せなか)が気になった。野田さんは「せなか」と歌っているが、「せな」と擬古文ふうに短く読んで「せな‐には」と助詞の「は」を入れたほうがよい。「母」と「父」との対比が際立つからである。細かいことをいうようだが、対比表現において後のほうに「は」を入れるのは、漱石あたりを読みなれてればしぜんにできることである。
 こんな具合に、出だしからラストまで全編にわたってデタラメや誤用や残念なフレーズが散見され、JASRACさえ怒らなければ無料でぜんぶ添削してやりたいくらいなのだが、中でも極めつけは「僕らの燃ゆる御霊(みたま)」であろう。
 「御霊」はこの歌のキーワード(キーコンセプト)であり、とても重要なのだが、じつはつぶさに読んでも意味がはっきりしない。そこがブキミで、批判を招くところでもあろうが、それはともかく、「御」は敬意を示す接頭辞だから、「僕ら」のものに付けるのは変なのである。
 「君、ぼくのおカバンを取ってくれ。」といってるのと同じだ。
 この「僕らの燃ゆる御霊」には、ぼくもつくづくがっかりした。そのあとに、「僕らの燃ゆる御霊は、挫けなどしない」というフレーズもある。「古(いにしえ)より脈々とつらなる御霊は僕らのからだに受け継がれ、いかなる困難にも屈せぬ気概(きがい)となって、僕らの芯をつくっている。」と言いたいのだろうけど、そもそも「僕らの御霊」が文法として珍妙なので、まるで心に訴えかけてこないのである。
 小林よしのりに「教育」をうけた平成うまれの皆さんは、「いい曲じゃん。」「なんで文句いうの?」くらいのノリで受け入れているようだが、それはやっぱり、この国の近代史について「勉強不足」というよりない。とりあえず、加藤周一さんの『夕陽(せきよう)妄語』(ちくま学芸文庫)をお勧めしたい。ただ、そんなことよりも何よりも、かくも幼稚な日本語でもって「愛国」が歌われちゃってるこのニッポンの現実が、ぼくはしみじみ物悲しいのだった。



追記 18年11月02日)
 この記事をほぼ5ヶ月ぶりに読み返して、ほかのところはともかく、ゆず「ガイコクジンノトモダチ」の歌詞についての記述はおかしいと感じた。「この国で 生まれ/育ち/愛し/生きる」のくだりは、「このニッポンという国のなかで生まれ、育ち、(家族やら友人やら恋人やらを)愛して、生きる。」という含意で、「国を愛し」といっているわけではない。どうしてこれを、5ヶ月前のぼくは、「この国で(を)/愛し」なんて強引に読み替えちまったんだろう。やはり平静さを欠いていたんだろうな。むろん、この歌そのものが「愛国心」っぽい気分(と、それをストレートに表現できない屈託)をテーマにしているのは間違いないにせよ、けして「オレはこの国を愛してるぜ!」と高らかに宣言しているわけではないので、この記事におけるぼくの論法は、この歌詞の件に関しては、牽強付会(こじつけ)というべきだろう。
 記事そのものを書き直すべきかと思ったが、主眼はRADWIMPS「HINOMARU」のほうにあるんだし、全体の主旨は変わらないので、このままとさせて頂き、「追記」だけを附しておきます。

 あともうひとつ、とても肝心なことなのだが、HINOMARUこと「日章旗」は、幕末において国籍を明示するための商船旗として採用されたもので、古来よりニッポンのシンボルであったわけでも何でもない。ただしこれは常識に属することなので、野田さんも承知の上であえて無知を装って押し通したのだろうと判断し、その点について本文では一切ふれなかった。









アイロニー

2017-09-06 | 映画・マンガ・アニメ・ドラマ・音楽
 本心とは真逆(まぎゃく)の言葉を表明することをアイロニー、もしくはイロニーという。裏腹(うらはら)とはよく言ったもので、まさに腹の中身を裏返して相手に伝えるわけである。レトリック(修辞)の一種で、かなり高度なものではあるが、一面、だれしもが普段の生活でけっこう使っていることでもある。
 虫の好かない上司ないしお得意さんの接待をして、丸一日を棒に振ってしまった帰り際、「今日はほんとうに楽しい一日を過ごさせて頂いて」と口にするとき、あなたはアイロニーを実践している。だからアイロニーは、たんに「皮肉」と訳されたりもする。ただこのばあい、それが皮肉だと(少なくとも露骨には)受け取られぬよう、細心の注意を払わなければなるまいが。
 むろん、もっと高尚なアイロニーもある。ソクラテスは「私は何も知らない。だから私に、あなたの知っていることを教えてくれ」というアイロニーを駆使して人々に対話を仕掛けた。これによって、問答の相手が「知ってるつもりでいただけで、じつは何も知らなかった。誠実に物事を考えたことがなかった」ことを暴いたのである。文書として残っている中では、これはおそらく人類史上初めての「哲学的実践」だろう。一部の人たちは感動してソクラテスを尊敬したが、もっと多くの人たちは「どんだけ嫌味なヤローだ。すっげームカつく」と怒った。結果、(まあそれだけが理由じゃないけど)ソクラテスは裁かれ、毒杯を仰ぐ羽目となった。アイロニーを使うのは時として命懸けである。
 しかし人間という生きものが、自分に対しても他人に対しても社会に対しても「どこまでも誠実」であり続けることなどできない以上、アイロニーは人間の営みすべてに付いて回るともいえる。ことに文藝のような知的営為においては。そこに目を付けたフランスのジャンケレヴィッチさんって哲学者が、『イロニーの精神』(ちくま学芸文庫)という本を書いた。けだし、アイロニーは一冊の本が著せるほど深いテーマなのだ。
 又吉直樹の『火花』(文春文庫)にも、アイロニーを使ったくだりがあった。苦楽を共にしてきたコンビの解散記念ライブ。「よーし、ほんなら今から、思てんのと反対のこと言うていくでー」と宣言して、相方への悪口を述べ立てていくのだ。ふつうなら照れ臭くて言えない気持を、裏返しにして伝えるのである。泣かせどころだが、あらかじめ「反対のことをいう」と断っているので、響きが薄い気もする。
 ぼくが近ごろ出会った最上のアイロニーは、『おんな城主 直虎』の8月20日放送分「嫌われ政次の一生」のワンシーンだ。『おんな城主 直虎』について予備知識のない方は、当ブログ8月3日の記事「『おんな城主 直虎』がおもしろい。」をご覧ください。
 いよいよ政次の処刑が決まり、ほかの僧たちと共に直虎は立ち会う。彼女は尼僧でもあるので、「引導を渡す」という名目で刑場に臨むわけである。磔刑台に括りつけられる政次。満身創痍で痛々しく、髪もざんばら。かつての切れ者「但馬守」の面影はない。直虎は目を背けることなく、彼を注視している。
 執行役の兵がふたり、左右から槍を構える。テレビの前のぼくは、脚本の森下佳子さん、一体ここで直虎に何をさせるんだろうと思っていた。ただ黙って一部始終を見守っているだけでは、21世紀の大河ドラマのヒロインではない。おれだったら直虎にどんな行動を取らせるかなあ……。いやあ……ちょっと思いつかんなあ……。
 じっさいの展開は、ぼくなどの思いもよらぬものだった。テレビ業界の激戦の中で日々しのぎを削る売れっ子ライターの真価を見た気がする。なんと直虎は、一躍して傍らの兵から槍をもぎ取ると、磔刑台に駆け寄り、気合一閃、自らの手で、それを政次の胸に突き立てたのである。
 柴咲コウさんは目が大きい。その目をかっと見開いて、「眦(まなじり)を決する」という慣用句そのままの形相で、こう叫ぶ。
「地獄へ落ちろ、小野但馬。地獄へ……。ようも、ようもここまでわれを欺いてくれたな。遠江(とおとうみ)一、日の本一の卑怯者と、未来永劫語り伝えてやるわッ」
 ここまで半死半生のていだった小野政次、さらに胸を一突きされて、絶息しても不思議はない筈のところだが、最愛の女性・直虎からの呼びかけに、逆に一瞬、生気がよみがえる。若き名優・高橋一生、これが最後の(そしてたぶん最高の)見せ場だ。よもや演技にぬかりはない。
 ぐふ、ぐわあっ、と血を吐いて、
「笑止! 未来など……。もとより女(おなご)頼りの井伊に、未来などあると思うのか。生き抜けるなどと思うておるのか。家老ごときに容易く謀られるような愚かな井伊が……。やれるものならやってみよ。地獄の底から……見届け……」
 ここまで述べて力尽き、首を垂れる。
 直虎、槍を取り落とす。
 いうまでもないことながら、政次に向けた直虎のせりふ、直虎に向けた政次のせりふ、これらはいずれもアイロニーである。そっくりそのまま裏返せば、それぞれ真の意味になる。
 周りを敵の兵士に囲まれた中で、直虎が政次への心からの感謝を込めた別れの言葉を伝えるためには、政次が直虎への絶大な信頼と励ましを伝えるためには、アイロニーを使うほかなかったということだ。アイロニーは使いかた次第でここまで胸を打つものになる。


『おんな城主 直虎』がおもしろい。

2017-08-03 | 映画・マンガ・アニメ・ドラマ・音楽
 『おんな城主 直虎』がおもしろい。ほとんどテレビは点けないんだけど、これだけは観ずにいられない。明日をも知れぬ戦国の激動の中での、華々しい「天下取り」の話ではなく、「生き残り」を賭けた小国の奮闘の話なのである。しかも、男衆がみな討ち死にしてしまったために、出家していた領主の娘が無理をおして還俗し、幼い「跡取り」が成人するまで全力を尽くして家督を守る、という筋だ。なんと地味な。真田幸村より地味ではないか。江や山内一豊の妻より地味かもしれない。そんなもの、きっと重苦しくって陰鬱で、とても1年付き合えまい、と思いつつそれでも初回を見てしまったのは、「井伊谷の少女」というサブタイトルに惹かれたせいだろう。いやひょっとしてこれナウシカのもじり? だとしたら脚本家さんセンスいいな……しかしなあ……と半信半疑だったのだが、回を重ねるとその直感が事実とわかった。最新回の「女たちの挽歌」や「潰されざる者」に至るまで、ほぼすべてが有名な映画のパロディーになっている。「死の帳面」なんてのまであった。デスノートだ。
 たしかに脚本の森下佳子さんはセンスがいいのだ。ちかごろの脚本家を甘く見ちゃいけない。じっさい地味で重苦しくて陰鬱な話のはずなんだけど、架空のキャラなどを巧みに配し、視聴者を飽きさせない。主演の柴咲コウはじめ、演技陣も安定している。そのなかで、惚れ惚れするような魅力を放っているのが、高橋一生の演じる「小野但馬守政次」だ。この人を見たいがために、毎週テレビを点けてるようなものだ。
 この「小野但馬守政次」は裏切り者である。むずかしい言葉でいえば「奸臣」だ。「井伊家」の領地「井伊谷」は今川家の傘下に入っているのだが、小野家は父の代から今川の「お目付け役」として領主の井伊家に睨みをきかせており、隙あらば乗っ取りを目論んでいる。そして実際、徳政令をめぐる直虎の失政に乗じて井伊の領地を我が物とする。直虎も家臣と共に城を追われ、寺に押し込められる。
 史実ではそうなっており、むろんドラマもそのように進むはずだが、そこが脚本家の腕の見せ所である。あらかじめ、領主の直虎(柴咲)、この小野政次(高橋)、そして、井伊家の正系・直親(なおちか/三浦春馬)の三人が幼なじみで、固いきずなで結ばれていた、という伏線が敷かれていたのだ。
 この「伏線」はまことに重要なもので、ドラマ開始からまる一ヶ月のあいだ、柴咲さんら主役三名は登場せず、子役たちだけで物語が綴られていたほどである。これは大河ドラマ史上でも異例のことであったらしい。むろん子役たちの瞠目すべき演技力があってこそだが、この三人の「絆」がいかに大切なものであったかということだ。
 三人のうち直親は、家督を継いで間もなく今川の手にかかって討たれ、早々とドラマから退場する。しかし、行き違いによって婚姻は叶わなかったものの、かつて直虎のいいなづけだった。また、彼がべつの女性(貫地谷しほり)とのあいだにつくった虎松が井伊家ゆいいつの直系男子で、この忘れ形見に家督を継がせるべく直虎が尽力しているのだから、死してなお重要な役回りなのである。
 直親は今川によって謀殺されたわけだが、その死には政次が大きくかかわっていた。史実では、いわば確信犯というか、政次が徳川との内通を讒言(ざんげん)して処断させたことになっている。ドラマでは、政次も直親とともに若気の至りで今川の計略にまんまと乗せられ、直親を犠牲にする代わり、自らは保身のために今川についた、というように描かれた。
 この違いはべらぼうに大きい。『おんな城主 直虎』というドラマは、この一点を巡ってフィクションとして屹立している。これゆえにこそ面白いのである。
 高橋さん演じる政次は奸臣どころか、直親とともに井伊家を盛り立てようと熱意に燃える忠臣だった。しかし、親友にして若き当主でもある直親を死に追いやり、自分だけが「今川の犬」として生き残った。これ以降、彼はその因果を背負って生きていく。直虎をふくめ、周囲の誰にもこの負い目を口にできぬままに……。裏返しではあるが、じつになんともヒロイックな役なのである。
 直親が殺された時点では、おそらく彼は自分が今川の名代として当主の座におさまる以外に存続の道はない、と考えていただろう。さもなくば、男系の途絶えた井伊家はいずれ取り潰されるだけだ。
 だが、一念発起したおとわ(幼名)が還俗し、「直虎」という厳めしい名を名乗って城に戻り、当主たることを宣したのち、彼の姿勢もかわっていく。初めのうちこそあれこれ妨害していたが、それは自身の権力欲のためではなく、彼女に一国の舵取りは無理だと思っていたからだ。直親の例を出すまでもない。舵取りひとつ間違えば、死に直結するのである。そんな危険な立場に置くわけにはいかない。矢面に立つのは自分でよい。そう考えていたからだ。
 やがて直虎が持ち前の行動力と誠実さであまたの難題に取り組んで、家臣や領民の信を勝ち得、さらには今川にまでその力量を認められるようになると、彼はひそかに補佐役へとまわる。今川との「外交」に腐心しながら、鋭い頭脳で先読みをして、来るべきトラブルの芽を摘み、直虎が困り果てている際にはそっと解決のヒントを与える。
 しかし、それらはすべて「陰ながら」行われることだ。直虎の家臣たちにとっては彼はあくまで奸臣であり、今川家にとってはあくまで「飼い犬」である。直虎じしんも当初はそう思って彼を敵視していたが、あることをきっかけにその本心に気がつき、愕然として、それ以降は無二の腹心として頼るようになる。ただ、それも内々のことであり、けして表向きにはできない。政次の真情をわかっているのは、直虎のほかには後見人の南渓和尚(小林薫)と、あとは政次の亡き弟の未亡人(山口紗弥加)くらいのものだろう。
 いうまでもないことながら、政次は直虎のことが好きでたまらないのである。げんに彼は独身のままだ。直虎はかつて尼僧であったし、現在は立場があるので伴侶はいない。しかし小野政次が妻を娶らぬ理由はない。幼き日からの、「おとわ」への愛を一途に貫いているのだ。
 こうやってつらつら書いてると、ドラマとしてはわりとありそうな設定にも見えるが、そこに圧倒的な存在感を付与しているのが高橋一生の演技だ。おおげさな感情表現はいっさいしない。表情の変化も、「乏しい」という言葉がふさわしいほどで、ちょっと能面をすら思わせる。台詞回しも一貫して穏やか。それでいて、秘められた思いの深さが伝わってくるのだ。「恋敵」に当たる龍雲丸役の柳楽優弥が派手な芝居をしてるから、よけいに際立つ感もあるが、いずれにしても若いのに渋い役者さんである。もし二十代の前半くらいまでだったら、ぼくにも小野政次の思いのたけが分からなかったかもしれない。
 「歴史上、冷血・奸佞と見なされている人物が、じつは人間味あふれる善人だった。」という話は、山本周五郎の『樅の木は残った』をはじめ少なくないが、ぼくの見たドラマや映画に限っていえば、ここまでのところ、高橋さんの演じる小野政次はトップレベルだ。
 史実であり、すでにネット上にも情報があふれているから言ってしまうが、城に入った政次はこのあと、井伊谷に攻め入ってきた徳川家康(阿部サダヲ)の軍によって処刑される。このまえの予告編では、「地獄へは俺が行く。」というようなことを、小野政次は言っていた。徳川軍が攻め込んだ時、領主の座に座っていたのが直虎であれば、彼女が死ぬことになったかもしれない。政次は計算づくで、すべて承知で身代わりとなったことになる。カッコよすぎるではないか。
 高橋一生は、もともと実力派として注目を集めていたが、今年『カルテット』というドラマで一挙にファンを増やしたという。『直虎』の視聴率があまり振るわないそうだが、もったいないことだ。ふだん敬遠している方も、とりあえず次回(8月6日放送分)だけでもご覧になったらいかがでしょうか。



ボブ・ディランのノーベル賞。

2016-10-14 | 映画・マンガ・アニメ・ドラマ・音楽
 いぜんから候補者リストに入っていた、なんてことぜんぜん知らなかったので、ボブ・ディランのノーベル文学賞にはびっくりした。そもそもディランにそれほど馴染みがない。手元にあるアルバムは「ブロンド・オン・ブロンド」だけで、それもめったに聴くことはない。彼の詩をじっくり読みこんだこともない。いま側にあるディラン関連の「文献」といえば、『ロック・ピープル101』(新書館)に収録された佐藤良明さんの短いエッセイくらいである。
 それは簡潔ながらも中身の詰まったいい文章だけど、あくまでもロック史の文脈のなかでの解説で、彼の書く詩を文学史の系譜において論じているわけではない(「中西部の生活に密着したバイブルの言葉が、ランボーやブレヒトの言葉と渾然一体になって……」という魅力的なフレーズはあるにせよ)。
 ディランという芸名(?)はディラン・トマスから取ったという説が一般的だ(異説もあるらしい。ちなみにぼくは、ディラン・トマスの詩はけっこう読んだ)。それに「風に吹かれて」をはじめとして、彼の詩が「文学」として高く評価され、アカデミックな研究対象にまでなっているとも聞いてはいたが、しかしノーベル賞となればまた別の次元の話である。とりあえず、ほんとびっくりしました。
 ただ、こんなことは思った。もし「20世紀の詩人の中で、社会にもっとも大きな影響を与えた人は?」というアンケートを取ったら、たしかにディランは上位にくるかもしれない。存命の方にかぎれば尚更である。むろん優れた詩人はいっぱい出たが、いうまでもなくディランは(広い意味での)ポップ・シンガーなのだから、間接的なものまで含めれば、その影響ははかりしれない。早い話、村上春樹がいなくてもボブ・ディランは厳然としてボブ・ディランだけど、もしもディランの存在がなかったら、ハルキさんの書くものは今とはずいぶん変わってたろうということだ。『風の歌を聴け』というタイトルだって、どうなってたかわからない。
 個人的なことをいうならば(まあ個人的なことしかいってないけど)、ぼくはアメリカのビート詩人が大好きなので、そういう点ではうれしかった。仮にディランを文学史のなかに位置付けるならば、それはやっぱりビートニク系詩人ってことになると思うから。ケルアックやギンズバーグが生きてたら、彼らにも受賞の可能性はあったんだろうか?

1945年以前を舞台にした映画リスト。

2016-06-18 | 映画・マンガ・アニメ・ドラマ・音楽
初出 2013/09/29(のち一部を改稿)


 「ある特定の時代に書かれた小説/作られた映画」を調べ上げるのは容易いけれど、「ある特定の時代を舞台にした小説や映画」について調べるのは厄介だ。ためしに『1930年代を舞台にした(あるいは、「背景にした」)映画』というワードで検索を掛けてみたけども、思わしい結果は得られなかった。腰を据えてやったわけじゃないので不備があるかも知れないが、ネット文化の盲点といえる気もする。こんなときにはやはり書物のほうが役に立つ。

 手元にある映画関連の本を見ると、子供の頃に「日曜洋画劇場」や「金曜ロードショー」なんかで観た有名な映画がけっこう意外な時代を舞台にしていて面白かった。ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード主演のニュー・スタイル西部劇『明日に向かって撃て!』は1969年の作品だが、舞台は1900年つまり明治33年なのだ。「西部劇」といったらせいぜい19世紀の半ばくらいじゃないかと思ってしまうが、じっさいにはアメリカの一角では20世紀の初頭まで無法者たちがパンパン撃ち合いをやってたわけだ。今もなお社会に暗い影を落とす「銃への信仰」のルーツの一端が垣間見えるようだ。しかしこの時代にはもう「映画」というジャンルは誕生しており、ゆえに「最初の西部劇」といわれる1903年の「大列車強盗」なんてのはじつは「同時代映画」であったということになる。

 作品としてはたんなる大げさなメロドラマだが、記録的な興行収入を上げて賞も貰った『タイタニック』は1912年つまり大正元年が舞台。これは史実に即しているから分かりやすい。しかしあの映画を観たひとのうち何人くらいが「これは大正元年のことなんだ……」と認識していたか怪しいように思うので、いちおうここに書いとこう。なお、「タイタニックの悲劇」を描いた映画で、あれほどカネは掛かっていないが優れたものは他にもっとたくさんありますよ。

 『風立ちぬ』のコメント欄で話に出たウォーレン・ベイティーの『レッズ』は、1917年つまり大正6年のロシア革命に衝撃を受けて母国アメリカに共産主義運動を根付かせようとした実在のジャーナリスト/社会活動家ジョン・リードを描いた作品。「レッズ」とはまさに日本語でいう「アカ」である。長く重厚な作品だが、これが封切られたのが1981年つまり昭和56年というのが興味ぶかいところ。時あたかもタカ派のR・レーガン(思えばこの人も元俳優)が大統領の座に就き、「新自由主義」の原点のひとつ「レーガノミクス」を推し進めていた時期であった。ハリウッドの映画人たちが気骨を示したということか。1917年はまた第一次大戦のさなかでもあって、ピーター・オトゥール主演の『アラビアのロレンス』もこの時代が舞台ということになる。製作は1962年。高校の世界史の若い女性の先生がこの映画の(そしてたぶんピーター・オトゥールの)大ファンだったのをいま思い出した。

 映画そのものを観たことがない若い人でも主題歌だけは必ずどこかで耳にしているジーン・ケリーの『雨に唄えば』は1928年つまり昭和3年が舞台。無声映画からトーキーに移り変わる映画界のウラ事情が背景となっている。作られたのは1952年。1950年代には1920年代を描いた佳作がいろいろ作られており、マリリン・モンローの代表作のひとつ『お熱いのがお好き』もその中の一本だ。「聖バレンタインデーの虐殺」を目撃してしまったばかりにマフィアから狙われ、女装して逃げ回るトニー・カーチスとジャック・レモンの珍道中を描いた喜劇。製作は1959年だけど、舞台は1929年つまり昭和4年。1920年代はジャズエイジと呼ばれるが、アル・カポネを筆頭にギャングの跳梁した物騒な時代でもあった。もちろん1929年は、NY市場の大暴落に端を発した世界恐慌勃発の年でもある。海の向こう、ニュルンベルクではナチスが60万人を集めて党大会を開催した。第二次世界大戦の胎動は少しずつ高まり始めていたのである。

 続いて1930年代を舞台にした映画をリストアップ。「忙中自ずから閑あり」ってやつで、暇を見つけて気分転換に書いてるので、とうてい網羅的なものではない。まあ茶飲み話と思ってお読みください。まず1930年つまり昭和5年といえば、前年の世界恐慌の余波が隅々まで行きわたり、失業者が街にあふれた年。この年のニューヨークのありさまを描いたハリウッド映画がないはずはないと思うんだけど、ぼくにはちょっと思いつかない。心当たりのある向きはコメント欄でご教示を賜れば幸いだけど、とりあえずここでは名匠ジョン・フォードが1930年の中西部の惨状を描いた『怒りの葡萄』を挙げておきましょう。原作は言わずと知れたスタインベックの同題の名作。作られたのは1940年とかなり早くて、ほぼ同時代と言える。スポットが当てられているのは都市生活者ではなくオクラホマに住む農民だけど、アメリカ流のプロレタリア文学というべき一大叙事詩で、今も新潮文庫で手に入る。

 そんな中でもエンパイア・ステート・ビルなんてものをぶっ建ててしまうのがアメリカって国の凄いところ。摩天楼という言葉はここから生まれた。1931年つまり昭和6年に完成したこのエンパイア・ステート・ビルをさっそく舞台にしたのが2年後の1933年に作られた『キング・コング』。追い詰められたコングは愛する美女を守ってこの天辺から墜落する。まあ地上最大のストーカーというべきか。特撮怪獣映画の原点でもあり、この作品自体が一つの「記念碑」と呼べるかもしれない。キング・コングはアメリカ人の琴線にふれるのか、このあとも繰り返しリメイクされる。

 ライアン・オニールと実娘のテイタム・オニールが共演し、テイタムが史上最年少(この記録はまだ破られていない)でアカデミーを取った『ペーパー・ムーン』は1973年つまり昭和48年の作品だが、1932年つまり昭和7年を舞台にしている。このあいだ続編が公開されたフルCGアニメ『怪盗グルーの月泥棒』や、コンゲームものの要素を加味した『マッチスティック・メン』など、「要領よく世の中を渡ってきた無責任な男が、ある日とつぜん《子ども》を得ることによって生活が激変し、人間として成長していく」という物語類型のおそらくこれが原点かと思う。日本のドラマでも手を変え品を変えこのパターンは作られており、脚本家と演出家と主演男優と子役の力量がキビしく問われる次第となっている。

 1934年つまり昭和9年ごろの、「行き場のない若者たちの焦燥と暴走」を描いた作品といえば何といっても『俺たちに明日はない』。主演はウォーレン・ベイティーとフェイ・ダナウェイ。ふたりの演じた「ボニーとクライド」は固有名ではなくもはやほとんど普遍名詞であり(宇多田ヒカルの歌にもある)、この作品もまたひとつの物語類型の原点といえよう。公開は1967年つまり昭和42年で、ベトナム戦争の真っ只中だった。そういった時代背景へのメッセージが込められてるのは言うまでもない。

 1936年つまり昭和11年はベルリン五輪、226事件、スペイン内乱と内外で大きな出来事があった。ベルリン・オリンピックを神々しく撮った記録映画が女性監督レニ・リーフェンシュタールの『民族の祭典』。むろん国策映画なのだが圧倒的な完成度を誇る名作であり、その芸術性は認めざるをえない。7年後の東京五輪でもひょっとしたら類似の企画が立てられるかもしれないが、だれが監督に選ばれたとしてもこれを超えるのは至難であろう。スペイン内戦を扱った作品としては、じっさいに従軍したヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』が1943年にゲイリー・クーパー、イングリッド・バーグマン主演で映画化されている。戦時下において『風と共に去りぬ』や『誰がために鐘は鳴る』なんかを作っちゃう国と戦争しちゃあいけません。

 1938年つまり昭和13年になると、欧州全域にヒトラーのナチス・ドイツの恐怖が行きわたる。これを痛烈に風刺したのがご存知チャップリンの『独裁者』。子供のころに観たときはただ笑い転げただけだったが、20代半ばで再見した際はご多分に漏れずあの演説シーンで涙が出た。「チャップリンのああいうところが好きになれない。」と言ってバスター・キートンのほうを支持する喜劇通の方も少なくないようにお見受けするが、やっぱりチャップリンの偉大さは否定できないと思う。彼がこれを作ったのは1940年で、だからさあ、戦時下において『独裁者』なんかを作っちゃう国と戦争したら駄目だっての。

 1938年を舞台にした映画で、もう一つ忘れてはならないのが『サウンド・オブ・ミュージック』。製作は1965年つまり昭和40年だけど、超大作『クレオパトラ』のせいで会社が傾いた20世紀フォックスは、この作品の思いもよらぬ大ヒットのおかげで持ち直したといわれる。ジュリー・アンドリュース演じる修道院出身のマリアが、トラップ一家の7人の子供と共にアルプスを越えてスイスに亡命するのは、オーストリアがナチス・ドイツに併合されたためだった。彼女と子供たちとの関係性もまた、ひとつの「物語類型」として、その後のいろいろなドラマに影響を与えているに違いない。

 このあとはいよいよ戦争の影が世界を覆い、「この時代を舞台にした映画」といえばたいていが戦争ものということになる。そろそろ時間もなくなってきたし、1942年つまり昭和17年を舞台にした名作中の名作を最後に挙げておきますか。そう。もちろん『カサブランカ』。しかもこの映画、その1942年に製作されているわけで、じつは同時代映画なのである。だから戦時下において『カサブランカ』なんかを……もういいか。

 モロッコのカサブランカが舞台となっているのは、戦火のヨーロッパを逃れてアメリカに渡ろうとする人たちが、この地でリスボン経由アメリカ行きの切符を手に入れたいがためである。数々の名シーン、名せりふに彩られた作品ながら、なにぶん戦時下ゆえに現場はかなり混乱しており、ラストシーンでイルザが夫と逃げるかハンフリー・ボガートのもとに留まるか、ぎりぎりまでシナリオが決まらなかったという話もある。イングリッド・バーグマンが困っていたそうだ。それであれだけのものに仕上がっちゃうんだからなあ……。この名作もまた、その後に続くたくさんのドラマに決定的な影響を与えているのはいうまでもない。「乾杯だ。こうやって、ここで君を見ていられることにね。」を「君の瞳に乾杯。」と訳したのは、当時の字幕屋さんの大手柄であった。