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旅の淡彩スケッチ便り

水絵描きと申します。旅と絵を描くことが好きです。国内外を旅行した思い出とともに旅先で描いた絵を載せています。

遠野ふるさと村のどべっこ祭り

2011年05月25日 | 旅行記

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遠野の昔ながらの山里を再現したふるさと村には、江戸中期から明治中期に建てられたいくつかの茅葺屋根の曲がり屋があります。村内には小川が流れ、水車が回り、炭焼き小屋などもあり、田畑では実際に耕作がおこなわれています。

訪れた時は「どべっこ祭り」の最中。遠野のどぶろく「どべっこ」を楽しむお祭りですが残念ながら車の運転ができなくなるので飲めませんでした。その日の夜は遠野駅併設のB&Bフォルクロ-ロに泊りました。夕食は街の食堂でとりましたが、そこで昼間飲み損ねたどべっこを美味しく頂きました。遠野の風景をそのまま濁り酒にしたような素朴な味がしました。


ザシキワラシ

2011年05月20日 | 旅行記

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昔話村では、語り部から「昔あったずもな」で始まり「どんと晴れ」で終わる遠野の民話を聞きました。そのひとつにザシキワラシの話があります。ザシキワラシはこの地方の精霊で名前の通り人家の座敷や蔵に住んでいると言われています。

その家の住人からは見えないそうですが、他人からは見えることもあり、可愛い童女の姿をしていることが多いそうです。ザシキワラシが住む家は栄え、居なくなるとその家は没落すると言われています。そのとき聞いた話もザシキワラシに去られた大金持ち一家が毒キノコを食べて全滅するという話でした。

遠野から盛岡へ通じる遠野街道をしばらく走ると、石垣が積まれた上に山城のような大邸宅が見えてきます。絵はその千葉家です。代々栄えてきた富農ですが、きっとこの家にはザシキワラシが住み続けてきたのでしょう。


銀河鉄道の夜

2011年05月14日 | 旅行記

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昨年来た時は、花巻温泉で前泊してから国道283号線を通って遠野へ向かいました。道は遠野に着く直前にJR釜石線の橋の下を潜ります。絵はその宮守川橋梁 通称めがね橋です。

国鉄の前身、岩手軽便鉄道時代のことですが宮沢賢治がここへ来たことがありました。賢治が手前の芝生に寝転んで通過する列車を見ていると,まるで列車が中空を飛ぶように見えたそうです。このイメ-ジを膨らませて名作「銀河鉄道の夜」ができました。今は夜になるとライトアップされて若者達のデイトスポットになっているとのことです。


民話のふるさと 遠野

2011年05月09日 | 旅行記

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日本の原風景のような遠野に魅了され2007年秋、2009年春、そして柳田國男の遠野物語出版100年目に当たる昨年秋と計3回訪れました。

絵は車で高清水高原へ登る途中から遠野盆地を眺めた風景です。中央を流れる川は北上川の支流猿ケ石川です。この川には野暮ったいコンクリ-トの代わりに流れに沿って木が植えられ護岸の役目を果たしています。。太古の昔、周りを山に囲まれた遠野は湖だったそうです。

これから何回かに分けて遠野で描いた絵をUPしていきたいと思っています。


二重橋

2011年05月02日 | 旅行記

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大震災後、初めて二重橋を描きに出かけました。皇居入口に架かる橋には鉄橋と石橋の二本の橋がありますが絵は手前にある石橋です。

立入り禁止のロ-プが張られていて皇宮警察官が侵入者を見張っているお堀端までいって描きました。ここは東京の観光名所になっている所です。いつもなら大勢の外人客が訪れるのですが、スケッチをしていた2時間の間に来たのはハトバスツア-の日本人客のみでした。


房総風土記の村

2011年04月25日 | 旅行記

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昨夏、房総風土記の村へスケッチに行きました。とても暑かったのを憶えています。ここには江戸後期から明治初期にかけての房総地方の商家、武家屋敷、農家などが保存、展示されています。2004年にはNHK大河ドラマ新撰組のロケ地にもなりました。


皇居東御苑の諏訪の茶屋

2011年04月18日 | 旅行記

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3月初旬、スケッチ教室で東御苑に絵を描きに行きました。ここは江戸城が建てられていた所で、忠臣蔵で有名な刃傷事件があった松の廊下跡や同心番所、百人番所などがあります。

まだ周りは冬枯れの木々でしたが、風もなくて暖かく楽しく絵を描くことができました。放射能汚染やペットボトルパニックもなく平穏な日々が続いていました。 5日後にあのような巨大地震が起こるとは夢にも思いませんでした。


シントラのペナ宮殿

2011年04月11日 | 旅行記

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絵はポルトガル最後の日にオプショナルツア-で訪れたシントラのペナ宮殿です。この城はフェルディナンド二世によって1839年に建てられました。

フェルディナンド二世はノイシュヴァンシュタイン城を建てたル-トヴィッヒ二世のいとこにあたりますがきっと彼に対する対抗心があったのでしょう。しかしながら城のイメ-ジはかなり異なり、直線的な華麗な美を誇るノイシュヴァンシュタイン城に対して、曲線が多くどことなくお伽の国のお城を思わせるような優美な感じがします。


リスボンの市電

2011年04月07日 | 旅行記

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旅の最後はリスボンに二連泊しました。自由時間があったので狭い街路を建物スレスレに走るリスボン名物の市電を描きたいと走り回りましたが思うような構図が見つかりませんでした。

困っていたところ、うっちいさんのブログ「ポルトガル一人旅」リスボン編の中に素敵なショットを見つけました。写真をお借りして絵にしたいと申し出ると快くご了解していただいたので描いてみました。

黄色いボディの電車が急な坂道を上り下りする姿はいつまで見ても見飽きません。


ロカ岬

2011年04月04日 | 旅行記

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オビドスを後にしてロカ岬に向かいました。ここはユ-ラシア大陸最西端の地。灯台の傍にポルトガルを代表する詩人カモンイスの有名な詩の一節「ここに地果て、海始まる」と書かれた石碑がありました。


オビドス旧市街

2011年03月31日 | 旅行記

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1歳になる孫を放射能から守るため、郷里の和歌山へ15日間の逃避行をしました。行った当初は水もケ-スで買えるほど余裕がありましたが、帰るころには家族につき2Lのペットボトル2本までしか買えなくなりました。自宅も気にかかりますし,用事もありますのでいつまでもいるわけにはいきません。昨日福島原発から200キロに位置する我が家へ帰ってきました。今後どのように事態が推移していくのか心配です。

そんなわけで2回にわたってブログを中断しましたが、更新が無かったにも関わらず、毎日20件を超えるアクセスがありうれしくなりました。

絵はオビドスの旧市街。10分も歩けば街をひと巡りできるほどの小さな村です。


オビドスのプチホテル

2011年03月14日 | 旅行記

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三日前、東日本で巨大地震が発生しました。震源地の三陸沖から数百キロ離れた我が家でも激しく揺れ、棚からグラスやコ-ヒ-カップが落ちて割れたり、冷蔵庫の上に置いた電子レンジが床に落下して壊れました。原発がストップして電力が供給不足になったため、私の住む街でも数週間にわたって停電が予定されています。さっそく今日は延7時間20分の停電があります。好むと好まざるとにかかわらず、今は原子力なしには生きて行けない時代であることを再認識させられました。こんな非常時に、呑気にブログを書くのは気がひけるのですが、暗いニュ-スばかりで憂鬱な気分になっているのを変えたいと思って、停電の合間を利用してUPすることにしました。

旅行会社から送られてきた案内によるとこの5月に服部久美子先生と行くポルトガルスケッチ旅行が企画されています。ポルトガルスケッチというと必ず行くのが、ここオビドスとポルト。服部先生のツアーでもここに二連泊することになっているようです。

絵はオビドスの中心部にあるプチホテル。我々はほんの1時間ちょっとしか滞在しませんでしたが、スケッチツアーではこんなホテルに泊って終日絵が描けるのかと思うとちょっぴり羨ましくなりました。


谷間の真珠と呼ばれる街オビドス

2011年03月07日 | 旅行記

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旅行5日目、城壁に囲まれた小さな村、オビドスを訪れました。ここは谷間の真珠と呼ばれる中世の村で、歴代の王妃が好んで住んだところです。支配者が女性だったせいか、街の雰囲気がどことなく華やかな感じがしました。

着いたときはちょうどクリスマスシ-ズン。街の劇場でクリスマスのイベントがあるらしく、サンタの服装をしたかわいい幼稚園児たちが大勢来ていました。

絵は城壁の上からの眺めです。画面後方に見えるのは王妃の居城があったところです。


バカリャウとイワシの塩焼き

2011年02月28日 | 旅行記

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この日の夜、ナザレという街に泊りました。絵はそのホテルの屋上からの眺めです。朝日に照らされて家々の屋根や切り立った断崖が赤く輝いていました。4世紀にパレスチナのナザレから一人の聖職者がこの街にマリア像を持ち込んだことからこの名がついたとか。

夕食は海沿いのレストランで食事をしました。ロケ-ション」は抜群ですが、メインディシュに出されたのはイワシの塩焼き。大きな皿に盛られた3本のイワシをナイフとフォ-クでいただきました。

今回の旅行ではバカリャウという名のポルトガルの国民食ばかり食べさせられました。干した鱈を熱で戻したものにジャガイモやスクランブルエッグなどを添えたものですが、これにキャベツのス-プとデザ-トが付きます。一度くらいなら辛抱できますが、これがこの国に来て以来毎日出されるものですからたまりません。幸いにも私は体調を崩していたので、今までは何とも感じませんでしたが、風邪が治り食欲がでてくると貧弱な食事にがっかり。結局、この日のイワシが旅行期間を通じて最高の料理でした。


聖ヤコブの奇跡

2011年02月21日 | 旅行記

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旅行4日目、朝起きると奇跡が起こっていました。昨日まで苦しんでいた風邪が治っていたのです。咳もしませんし吐き気もありません。少し大袈裟ですが、長旅で疲れて行き倒れになってしまうのかという思いもあっただけに、昨日までの状況が嘘みたいに感じました。さては(昨日ヤコブの門を通ったご利益があって)罪を許され、病気を治されたのは(相方ではなく)この自分であったのかと思うと気恥ずかしく思いました。

でもよく考えてみると、全ての罪が許されるというのはキリスト教徒であって、異教徒である私には関係ない話です。10年ぶりに門が開かれて大勢の信者や観光客が来訪したため、きっと聖ヤコブが罪を許す相手を間違えたのではないでしょうか。

絵はこの日訪れたアルコパサの街です。この街には世界遺産サンタマリア修道院があります。