旅の淡彩スケッチ便り

水絵描きと申します。旅と絵を描くことが好きです。国内外を旅行した思い出とともに旅先で描いた絵を載せています。

新緑のクロアチア その7

2009年05月28日 | 旅行記

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旅行6日目、ドブロブニクを発ちボスニアヘルツェゴビナ南部の都市モスタルへ向かいました。近づくにつれ、壁だけを残して廃墟となった家々や砲弾跡が生々しい集合住宅などが見えてきました。

ここで昼食を取るためバスを降りましたが、レストランへ行く道すがら乳飲み子を抱きながら物乞いをする人達を幾人も見ました。墓場には真新しい墓石が林立する異様な光景、よく見ると没年は全て1993年となっていました。自然死でなく殺された人々の墓です。

宗教、民族が異なる人達が仲良く暮らしていた街が、ユ-ゴ連邦崩壊により内戦が激化して一変し、殺し合いが始まりました。隣人や親戚同士が争う凄惨な復讐戦です。

その時、16世紀にオスマントルコによってネレトバ川に架けられ、民族融和の象徴となっていたこのスタリ モスト(古い橋)も爆破されてしまいました。

絵は2004年に再建された古い橋です。


新緑のクロアチア その6

2009年05月23日 | 旅行記

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まだ時間があるので、もう1枚描こうと港に近い旧市街へ。石壁を背にして描いているとき、頭上から鳩に糞をされました。慌ててそこを離れ、1Mくらい離れたところから描き始めましたが、またしても糞攻撃です。よく見ると上に鳩が巣にしている窪みがありました。どうも私を狙って攻撃してくるようです。鳩に恨まれる理由はないのに嫌われているようです。頭や着ていた上着やせっかく描き上げた絵の上にまで白い糞がついて泣きたい気持ちになりました。

もっとも、よく考えてみると、この街は1991年のユ-ゴ内戦時、空爆と艦砲射撃によって徹底的に破壊され危機的世界遺産に指定されました。その後、多くの国からの援助などによって危機を脱しましたが、そのことを思うと糞攻撃くらいは我慢しなければと気を取り直しました。


新緑のクロアチア その5

2009年05月18日 | 旅行記

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旅行5日目、オプショナルツア-に参加するのを止めてドブロブニクで絵を何枚か描きました。4月というのに夏のような暑さです。

旧市街を歩いているとき、涼しそうなカフェを見付けました。路地になっているところにテントが張られていて、コ-ヒか何かを飲みながら談笑している人達がいます。これをモチ-フにしようと道の反対側から描きましたが、私がいるところは直射日光がまともに当たるところです。

汗だくになりながらなんとか描き上げました。


新緑のクロアチア その4

2009年05月14日 | 旅行記

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その昔、ヴェネツィア共和国と海洋貿易の覇権を争ったドブロブニクは、クロアチアの最南端に位置し、アドリア海の真珠と呼ばれる美しい街です。

ここは地中海やエ-ゲ海やアドリア海を巡るクル-ズ船が必ず立ち寄る所です。私たちが訪れた時も多層デッキを持った大型クル-ズ船が入ってきていました。

絵はそのドブロブニク港です。


新緑のクロアチア その3

2009年05月09日 | 旅行記

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今回の旅行で一番行きたかった所、それは プリモシュテン です。残念ながらツア-の日程には入っていなくて、スプリットからドブロブニクへ行く途中のバスの車窓からちらっと見ただけでした。

15-16世紀、オスマントルコに攻められ、追いつめられたキリスト教徒が、海に落ちてしまいそうな岩礁の上に街を造りました。それがここ プリモシュテンです。もともとひとつの島になっていたようですが、橋が架けられ、陸続きになりました。こんな小さな島に住んでどんな暮らしをしてきたのか興味が尽きないところです。

プリモシュテンがあるダルマチア海岸には、他にもトロギ-ルやザザ-ルなどの街が海岸線に沿って点在しています。赤い屋根と白壁の家々が紺碧のアドリア海にマッチして例えようもない美しさです。

添乗員さんの話では、宮崎駿夫監督が「紅の豚」や「魔女の宅急便」のアニメを製作するにあたって、そのイメ-ジを膨らませたのが此処だったということです。アニメは見ていませんが何となくわかる気がします。


新緑のクロアチア その2

2009年05月04日 | 旅行記

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4月21日朝10時55分発のオ-ストリア航空で成田を発ち、ウィ-ンで国内線の小さなプロペラ機(少し怖かった)に乗り換え、クラ-ゲンフルトに着いたのが日本時間の翌朝の5時。そこからさらにバスで2時間、ホテルに着いて風呂を浴びて寝たのが、日本時間の朝8時過ぎでした。「遠いところへ来たものだ」というのが第一感です。

 昨夜遅く寝たのに、興奮しているせいか朝早く目覚めました。カ-テンを空けると、快晴の空です。こうしてはいられないと、カメラとスケッチブックを持って飛び出しました。ホテルの前の坂を3-4分降りると、ブレッド湖です。湖畔から、新緑のブレッド島やブレッド城、遠くには残雪の山々が見えます。「絵のような景色」とはこのような景色を言うのでしょう。

朝10時の出発には食事時間を除いてもまだ2時間以上あるので、F2のスケッチブックを広げて1枚描きました。画面中央にあるのはブレッド島にある聖マリア教会です。

今日はこのブレッド湖を手こぎボ-トで渡り、島の教会へ行くことになっています。聞くと昨日は雨だったとのこと。我々はラッキ-でした。