旅の淡彩スケッチ便り

水絵描きと申します。旅と絵を描くことが好きです。国内外を旅行した思い出とともに旅先で描いた絵を載せています。

水元公園 その1

2009年03月28日 | 旅行記

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葛飾区にある水元公園は家からも近いので時々絵を描きに来ます。広さは81万平方メ-トル。都区内最大の公園です。

戦後一時期ここを競艇場にする計画があり、都議会で議決されたようですが、中止となった経緯があります。競艇場にならなくて本当に良かったと思います。

絵は小合溜に沿ったところで対岸は三郷です。


湯浅 その3

2009年03月21日 | 旅行記

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湯浅は醤油と金(径)山寺味噌の町です。金山寺味噌は元々、夏に収穫した野菜を冬に食べるための保存食だったようで、米、麦、大豆に瓜、茄子、生姜、紫蘇を混ぜ合わせ発酵させたものです。

湯浅が醤油の町になったのは室町時代からのようです。江戸時代には紀州徳川家の保護を受け、100軒近くの醸造元があったそうです。

絵は「大仙堀」。往時はこの大仙堀から醤油や金山寺味噌を船積みして各地に出荷しました。


湯浅 その2

2009年03月14日 | 旅行記

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湯浅では私の生家に泊まります。父母が亡くなってから10年余が経過して、無住だった家は傷みが激しくなってきています。今のところ何とか雨露を凌げるものの、維持していくだけの力はありません。恐らく私と時を同じくして朽ち果てていくのではと思っています。

絵は「湯浅港」、停泊しているのは全て漁船です。

豪商として有名な紀伊国屋文左衛門が生まれたのは、生家から歩いて5分ほど行った別所という所ですが、彼がこの港から江戸に向けてミカン船を出航させたことは充分考えられます。


湯浅 その1

2009年03月07日 | 旅行記

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奈良を発ち、私の故郷紀州の湯浅へ向かいました。

湯浅は、熊野街道の宿場町だったところですが、経済発展から取り残され、時間が止まったような街です。もっとも、そのおかげで昔の町屋の風情が今もなお残っています。

絵は、湯浅の旧市街「北町通り」です。この近くに建保4年(1216年)後鳥羽上皇が熊野へ参詣されたとき、この里で座って月を眺めたという「月見石」があります。後鳥羽上皇は、熊野詣でがお好きだったようで合計28回も御幸されています。


お水取り

2009年03月01日 | 旅行記

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今日3月1日から2週間に渡って東大寺の二月堂を舞台に修二会が行われます。俗にお水取りといわれていますが、僧侶達が衆生に代わって苦行を実践して本尊の十一面観音に祈ります。この行事が終われば奈良では春になると言われています。

絵は「二月堂への坂道」です。道端で座って描いているとき、アベックに英語で話しかけられました。絵を褒められたので「どこから来たの?」と尋ねたら「上海から」という答えが返ってきたので、昨秋蘇州に行って絵を描いてきた話をしました。