旅の淡彩スケッチ便り

水絵描きと申します。旅と絵を描くことが好きです。国内外を旅行した思い出とともに旅先で描いた絵を載せています。

バカリャウとイワシの塩焼き

2011年02月28日 | 旅行記

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     (画面上で左クリックすると絵が大きくなります)

この日の夜、ナザレという街に泊りました。絵はそのホテルの屋上からの眺めです。朝日に照らされて家々の屋根や切り立った断崖が赤く輝いていました。4世紀にパレスチナのナザレから一人の聖職者がこの街にマリア像を持ち込んだことからこの名がついたとか。

夕食は海沿いのレストランで食事をしました。ロケ-ション」は抜群ですが、メインディシュに出されたのはイワシの塩焼き。大きな皿に盛られた3本のイワシをナイフとフォ-クでいただきました。

今回の旅行ではバカリャウという名のポルトガルの国民食ばかり食べさせられました。干した鱈を熱で戻したものにジャガイモやスクランブルエッグなどを添えたものですが、これにキャベツのス-プとデザ-トが付きます。一度くらいなら辛抱できますが、これがこの国に来て以来毎日出されるものですからたまりません。幸いにも私は体調を崩していたので、今までは何とも感じませんでしたが、風邪が治り食欲がでてくると貧弱な食事にがっかり。結局、この日のイワシが旅行期間を通じて最高の料理でした。


聖ヤコブの奇跡

2011年02月21日 | 旅行記

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旅行4日目、朝起きると奇跡が起こっていました。昨日まで苦しんでいた風邪が治っていたのです。咳もしませんし吐き気もありません。少し大袈裟ですが、長旅で疲れて行き倒れになってしまうのかという思いもあっただけに、昨日までの状況が嘘みたいに感じました。さては(昨日ヤコブの門を通ったご利益があって)罪を許され、病気を治されたのは(相方ではなく)この自分であったのかと思うと気恥ずかしく思いました。

でもよく考えてみると、全ての罪が許されるというのはキリスト教徒であって、異教徒である私には関係ない話です。10年ぶりに門が開かれて大勢の信者や観光客が来訪したため、きっと聖ヤコブが罪を許す相手を間違えたのではないでしょうか。

絵はこの日訪れたアルコパサの街です。この街には世界遺産サンタマリア修道院があります。


サンチャゴデコンポステ-ラ大聖堂

2011年02月14日 | 旅行記

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国境を超えスペインに入り、1時間ほど走ったところで、歓喜の丘に着きました。長い旅の末、サンチャゴ デ コンポステ-ラが望めるこの丘にたどり着いた巡礼者が歓喜の声をあげることからこの名が付いたとか。私たちが着いた時も、ホタテガイをリュックに付けた若い二人の巡礼者に会いました。聞くとドイツから徒歩で来たとのことでした。

丘を下りてしばらく走ると大聖堂に到着しました。目指すヤコブの門は大聖堂の裏手にありました。門を入り、狭い階段を上って眩しく光輝くご本尊の聖ヤコブの像に後ろからハグして接吻しました。こんなことができるのは今だけです。

ここはロ-マ、エルサレムと並ぶキリスト教の三大聖地のひとつとなっています。フランスのブルターニュのヴァンヌ市に住んでいる、熱心なカトリック教徒である娘の義父母も、この街を目指して徒歩で巡礼の旅をしてきました。当時は勤めがありましたので、できるのは夏のバカンス休暇のときだけ。祖父のジェラ-ルさんが車で伴走して、何回かに分けて旅をしたそうです。なぜ巡礼者がホタテガイを身につけるのか不思議でしたので義父に聞くと 「セ トラディショネル それが伝統というものです。」という答えが返ってきました。

絵は今年の年賀状にした絵柄のひとつ 大聖堂です。


ヴィ-ニョ ヴェルデ

2011年02月07日 | 旅行記

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ポルトを発ち高速道路を北上してスペインへ向かいました。今回の旅は、入ると全ての罪が許されると言われ、約10年に一度開くサンチャゴ デ コンポステ-ラ大聖堂のヤコブの門を通ることがウリとなっていました。今日はそこへ行く予定になっています。

相変わらず体調が優れず咳と吐き気が続いています。北上するにつれ気温が低下してきました。「なんで絵も描けない寒い冬にこんな遠い所まで来たのだろう。ひょっとして私が知らない罪があって、それを許してもらうためにここに来たかったのでは。」と相方に愚痴を言いましたが「10年後の貴方は80歳。今回が最後のチャンスです。」と言われ納得する他はありませんでした。

絵は高速道をバスで走行中に見た風景です。スペイン国境に近いこの辺は川が多く、あたり一面川霧がたちこめていました。ここはまたヴィ-ニョ ヴェルデと呼ばれる緑のワインの生産地で有名なところです。試飲する機会がありましたがアルコ-ル度が低くフル-ティ-で飲みやすいワインでした。