私が利用している「ブログ人」から一ヶ月後にブログサービスを廃止しますと言われてショックを受けています。サーバーなどの設備が古くなり新たな変化に対応することが困難になったとのことですが、長く使ってきたのに急に止めると言われても釈然としません。突然梯子を外すようなブログサービス会社のやり方に腹が立ちます。
争っても無料でサービスしているだけだからと言われそうなので来月からgooへ引っ越すことに決めました。7年間も使って掲載した絵だけでも400枚前後になります。幸い今までのデーターはそのまま移すことができそうなのですが、面倒なことになりそうで今から頭が痛いことです。
毎週見ていただいている方にご迷惑をおかけしますがブログのタイトルは「旅の淡彩スケッチ便り」ハンドル名は「水絵描き」でいく予定です。しばらくの間はリダイレクトできるとのことなのでどうか今後ともよろしくお願いします。
絵は下田の旧市街、こちらの伝統なのか「なまこ壁」の家を多く見ました。ハリスに仕えた唐人お吉(幸薄かった人生だったと言われていますがすごい美人です)が後年開いた小料理屋安直楼もこの近くにありますが、その家にもなまこ壁がありました。
旅行8日目、ウィ-ンを発ちザルツブルグを訪れました。この街に来るのは2回目です。ここでは映画サウンドオブミュージックの中でマリアと子供たちがドレミの歌を歌ったミラベル庭園などを訪れました。
昔、娘とユーレイルパス(周遊券)を使って旅行したとき、ハルシュタットへ行くローカル線に乗り換えるべきところを間違ってザルツブルグ行きの急行電車に乗ってしまってここでUターンした思い出の街でもあります。
ザルツブルグのザルツは「塩」、ブルクは「砦」を意味しますが、その名の通りこの街は塩によって栄えたところといわれています。中世の時代、塩は金と比較されるほど貴重だったそうで、この地方で豊富に産出される岩塩を製塩してザルツァハ川を通じて欧州各地に送られていたとのことです。
絵はザルツブルグの街。背後にそびえるのはホーエンザルツブルグ城です。
旅行6日目、ブダペストを後にしてウィーンへ向かいました。ウィーンではクラシックコンサートを楽しんだり、美術史美術館やシェーンブルン宮殿などの見学をしました。
絵はライトアップされたカールス教会です。教会近くのケルントナー通りは娘と落ち合うためのホテルを捜して重いトランクを引きずりながら1時間近く歩き回ったところです。10年以上昔のことになりますが、娘がフランスで挙式することになり先方のご両親への挨拶や結婚式の打ち合わせを兼ねて娘と二人だけでオーストリア、スイスとフランスを旅行したことがありました。やっとホテルを探し当てたものの、パリからサベナ航空(今はないベルギーの航空会社)でやってくるはずの娘がなかなか到着しないのでやきもきしました。(ブログ2008年12月17日掲載参照)
(画面上で左クリックすると絵が大きくなります)
スコットランド、湖水地方、コッツウォルズなどを巡る旅からたった今帰ってきました。
旅行五日目、ハンガリーに入りセンテンドレを散策したり、マーチャーシュ教会、漁夫の砦、ゲレルトの丘など首都ブダペストを観光しました。
昼食を挟んで3時間も歩いて疲れた頃、地下鉄に乗り皇后エリザベートもお忍びで通ったといわれるカフェ ジェルボー でティータイムを楽しみました。
絵は夕食をとったレストラン近くの鎖橋、橋の袂で若いアベックが記念写真を撮っていました。
夕食中にジプシーと思われる3人編成の流しの楽団がやってきましたが、誰も頼もうとしません。せっかく来てくれたのにこのまま帰すのが可哀想になり、皆を代表して「屋根の上のバイオリン弾き」をリクエストしました。
(画面上で左クリックすると絵が大きくなります)
息子から期限切れが近いANAのポイントを譲り受けて明日から2泊3日で蒜山、松江、出雲方面にスケッチに出かけますので早めにUPします。
プラハのダウンタウンを歩いているとき、絵のようなビルを見つけました。広い交差点の角に当たるところに建てられているのでよく目立ちます。
帰国後調べてみると1997年に建築されたオフィスビルで、男性が女性を抱きかかえて踊っているように見えることからニックネームは1930年代の有名なミュージカルスターの名を取ってジンジャー&ロジャースまたダンシングビルとも呼ばれています。
地震が多い日本ならおそらく建築許可は下りないかもしれませんね。