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旅の淡彩スケッチ便り

水絵描きと申します。旅と絵を描くことが好きです。国内外を旅行した思い出とともに旅先で描いた絵を載せています。

アロエの里

2014年09月05日 | 旅行記

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先日アクセス数が8万の大台に乗りました。今日現在80560。5年ちょっとで8万ですから年間一万以上のアクセスを頂いていることになります。いつも見ていただいてありがとうございます。

泊まった翌日、バスに乗って下田市白浜にあるアロエの里を訪れました。ここは小さな漁師町ですが、海岸線に沿ってアロエの群落があります。ちょうどキダチアロエの花が満開の時期でアロエ祭りが開かれていました。絵は海をバックに咲いているアロエです。あまり美しい花とはいえませんが青い海にアロエの赤が映えていました。


下田の旧市街

2014年08月29日 | 旅行記

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私が利用している「ブログ人」から一ヶ月後にブログサービスを廃止しますと言われてショックを受けています。サーバーなどの設備が古くなり新たな変化に対応することが困難になったとのことですが、長く使ってきたのに急に止めると言われても釈然としません。突然梯子を外すようなブログサービス会社のやり方に腹が立ちます。

争っても無料でサービスしているだけだからと言われそうなので来月からgooへ引っ越すことに決めました。7年間も使って掲載した絵だけでも400枚前後になります。幸い今までのデーターはそのまま移すことができそうなのですが、面倒なことになりそうで今から頭が痛いことです。

毎週見ていただいている方にご迷惑をおかけしますがブログのタイトルは「旅の淡彩スケッチ便り」ハンドル名は「水絵描き」でいく予定です。しばらくの間はリダイレクトできるとのことなのでどうか今後ともよろしくお願いします。

絵は下田の旧市街、こちらの伝統なのか「なまこ壁」の家を多く見ました。ハリスに仕えた唐人お吉(幸薄かった人生だったと言われていますがすごい美人です)が後年開いた小料理屋安直楼もこの近くにありますが、その家にもなまこ壁がありました。


オーシャンヴューの部屋

2014年08月22日 | 旅行記

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      (画面上で左クリックすると絵が大きくなります)

下田では高台にある東急観光ホテルに2連泊しました。眼下に下田の海が一望できます。水平線に太陽が沈み、暗くなっていく海を見ているうちに絵心が動きました。

そのとき描いたのがこの絵です。ホテルの庭に植えられた椰子(アメリカのカリフォルニアやメキシコに広く分布しているワシントン椰子という樹木だそうです)が南国らしい風情を感じさせました。


下田 了仙寺

2014年08月15日 | 旅行記

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昨年暮、急行「踊り子号」に乗って、下田へ2泊3日の旅をしました。幸い3日間とも天気がよく、関東でも南に位置する下田は冬とは思えないほど穏やかで春のような気候でしたので楽しくスケッチすることができました。

絵は着いたその日の夕方訪れた了仙寺です。そのとき描いたのがこの絵です。真冬というのに背後の山は夕日を浴びて秋の紅葉のような色をしていました。

1854年ここで江戸幕府と米国艦隊ペリー提督の間で交渉が行われ日米下田条約が締結されました。


戸定邸と徳川慶喜

2014年08月08日 | 旅行記

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       (画面上で左クリックすると絵が大きくなります)

5月10日、松戸駅から歩いて10分のところにある戸定(とじょう)邸(重文)へ絵を描きに行きました。ここでスケッチするのは実は二度目です。いつもは絵を描くのが難しい場所ですが、名前にちなんで毎月10日には庭が開放されるので庭から描くことができます。

戸定邸は徳川家最後の将軍 徳川慶喜の弟、徳川昭武が住んでいたところです。昭武は同じカメラの趣味を持つ慶喜と仲がよかったようで、慶喜もたびたびここを訪れています。下の不鮮明な写真は近くの坂川で魚をとる漁師を撮影する慶喜(山高帽を被っている)を昭武が後から撮ったものだそうです。


田植え時

2014年08月01日 | 旅行記

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      (画面上で左クリックすると絵が大きくなります)

絵は5月末に鈴木新先生のスケッチ教室で訪れた実籾本郷公園(習志野市)近くの水田です。他のみんなはお目当ての古民家を描きましたが、前面に大きな生垣があり、モチーフとして余り魅力を感じませんでした。

何かほかに描くものがないか探したところ、公園を少し出たところに絵のような水田を見つけました。ちょうど田植えが終わったばかりのところです。

一人で畦道に座って描きましたが、人口密集地帯の中にもこんなオアシスがあります。


モーツアルトの生家

2014年07月25日 | 旅行記

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      (画面上で左クリックすると絵が大きくなります)

モーツアルトは1756年に生まれてから25歳になるまでここザルツブルグに住んでいました。

絵は旧市街のゲトライデ通りにあるモーツアルトの生家です。外壁が黄色に塗られているビルの4階、メダイオン飾り(円形の台に描かれた絵画や彫刻)の窓があるところがその住居です。現在博物館になっています。

私も大好きなモーツアルトですが、いまや空港もザルツブルグ・ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルト空港と名付けられるほどで、音楽を愛する世界の人々にとっていわば巡礼地となっているようです。

午後はここからバスでミュンヘンへ向かい空路帰国の途につきました。


ホーエンザルツブルグ城遠望

2014年07月18日 | 旅行記

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旅行8日目、ウィ-ンを発ちザルツブルグを訪れました。この街に来るのは2回目です。ここでは映画サウンドオブミュージックの中でマリアと子供たちがドレミの歌を歌ったミラベル庭園などを訪れました。

昔、娘とユーレイルパス(周遊券)を使って旅行したとき、ハルシュタットへ行くローカル線に乗り換えるべきところを間違ってザルツブルグ行きの急行電車に乗ってしまってここでUターンした思い出の街でもあります。

ザルツブルグのザルツは「塩」、ブルクは「砦」を意味しますが、その名の通りこの街は塩によって栄えたところといわれています。中世の時代、塩は金と比較されるほど貴重だったそうで、この地方で豊富に産出される岩塩を製塩してザルツァハ川を通じて欧州各地に送られていたとのことです。

絵はザルツブルグの街。背後にそびえるのはホーエンザルツブルグ城です。


メルク修道院

2014年07月11日 | 旅行記

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絵はドナウ川を見下ろす岩山の上に築かれた壮大なベネディクト派のメルク修道院です。

1770年4月、母の元を離れフランスへ嫁ぐマリーアントワネットは旅の最初の夜をこの修道院で過ごしました。

ウイーンから100キロ余り、我々はバスに乗って1時間ちょっとで到着しましたが、ヴァッハウ渓谷沿いの道を馬車に乗ってやってきた彼女にとって、一日の旅程としてはここまで来るのが限度だったのでしょう。夫君の待つフランス コンピエーニュへの旅は23泊24日かかったと言われています。

泊まった日の夜は彼女を慰めるため盛大なオペラが上演されたそうです。


カールス教会

2014年07月04日 | 旅行記

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旅行6日目、ブダペストを後にしてウィーンへ向かいました。ウィーンではクラシックコンサートを楽しんだり、美術史美術館やシェーンブルン宮殿などの見学をしました。

絵はライトアップされたカールス教会です。教会近くのケルントナー通りは娘と落ち合うためのホテルを捜して重いトランクを引きずりながら1時間近く歩き回ったところです。10年以上昔のことになりますが、娘がフランスで挙式することになり先方のご両親への挨拶や結婚式の打ち合わせを兼ねて娘と二人だけでオーストリア、スイスとフランスを旅行したことがありました。やっとホテルを探し当てたものの、パリからサベナ航空(今はないベルギーの航空会社)でやってくるはずの娘がなかなか到着しないのでやきもきしました。(ブログ2008年12月17日掲載参照)


ドナウ川ナイトクルーズ

2014年06月27日 | 旅行記

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       (画面上で左クリックすると絵が大きくなります)

夕食後はドナウ川ナイトクルーズに出かけました。ヨーロッパの中でも暑い事で有名なブダペストです。この日は最高40度にもなりましたが、さすがに夜は涼しくなりライトアップされた街を見ながらクルーズを楽しみました。

絵は夕闇迫る川岸に建つネオゴシック様式の国会議事堂、ブダペストというよりハンガリーのランドマークといってよい建物です。圧倒的な迫力を感じました。


鎖橋にて

2014年06月22日 | 旅行記

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             (画面上で左クリックすると絵が大きくなります)

スコットランド、湖水地方、コッツウォルズなどを巡る旅からたった今帰ってきました。

旅行五日目、ハンガリーに入りセンテンドレを散策したり、マーチャーシュ教会、漁夫の砦、ゲレルトの丘など首都ブダペストを観光しました。

昼食を挟んで3時間も歩いて疲れた頃、地下鉄に乗り皇后エリザベートもお忍びで通ったといわれるカフェ ジェルボー でティータイムを楽しみました。

絵は夕食をとったレストラン近くの鎖橋、橋の袂で若いアベックが記念写真を撮っていました。

夕食中にジプシーと思われる3人編成の流しの楽団がやってきましたが、誰も頼もうとしません。せっかく来てくれたのにこのまま帰すのが可哀想になり、皆を代表して「屋根の上のバイオリン弾き」をリクエストしました。


ブラチスラバ城からの眺望

2014年06月12日 | 旅行記

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      (画面上で左クリックすると絵が大きくなります)

プラハからブダペストへ向かう途中、スロバキアのブラチスラバに立ち寄り、観光と昼食休憩をしました。

絵はブラチスラバ城からの眺めです。ずんぐりした城は何の変哲もなく、絵心を惹かれませんでしたが、高台にある城からの眺めは素晴らしいものがありました。

マリーアントワネットをはじめ11人もいたマリアテレジアの娘のうち、4女マリアクリスティーネはただひとり恋愛結婚を許されて、ここで幸せな結婚生活を送ったと言われています。彼女も毎日この景色を眺めて暮らしたのでしょうか。

明日からまた家を空けます。しばらくコメントにお応えできないことをお許しください。


聖母教会が見える街角

2014年06月06日 | 旅行記

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旅行3日目、またドイツに戻り、旧東ドイツのドレスデンを訪れました。街中を共産主義時代の乗用車トラバントが走っているのを見てびっくりしました。ここではツヴィンガー宮殿、聖母教会などを観光しましたが、第二次世界大戦で徹底的に破壊された街として有名です。

聖母教会は長らく瓦礫のままの状態で放置されていましたが、世界中からの寄付によって2005年に再建されました。瓦礫から掘り出したオリジナルの部材をコンピューターを活用して可能な限り元の位置に組み込む作業は「ヨーロッパ最大のジグソーパズル」と評されたとのことです。

絵はその聖母教会が見える街角です。


プラハのダンシングビル

2014年05月28日 | 旅行記

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      (画面上で左クリックすると絵が大きくなります)

息子から期限切れが近いANAのポイントを譲り受けて明日から2泊3日で蒜山、松江、出雲方面にスケッチに出かけますので早めにUPします。

プラハのダウンタウンを歩いているとき、絵のようなビルを見つけました。広い交差点の角に当たるところに建てられているのでよく目立ちます。

帰国後調べてみると1997年に建築されたオフィスビルで、男性が女性を抱きかかえて踊っているように見えることからニックネームは1930年代の有名なミュージカルスターの名を取ってジンジャー&ロジャースまたダンシングビルとも呼ばれています。

地震が多い日本ならおそらく建築許可は下りないかもしれませんね。