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夕方近くなってナポリ市街を見学しました。「ナポリを見て死ね。」という言葉があります。「死ぬ前に一度は美しいナポリを見ておきたいものだ。」というくらいの意味ですが、現実のナポリは街中に失業者が溢れ、ゴミが散乱し、ビルの壁は落書きだらけの汚い街でした。マフィアが街を支配しているため観光開発が思うようにならないのだそうです。洗濯物が吊されている狭い路地を描きたかったのですが、モチ-フになるような所は見あたりませんでした。
絵はナポリのランドマ-ク卵城。夕日を浴びて城壁が輝いていました。沖を通る赤と白のツ-トンカラ-の貨物船を見て、さすがはデザインと色彩芸術の国イタリア、貨物船まで垢抜けしていると思いました。ナポリの思い出は、結局僅かな自由時間に買って食べたスフォリアテッレ(名物の焼き菓子、襞のあるパイ生地の中にカスタ-ドクリ-ムなどを入れたもの)のみでした。
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翌日の午前中は世界遺産ポンペイの遺跡を訪れました。今から2000年前の西暦79年、ヴェスヴィオ火山が大爆発を起こし、人口1万のこの街は厚さ5Mの火山灰に埋もれました。その後の発掘によって当時の様子がわかってきましたが、水道が引かれ、歩車分離の石の舗装道路が碁盤の目状に張り巡らされた近代的な街だったようです。この街にはパン屋、居酒屋、公衆浴場、闘技場の他、売春宿まであったとか。2000年前というと、日本では弥生時代にあたります。
絵は正面にヴェスヴィオ火山を仰ぐ公共広場(フォ-ロ)の一角です。芝生が生えているところが広場に相当します。この広場には左右に列柱が並び、その奥正面には神殿があったと言われています。生憎この日は雨のため山は見えませんでしたので、晴れた日に撮られた写真を元に描きました。