旅の淡彩スケッチ便り

水絵描きと申します。旅と絵を描くことが好きです。国内外を旅行した思い出とともに旅先で描いた絵を載せています。

スペイン階段

2010年04月27日 | 旅行記

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ロ-マには2泊しました。人口270万。パリなどと並んでヨ-ロッパを代表する観光都市です。サン・ピエトロ大聖堂、トレビの泉、コロッセオ、パンテオン、フォロ・ロマ-ノ等々市全体が遺跡の博物館みたいな街ですが、絵を描くとなるとどれも大きすぎて小さなスケッチブックに収めるのがたいへんです。

絵は映画「ロ-マの休日」でオ-ドリ-ヘップパ-ンが階段に座ってジェラ-トを食べていたスペイン階段です。観光客で一杯でしたので人物は大幅にカットしました。


マテ-ラ市街

2010年04月22日 | 旅行記

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アイスランドの火山噴火の影響を受けてストップしていた空の便もやっと解除になりつつありますが、もしこれが一ヶ月早まっていたらイタリアにいた我々はどうなっていただろうと考えると他人事とは思えません。

絵は先週に引き続いてマテ-ラ。コメントにも書きましたが、通常時間比でいくとデッサンと色付けは6対4か5対5ですが、ここでは8対2か9対1くらい。面倒なデッサンを終えればあとはイエロ-オ-カ-を基調にペインズグレ-、シャド-グリ-ン、セピアなどを適当に塗っておけばOk。これに影色を付ければ出来上がりです。


岩窟教会

2010年04月17日 | 旅行記

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紀元8-9世紀、イスラム教徒から迫害を受けたキリスト教徒がこの地に移り住み、岩山をくり抜いていくつかの教会を建てました。

絵はそのひとつエロ-ネ山上に造られたサンタ・マリア・デ・イドリス教会です。


洞窟住居

2010年04月14日 | 旅行記

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4日目には洞窟住居(サッシ)の街マテ-ラを訪れました。旧市街にはクラヴィ-ナ渓谷の斜面に沿って絵のような崩れてしまいそうなサッシがびっしり建ち並んでいます。今にも谷底へ落ちていくような感じです。高台にはドゥオ-モがあり一段高いのはその鐘楼です。今回の旅ではほんの1時間程度しか滞在しませんでしたが、できれば此処に一泊してゆっくり絵を描きたいと思いました。


アルベルベッロ

2010年04月09日 | 旅行記

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ヨ-ロッパへは何度も来ていますが、行くとなると足はいつも孫の住むフランスへ向いてしまいます。そんなわけで、世界遺産が40以上もある観光大国でありながら、今までイタリアとは縁がありませんでした。何年か前にはもう少し東へ足を延ばせばイタリアというモナコへ来たことがありましたし、昨年はアドリア海を隔ててすぐの国、スロヴェニアとクロアチアへ旅行しました。ところがどういう訳かここだけが空白地帯になっていたのです。

絵はイタリアが世界に誇るその世界遺産のひとつアルベルベッロ。煙突からにょきっと突き出た街路灯に惹かれました。


ナポリ

2010年04月05日 | 旅行記

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夕方近くなってナポリ市街を見学しました。「ナポリを見て死ね。」という言葉があります。「死ぬ前に一度は美しいナポリを見ておきたいものだ。」というくらいの意味ですが、現実のナポリは街中に失業者が溢れ、ゴミが散乱し、ビルの壁は落書きだらけの汚い街でした。マフィアが街を支配しているため観光開発が思うようにならないのだそうです。洗濯物が吊されている狭い路地を描きたかったのですが、モチ-フになるような所は見あたりませんでした。

絵はナポリのランドマ-ク卵城。夕日を浴びて城壁が輝いていました。沖を通る赤と白のツ-トンカラ-の貨物船を見て、さすがはデザインと色彩芸術の国イタリア、貨物船まで垢抜けしていると思いました。ナポリの思い出は、結局僅かな自由時間に買って食べたスフォリアテッレ(名物の焼き菓子、襞のあるパイ生地の中にカスタ-ドクリ-ムなどを入れたもの)のみでした。


ポンペイ

2010年04月03日 | 旅行記

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翌日の午前中は世界遺産ポンペイの遺跡を訪れました。今から2000年前の西暦79年、ヴェスヴィオ火山が大爆発を起こし、人口1万のこの街は厚さ5Mの火山灰に埋もれました。その後の発掘によって当時の様子がわかってきましたが、水道が引かれ、歩車分離の石の舗装道路が碁盤の目状に張り巡らされた近代的な街だったようです。この街にはパン屋、居酒屋、公衆浴場、闘技場の他、売春宿まであったとか。2000年前というと、日本では弥生時代にあたります。

絵は正面にヴェスヴィオ火山を仰ぐ公共広場(フォ-ロ)の一角です。芝生が生えているところが広場に相当します。この広場には左右に列柱が並び、その奥正面には神殿があったと言われています。生憎この日は雨のため山は見えませんでしたので、晴れた日に撮られた写真を元に描きました。