旅の淡彩スケッチ便り

水絵描きと申します。旅と絵を描くことが好きです。国内外を旅行した思い出とともに旅先で描いた絵を載せています。

箱根 富士屋ホテル

2018年08月30日 | スケッチ
絵は箱根宮ノ下にある富士屋ホテルの花御殿です。1878年創業の箱根を代表する老舗ホテルで今まで昭和天皇やタイ国王、ヘレンケラー、チャップリンなどの有名人に利用されてきました。
国道1号線に面しているため箱根駅伝のときにはTV中継のポイントにもなっています。
10年近く前に妹夫婦と一緒に宿泊したのが昨日のように思い出されます。
クロアチアの旅行が続いていますが間に合わなくてかなり前に描いた絵をUPしました。いまならこんな描き方をしませんが当時はペン画でした。ペンの線が強すぎると思ったので手前の緑はクレヨンで上塗りしています。

スタリ・モスト

2018年08月23日 | スケッチ
絵はモスタルのランドマーク スタリ・モストです。ボスニア語で「古い橋」を意味するスタリ・モストは16世紀にオスマントルコのスレイマン一世により9年の歳月をかけて架けられ民族融和の象徴となっていました。
ところがその後1993年の内戦で破壊され、2004年に再建されて今は世界遺産になっています。
この橋のたもとで観光客へ土産物を売っている往年の大女優エリザベステイラー似の美女(下の写真)に出会いました。今は町の若者たちがこの橋から下を流れるネレトバ川へダイビングするのが流行っているとか。川面から24mの高さがあるそうです。やはり平和が一番ですね。


ボスニア・ヘルツェゴビナ モスタルへ

2018年08月16日 | スケッチ
北海道へ出かけた孫たちからインコと文鳥の番とクワガタ2匹とカブトムシ3匹を預かり世話をしています。言われたとおりに毎日エサと水を取り替えて巣箱をきれいにするだけですがこれだけ多いと1時間近くかかります。帰ってくるまであと数日、どんな土産話を聞かせてくれることでしょう。

旅行7日目の朝、ドブロブニクを発ちボスニア・ヘルツェゴビナの観光地モスタルへ向いました。モスタルに行くのは9年ぶりです。前に訪れた時は住宅の外壁に銃弾の痕が残っていたり乳飲み子を抱いた若い物乞いの女性を多く見かけました。今回も何人かの物乞いの女性に出会いました。内戦から30年近く経ちましたが戦争の傷跡が癒えるまでにはまだ当分時間がかかるようです。

絵はモスタルへ向かう途中で見かけた風景です。イスラム教徒が国民の半数を占める国だけあってモスクらしい建物の傍にミナレットが建っていました。

コトル旧市街

2018年08月09日 | スケッチ
コトルは人口一万人ちょっとの小さな街ですがクルーズ船の寄港地にもなっています。かってヴェネチア共和国の一部であったこの街にはヴェネチア様式の建物が多く残りユネスコの世界遺産に登録されています。

絵はそのコトルの旧市街にあるスヴェタ・ニコラ広場。左手の小さな教会は聖ルカ教会です。

この国の国名モンテネグロとは「黒い山」を意味しますがその言葉通りこの街の背後にも黒っぽい山が聳えていました。時間がなくて登れませんでしたがこの山には延長4.5キロにもなる古代の城壁が今も残っています。

コトルへ

2018年08月02日 | スケッチ
再びクロアチアの旅に戻ります。ところで先ほどのサッカーのワールドカップでクロアチアが準優勝したのは記憶に新しいところです。人口わずか400万の小さな国ですが街を歩く人たちの体の大きいこと(おそらく平均身長は日本人より10センチは高いでしょう)にびっくりします。運動神経にも秀でていそうで全国民がアスリートみたいな国です。 旅行6日目の午後、ドブロブニクからバスでモンテネグロの古都コトルへの半日旅行をしました。モンテネグロは福島県ほどの小さな国ですがれっきとした独立国です。この国が独立した時、日露戦争時に日本に対して宣戦布告して満州に義勇軍を送ったことが問題になりました。いまだに日本とは戦争状態になっていますので正式には休戦協定を結んで国交正常化を図るべきでしょうがその後うやむやになってしまったようです。政治的にも経済的にもあまり関係がないからかもしれませんがあまりにも 時間が経ちすぎてしまいました。 コトルはアドリア海岸の深く入り込んだ湾の奥に位置していますので、陸地沿いに来ると時間がかかるのでフェリーに乗って湾を渡りました。絵はそのフェリー乗り場のあるカメナリ近くの風景です。