桃井章の待ち待ち日記

店に訪れる珍客、賓客、酔客…の人物描写を
桃井章の身辺雑記と共にアップします。

2009・1・20

2009年01月21日 | Weblog
一緒に寝たい、一緒にご飯を食べたいと思って夫婦になったのだけど、寝付きと睡眠時間の違いが俺たち夫婦の生活を微妙に狂わせている。平均して三時半頃ベッドに入ると、寝付きのいい俺は五分後には寝入っているのに対し、寝付きの悪いMは下手すると五時過ぎ、六時近くまで眠れないでいるみたいなのだ。おまけにトイレの欲求もあって六時間後の十時前後には起きてしまう俺に対し、Mは七時間しか眠れなくても起きるのは午後一時近く。もうその頃には起きてから三時間は経っている俺は腹をグーグー鳴らして肉でも油物でも食べられる体になっているのに、Mが食事可能になる時間は一時半過ぎ。でも、五時に部屋を出るとすると、その前に肉や油物のちゃんとした食事をしないと夜中まで持たないので、第一食が一時半だと間隔が三時間しかなく、軽い物しか食べられない。起きたばかりのMはそれでいいかも知れないけど、俺には無理。どうしてもお腹一杯食べてしまって、結果、五時前にはあまり食べられなくなってしまう。これまでは何とか折り合いをつけてきたけど、Mを早く起こすのも可哀相だし、今日は第一食を一緒に食べることをやめてみた。俺は12時に沢庵ちりめんじゃこ炒飯と野菜スープ、Mは2時前に焼きおにぎり二つ、そして四時半過ぎに二人で牛コマの麻婆豆腐、鮭と大根のサラダ、キンピラゴボウ、卵入り納豆、しめじの味噌汁。三食一緒に同じ物を食べるという習慣は崩れてしまうけど、この方がお互いにとっていいかも知れない。当分続けてみよう。

2009・1・19

2009年01月20日 | Weblog
人に指示すること、注意すること、頼むことが苦手で、下手だ。指示したり、注意したり、頼んだりして相手が嫌な顔をしたり、反論されたりすると、むかついてキレテしまう。店を始めて十年、何人のスタッフと喧嘩してしまったことだろう。数年前から芝居の演出なんて始めたけど、出演者に反論されて、だったらと途中でサジを投げてしまったことが何回あったろう。カリスマ性がないのだ。怒り方、注意の仕方が相手の真剣を逆撫でするらしい。とことん他人の上に立つ経営者とか演出家に向いてない性格をしている。四人兄妹の長男として育ったんだし、子供の頃は弟や妹に指示や注意する立場で、そんなことには慣れている筈なのに、大人になってからは学生生活や会社員生活を経験することなく、二十代の初めから殆ど他人との関わりを持たず、一人きりで全てが完結する脚本家なんて仕事を二十八年も続けていたからだろうか?とにかく嫌なのだ。相手に嫌な顔をされることがゾッとするのだ。悪寒が走るのだ。だから人が俺の指示がなくても勝手にやってくれることは大歓迎だけど、そうじゃない場合は俺が何もかも自分でやらなくちゃいけなくなってしまう。今日と昨日で俺でなくても出来たことは、ビルの大家さんから注意を受けた共有スペースである倉庫の整理整頓、段ボールの処理、映像プロジェクターのランプ交換、イベントの予約受付業務、経理事務、源泉徴収税の支払いなどなど。こんなことに時間を取られているから、本来経営者としてやらなくはいけない将来のビジョンを描くことも出来ない。「作家復活」した筈なのにもう一年も芝居の台本を書いてないし、今日もS出版社のSさんがやんわりと催促にきてくれたのに、彼に頼まれている企画は途中で頓挫したままだ。俺に今、神様が何か一つ何でもいいからくれるというなら、人に指示する能力と即答する。

2009・1・18

2009年01月19日 | Weblog
昨日一昨日とこの日記で「16人の少女」と書いたけど、それが「16人の女子大生」だったと分かったのは今日の公演直前だった。ニュアンスとしてどっちが危なく聞こえるか分からないけど、若い女たちには変わりない。そしてその「16人の女子大生」が着替えした時に、見えてもいい下着(ミセパン?)だったか、本物の下着だったか、そんなことはどうでもいい。とにかく、薄明かりになったカウンタースペースで「16人の女子大生」たちは二時間の公演の間、衣装替えで次から次に着替えをしたらしい。「らしい」というのは、その間俺は厨房に籠もったきり、正月に半分まで読んでそのままになっていたPオースターの「幻影の書」に没頭していたので、全くと言っていい程関心を持たずに済んだからだ。柴田元幸さんの翻訳はホント俺の生理に合う。「16人の女子大生の着替え」なんかヨソの国の出来事の様に俺をオースターの世界に耽溺させてくれた。ホント助かった。つまらない小説だったら俺はカーテンの隙間が気になって仕方なかっただろう。嘘の様にイベントが終わり灯がついたのと、小説の最後のページをめくったのが同時。前のページまで救いようのないラストだったのに、最後の最後の一行でちょっとばかり救われて、俺は厨房から二時間ぶりに出る。オースターの小説が俺の怒りを治めてくれてなかったら、俺はきっと「てめえら、ここで着替えなんかするんじゃねぇ!」と怒鳴りちらしていたに違いない。

2009・1・17

2009年01月18日 | Weblog
16人の少女の着替えを俺が見ていていいのかいけないのか「悩んだ」末に、Mとも相談して見ないことにした。厨房にいれば大丈夫かとも思ったけど、厨房からも覗こうと思えば覗ける。あらぬ疑いをもたれても不愉快だ。俺が店にいないことによってMはフードとドリンクを掛け持ちしなくちゃいけなくなって大変なことになるだろうけど、ここはMKさんにアシストして貰って何とかやり通すしかない。でも、責任者である店主が店にいられないなんてトンデモナイ話だ。それに後でMに聞いたら、公演中は店中の灯を消されてしまって、真っ暗な中にMとMKさんはいなくちゃならなかったとか。主宰者のWさんはイベントを成功させることだけに頭が一杯になって、俺たちの存在を忘れ去っている。ここは劇場の舞台裏じゃないのだ。日曜日にも公演があるし、休みのMKさんに無理して出て来て貰おうと一瞬考えたけど、そこまで譲歩していたら店として不味いと考え直し、Wさんに念を押して俺が少女16人の着替えを見ることにした。信じて貰えないかも知れないけど、これはかなり辛い見物だ。そんなこんなで、俺は今日、イベントが終わる8時半出勤。土曜日でお客さんもいないだろうし、イベントの関係者が引き揚げたら早々に店仕舞いして久しぶりに焼肉でも食べに行こうと思っていたら、プロデューサーのIさんと俳優のTさんたちが五人で、続いて松竹の映画監督Mさんと俳優事務所のAさん、デザイナーのNさん、保険代理店のOさんたち、大手ビデオレンタル会社Tの本社に勤めるF君たち、日本画家のKさん、最後は人妻Iちゃんまで来店してくれて、カウンターはギューギュー詰め。途中入ってきたイチゲンの女性客三人は帰って貰うなんて土曜日にしては珍しい混み具合。昨日は金曜日なのに三万しか売上がなかったというのに、土曜日にカウンターだけで六万以上の売上があるなんて、自分でやっていながらつくづく変な店だと思う。

2009・1・16

2009年01月17日 | Weblog
土日のイベントの主宰者Wさんから去年申し込みがあった時に、バーの方も貸切りにしてほしいと言われて、日曜日は問題ないとして土曜日もイベントの終わる8時過ぎまでは一般のお客さんも多くないだろうと判断して、寧ろそんなに多くの観客を集客できるのかと使用料金が人数制のウチとしては嬉しくも思ったのだけど、昨日になってバーの方を使うのは出演する16人の少女たちの着替え場所として使うのだと分かって、ちょっと待ってよと慌てる。出演者が16人?確かにそんなに大勢いたら控室が足りないだろうけど、だからと言ってバーカウンターを着替えする場所にするなんて、どうにも納得できない。おまけに貸切りをOKしたと言われて、その間他のお客さんに入って来られたら困るという。そりゃそうだろ?16人の少女たちが着替えしているんだから。つまり、公演が終わるまでは商売をするなと言われたことになる。貸切りを許可した時点では、公演が始まってしまえば、出演者の待機場所として使われたとしても、他のお客さんがぶらりと立ち寄っても対応出来ると思っていたけど、少女が着替えしていたら、そりゃ駄目だ。断固、撥ねつけてもよかったのだけど、ちゃんと打ち合わせしておかなったこっちにも非があるし、妥協の末に公演が終わる8時半まで店を休業することにした。そんな訳で、万が一土曜日店に来て下さろうと予定していたお客様、申し訳ありませんが、八時半過ぎにお願いします。それにしても俺は何処にいたらいいんだろ?16人の少女の着替えを見ていていいんだろうか?

2009・1・15

2009年01月16日 | Weblog
「△」さんのことをこれまでの日記で「××(職業)」の「△(イニシャル)」さんと書いていたけど、それだと仕事で誰だか分かってしまうし、更に女性連れだと分かると、何十人?もいる女性関係が面倒臭くなるので、別の呼び名にしてほしいと△△さんに頼まれる。OKですよ、△△さん。女性同士があなたを取り合って殺傷沙汰になって、それがエスカレートして戦争になったりしたら大変だし、職業もイニシャルもやめましょう。で、別の呼び名は何と?うーん、Oさんかな?と△さん。因みにOとは飲み仲間が△さんを呼ぶ愛称だ。でも、それじゃイニシャルのOさんは一杯いるし、区別がつかない。だったらとこっちが勝手につけた「日記ネーム」は(来店数)ベストワンのOさん。この間年賀状代わりにお客さんに送ったコレド通信に添えた「ご来店数ベスト20」は予想外に評判で、皆今年こそはベスト10入りするとかベスト3には入りたいと言ってくれているのだけど、現在の処、今日で営業日9日の内、5日来店してくれたOさんがトップを走っている。本当はこの「ベストワン」という尊称は去年ベストワンになった夕刊FのUさんにつけるべきなんだろうけど、Oさんは今年絶対トップになると公言しているし、ここはUさんに我慢して貰って、「ベストワン」の冠をOさんに与えることにしよう。というわけでベストワンのOさんは、本当は金曜日に来るとこの間言って帰ったのだけど、金曜日が仕事で駄目になったので、その代わりに今日意地で来てベストワンを保った。ベストワンのOさん、一年を通じてベストワンであれ。

2009・1・14

2009年01月15日 | Weblog
朝起きた時に今日はどうしても牡蠣の土手鍋が食べたい気分だった。でも、問題はMが広島育ちの癖して牡蠣があまり好きじゃないことだ。鍋となると、他に何品も料理を用意できないし、食卓に座った途端、Mの顔が落胆するのが想像できる。そこで策を弄する。お昼にスペースレンタルの為に店へ出向いた帰り、Mの好きなパン屋で彼女の好物のパンを幾つか買い、朝昼兼用の食事にして彼女の食欲を満足させる。その三時間半後に土手鍋だ。俺の作戦通り、お腹がまだ減ってないMは土手鍋を見てもそんなガッカリした顔にならない。付け合わせの北海タコの刺身でご飯をお茶碗半分だけ食べるのが精一杯の様子。してやったりと俺は味噌風味の牡蠣を貪り食う。太った牡蠣を15個は食べたか?ホント、俺は牡蠣がスキ。でも、店に出かける前に中途半端な食事しかしないと、店にいる時間が長い為、Mのお腹が空く。今日も九時間近く何も食べずにいた為、閉店した途端、Mが最近嵌まっているタコのペペロンチーノを作ってくれという。体重を気にしている俺たち二人にとって、寝る前に炭水化物とギトギト油はかなりやばいとは思いつつも、俺が策を弄して出かける前に中途半端な食事しかさせなかったことを悔やんで、もう四時近くだというのに部屋でペペロンチーノを作る俺。

2009・1・13

2009年01月14日 | Weblog
年賀代わりに出したコレド通信が何通か宛て先不明で戻ってきている。引っ越しして転送期限が切れてしまった分だ。飲み屋に一々転居通知なんか出さないだろうからこれは仕方ないとして、少し複雑になるのは会社宛に出して「退職しましたので差出人にお返しします」とか「退職しましたのでデータの削除をお願いします」と付箋がついて戻って来る分だ。今年もTテレビのAさんやNテレビのYさん宛のコレド通信が付箋つきで戻ってきた。それは寧ろ親切というべきなんだろうけど、もう彼はウチの人間じゃないんだし、郵便物も受け取れませんと宣告されている様で会社の非情さを感じてしまうのは俺だけか?戻ってきた郵便と云えば、先日電話でイベントの予約をされたNさんに覚書(契約書)を送ったら宛て先不明で戻ってきてしまった。電話で住所を聞いた時に俺が聞き間違えたとしか考えられないのだけど、困ったことになった。Nさんとはその時電話で話したのが初めてで、電話番号も知らないし、こっちから連絡のとりようがないのだ。Nさんは数日後には届く筈の契約書をきっと待っているに違いない。こうなったらイニシャルをやめてお名前を出してしまおう。西東京市にお住まいの野口えりかさん、もしくは彼女をご存じの方、お店までご連絡ください。

2009・1・12

2009年01月13日 | Weblog
昨日の日記で△△監督の『××』と云う映画を酷評した処、早速知人から電話があって、あの映画はDVDで見るもんじゃない、ちゃんと劇場で見るものだ。劇場でみたら面白さが違うと抗議があった。確かにそうかも知れない。家庭のテレビ受像機で見るのと劇場で見るのでは見た後の印象が絶対違う。だが、しかし、昔ならいざ知らず、今や作り手たちも作品をDVDで見られることを覚悟して作らざるをえない時代だ。いや、大型画面が普及したし、DVDで見られるのはまだいい。これは映画ではないけど、今年ギャラクシー最優秀賞を獲得したテレビドキュメンタリー『アンジェイ ワイダ』を、俺は録画する時間がなくてワンセグの携帯で録画して見てしまったことがある。でも、気持ちを集中して見ることが出来たせいか、とても面白かった。作り手たちは今、劇場のスクリーンから携帯画面までに対応出来る作品を作ることを求められている。大変な時代になったもんだ。でも、そんなことは今の俺が深く考えることではない。今、俺が深く考えなければいけないことは五周年を迎えるに当たって会社と店の行く末だ。今日も一日パソコンの前に座って経営報告書を作りながら考えていたけど、過去は分析できても将来が展望できない。俺はホント経営者に向いてないとつくづく思う。

2009・1・11

2009年01月12日 | Weblog
夕方、母の誕生日を数日早く祝う為、部屋を出る。途中、広尾の花屋さんでMがプレゼント用にバラを買っている間、表で煙草を吸っていたら、帽子を被り、マスクをした初老の女性が「章さん、お久しぶり」と声をかけて来る。一瞬誰だか分からない。でも、すぐに朝の連ドラにも出ている大物女優のFさんだと分かる。目だ。顔の殆どの部分は隠れているのに、目だけでFさんと分かってしまうなんて、さすが若い時は大映のスター、そして年取ってからも渋い役柄で主演映画までこなしてしまう大女優だけのことはある。待ち合わせした三光坂のトンカツ屋『D』で会った母も帽子とマスクをしている。Fさんは人の視線を避ける為だろうけど、母の方は風邪予防の為。誕生日のお祝いのことを書いているのだけど、誰が読んでいるか分からない日記に母の年齢を書くのはきつく禁止されているので書けないけど、還暦過ぎの俺の母親だから、自ずと想像できる。でも、元気だ。食欲も凄い。俺たちと一緒にヒレカツ、海老フライ、カキフライ、蟹爪フライに牛刺し、里芋の煮物、オニオンサラダ、それにご飯をきちんと一膳食べていた。数年前に亡くなった父はそれ以上の食欲の持ち主だったけど、俺はきっと両親の胃袋だけは確実に遺伝しているのだろう。これで日記を終われば、幸せな休日だったと云うことになる。それなのに帰りにビデオ屋に寄って去年大ヒットした映画のDVDを借りたことが幸せの休日にケチをつける。これも誰が読んでいるか分からないし、出演者から制作デスクにまで知り合いがクレジットされているし、この映画の大ファンもいるだろうから映画のタイトルを書けない。イニシャルも書けない。とりあえず『××』としておこう。監督の名前も『△△』としておく。前作も我慢できないひどさだったけど、今回はそれ以上。あまりのひどさに言葉を失って画面に釘付けになってしまう。俺だけじゃない。Mも呆れ果てた顔をしている。映画に対してオマージュを捧げる作品みたいだけど、逆に映画を馬鹿にしているとしか思えない。『△△』さんの演劇やテレビの仕事やエッセイなどは大ファンなのに、映画となるとどうにも駄目。多分あんなに大ヒットしたんだし、面白いと思う人が大勢いると云うことなのに、どうして俺は『△△』さんの映画がこんなに駄目なんだろう?子供の頃食べられなかったレバーが今大好物になった様にいつか『△△』さんの映画が大好きになる日が来るのだろうか?それまで俺は生きていられるのか?口直しに一緒に借りてきた廣木隆一監督の『縛師』をみる。こっちは紛れもなく映画だった。