小寺君の思いで
小寺君との付き合いは、田浦ではなく、札幌の下宿屋から始まった。はるばる津軽海峡を渡った友は、鈴木莊一、小寺重隆,大久保清邦の三人。見知らぬ、初めての北国で、情報を交換し合いながら零下の冬を乗り切って行った。当時のNHKの大河ドラマは 『忠臣蔵』 二人して、四畳半の下宿の小さなテレビの前で、彼が持ってきてくれた菓子をかじりながら見入っていた。それから、数十年、音信不通が続いていたが、イレブン会のブログの中で、彼が再会を希望することを知り、交信が始まった。
彼は、十年前に開始された『きよちゃんのエッセイ』に、毎回、感想文を送ってくれた。時には、手持ちの関連資料を添えたコメントを付けて。、最終投稿の 『落下』についてもコメントをくれたのだが、このメールをもらう前、いつものように、近況報告が流れてきていた。
『妻が亡くなりました。葬儀をすませ、遺品整理やら、四十九日の法要準備で忙しく、かえって気がまぎれます』 奥様の訃報は突然の知らせゆえ、慌ててお悔やみの文面を整えたのだが、その訃報の二週間後、またメールが届いた。
『血痰があり、肺に影が見つかったので、急遽、検査入院します、申し訳ないが、エッセイの返信、三週間ほど休みます』 北大の農学部を卒業し、大手製薬会社に入社、特許部門の責任者の重職を務めあげた男は、おそらく、己の予後不良に気が付いていたはずだが、淡々と、メールを送り続けてくれた。
奥様をなくされた後で、かなり落ち込んでいたにもかかわらず、検査入院を終えて帰宅してからの一報である。見かけは、いつもの、元気なメール。
『朝食は讃岐うどん、電子レンジでチン,簡単で、結構うまい!』
生真面目で、ユーモアがあり、決して泣き言を言わない男からのメール。讃岐うどんを冷蔵庫から出して、解凍して、おつゆと一緒にのどに流し込む、それが精一杯の朝食だっただろう。空元気の、この一文がいまだに胸の底から消えない。
最後の、最後のメールは、『病院に戻ります、エッセイの送付はその間中止しておいてください』
まだ実感はない。退院しましたとの、いつものメールはもうとどかない。十年間以上にわたり、鈍才の日本語を読み続け、加筆修正してから再送付するたびに、前文との違いを指摘してくれた専属の編集長、最終作まで本当にありがとうございました。
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