とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

「龍馬にしがみつくのは成熟拒否の表れ」

2010-10-05 22:15:40 | 日記
10月5日の朝日新聞13面オピニオンの欄に精神科医・評論家の野田正彰さんの記事が載っていました。

大変興味ある表題なので、出勤時間が迫っているにも関わらず真剣に読んでしまいました。

なぜ、坂本龍馬がこんなに人気があるかの問いに対して

「龍馬とは青春像そのもの…20代で暗殺されてしまって中年以降がない。
もし龍馬が明治維新以降も生きていたら、
時代を切り開く若々しいイメージを投影することは難しかった」と分析します。

これは、長州の高杉晋作ににも当てはまることだと思いました。

明治維新以降活躍して、さらに初代総理大臣になり、
朝鮮併合の“立役者”その挙げ句暗殺された我が町の“英雄”伊藤博文に至っては、
評価は大きく分かれることからも良い指摘だと思います。

「ダイエーの創業者の故中内功さんを初めとして、起業家には龍馬にあこがれる人が多い」

「自由、先見、大胆。それを私は青春ということばに込めています。
ありたかもしれない、願望としての青春です。
しがらみを離れて理想像を描き、実行するだけの力がある時期ですね。
自由な発想で生きていくことができる。
中年以上の成長した経済人がそういう青春像を結ぶのに、龍馬は適当なのだと思います。」

「日本の企業経営者が好きな座右の銘とも言える詩があります。
アメリカのサムエル・ウルマンの『青春』です。
『青春とは人生の一時期ではない、青春とは心のあり方である、志の高さであり、
思いの質であり、生き生きとした感情であり、人は年を重ねるだけでは老いはしない。
ただ理想を失うことによって老いるのである』

「いつまでも龍馬のように若々しくいたい。それはいいことなのでは?」の問いに対して

「成熟拒否です。…」とすっぱり切ってしまいます。

NHK大河ドラマ「龍馬伝」について感想が述べられています。

「龍馬の業績に大筋は乗っているように見せて、内容はフィクションだらけ。
いくらなんでも、こんなことをやってはいけません」とばっさり切って捨てます。

ここでは“我が意を得たり”という気がしました。
あまりに史実を無視した展開にいささかいらだちを感じていただけにお見事!
という気がしました。

ドラマの中でグラバーと親しくし、武器を大量に買いつけながら
「列強は日本を植民地化しようとしている。だから幕府を倒さないといけない」
と言っている。
このことは明らかに矛盾していると述べています。

龍馬が植民地化への危機感を持っていたかというと、そんな事実はどこにもありません。
それなのにこのような嘘のメッセージを込めてドラマを作り続け、
放送しているのは、国民に対してある種の政治メッセージを発したいからだと、
述べています。

龍馬は歴史の中で何度か再登場してきてます。
代表的なのが、日露戦争の時に皇后の夢枕に立って
「ロシアと海戦になれば魂は海軍の将卒に宿って日本を守る」と言ったと
新聞で広がったことがあります。

「坂本龍馬というイメージが過去にどう利用されてきたかをちゃんと知ってほしい。
小説やドラマで都合のいい部分だけを切り取ったり、
危機の時代になるとナショナリズムをあおるような形で、
フィクションもないまぜに語られたりする。今もそうではないですか」と語りかけています。

もう一つ、戦前の日本の教育は、国家が偉人を盛んに宣伝した。
偉人をモデルにしてアイデンティファイ(自己同一化)して生きる。
それが素晴らしい生き方だとされた。でもこれでは人格が分裂する。
理想化した人物と世俗的な自分の生き方が一人の人物の中でファンタジーのまま共存する。
人格の自然な統合ができない」と述べています。

今の学校における歴史教育もまさにこのやり方のままだと思います。

見事に龍馬万歳の風潮に対して警告を投げかけています。

文化によって、国民の気分感情を利用しようとすることは、
よく見られることでもあります。

私たちも一方的に情報に踊らされることなく、
冷静に自分の頭で考えていかなければいけないということを考えさせられる記事でした。
コメント
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