少し片付いてから、おばあちゃんと話をしている滋賀の先生の横で、
話を聞かせてもらいました。
おばあちゃんは、10月に公団のアパートが当たって、2階に住んでいたそうです。
津波があったその日は、たまたま腰に電気を当てるために病院に行っていて助かったそうです。
「そのアパートも3階まで水に浸かったので、自分の持ち物はここにある段ボールだけ」と話されていました。
病院に行っていないと命はなかったかもしれない。でも、もうあのアパートには住めない。
そんな話を淡々とされながらもどっしり生きているおばあちゃんの場所から離れることができませんでした。
いくつもの悲しいエピソードを聞くことができました。
もう一人気になる男の子がいました。4歳の元気のいい男の子です。
「おはよう!」と声をかけると「おはよう!」と声をかえしてくれます。
ブースの中で絵を描き始めたので、「見せてもらってもいい?」と訊ねると
「いいよ」と言うのでブースに入らせてもらって見せてもらいました。
描いてあるのは全部ヒーローものらしく、怪獣と闘っているんだと本人は言っていました。
描かれている絵の間に線が入って戦いを示していました。
全部のページを見せてもらったのですが、どのページを見ても、人間が出てきません。
お母さんもお父さんももちろん自分も出てきません。
またお店や遊園地に行った話も出てきません。少し気になりました。
「おじちゃんも描いてもいいよ」と言うので
アンパンマンとドラえもんとウルトラマンを描いて、ライオンやパンダなどの動物も描いてあげました。
うれしそうにしていました。
お母さんとも少し話をしました。
あの日、車で保育園に迎えに行って高台まで避難したそうです。
その日、その子の仲のいい友だちの家族も迎えに来ていて、でもその家族は貴重品を取りに帰ると言ったそうです。
「せめてその子だけでも置いて行きなさい。預かるから」と言ったのですが、
子どもがお母ちゃんと一緒に行くと行ったそうです。
結局その後からその子の家族とは連絡がつかないままだそうです。
「自分たちは全財産をなくしたけど、命は助かった」と言われていました。
紙一重で人生が左右されるエピソードがたくさんある現実を目の当たりにしました。
特別支援学校の先生からは別の悲しい話を聞きました。
ベッドで過ごさなければいけない医療的ケアーの必要なお子さんのベッドまでだんだん水が浸水してきて、
お母さんは子どもさんを抱っこして持ち上げてあげていたそうです。
でもそれでも
水かさは増すばかりで顔だけ水面から出すように懸命にこらえていたそうですが、
とうとう力つきて子どもさんが手から離れたそうです。
弟さんとお母さんは助かったけど、その子は亡くなられたそうです。
もう一つのエピソードは、
車いすの子を乗せて車で避難している時に津波に襲われて、
自力で脱出できる人は脱出したけど、車いすの子は車ごと流されていった。
家族は黙ってみることしかできなかったそうです。
段ボールでの避難生活はテレビで見るのと全く現実は違います。
これが生存権で保障された生活とはとっても思えません。
引っ越しが終わった時に、ほとんどの人が横にゴロンとなっています。
気力そのものがないようなしました。他にやることなんかありません。
生命だけを維持するだけで人間の生活と言えるのか、ひどくいらだちを覚えました。
引っ越し作業を終えた私たちの任務は終了です。
昼食を済ませてから後ろ髪を引かれながら次の場所に移動です。
下の画像は段ボールの食事用テーブルです。
各ブースに一つずつ配られるそうです。
もう1枚は次の日の朝食用の食料です。
山下中学校も津波にやられて、1階の校舎は水につかったようです。
体育倉庫には津波で汚れた柔道着が重ねて置いてありました。
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