正月映画で話題になった「男たちの大和」がDVDで発売されました。劇場で見た時にもいろいろ思ったことがあったのですが、このブログを始めたのが5月だったので映画感想に書くのもちょっと気が引けるところがあったので、やめておいた作品です。
今回、レンタル屋さんにも一斉に並んで目を引くものがありました。何度足を運んでも全部貸し出し中が続いていて、相変わらずの人気ぶりでした。やっと一つだけ見つけて借りることができました。
DVDをスタートさせました。劇場で観た後で、原作の文庫本を読んだのですが、違和感を感じたシーンがいきなり飛び込んできます。オープニングに出てくる鈴木京香や仲代達也に違和感を感じます。鈴木京香は呉にできた戦艦大和ミュージアムに出かけて興味深く資料に見入ります。それから唐突に開聞岳(薩摩富士)が映し出され枕崎のシーンに突入しました。
枕崎漁港では、組合長と老漁師の神尾(仲代達也)が大和の慰霊祭に出るか出ないかで議論しています。そこへ内田(鈴木京香)が訪ねていきます。大和の沈んだ場所まで船を出してほしいという「東経…北緯…」繰り返し言うその後も何度も出てくるその台詞が少ししつこく感じます。
鈴木京香は物語への案内役なのかもしれません。観ている側の目線をリードしていく水先案内人として登場させているのかもしれないと思いました。そのためにわざわざ呉の大和ミュージアムにでかけさせたのかもしれないとも思いました。
オープニングのシーンは原作にはまったくありません。辺見じゅん著『男たちの大和』は生き残った大和乗組員への徹底取材のもとに完成されたと聞いています。従来の戦記物とは違い、下士官や乗組員の目線で書かれているとして高い評価を受けています。新田次郎賞を受けた作品でドキュメントに近いものだと思います。
映画は、一つの目線として神尾(仲代達也)の回想のスタイルで始まります。仲代と松山ケンイチのチェンジは比較的スムーズだったかもしれません。
太平洋戦争における日本軍の劣勢が色濃くなってきた昭和19年春、神尾(松山ケンイチ)ら特別年少兵たちが戦艦大和に乗艦してきた。その間の歴史もテロップ入りで簡単に紹介していくのも、ちょっとお節介すぎるかなと思った。そこまでするならこの戦争がどうして始まったのか、15年戦争の性格をもつこの戦争の本来の目的について書くべきじゃないかと思いました。
映画全体は、戦争を美化するような内容でつくられているわけではありません。むしろ、戦争のむなしさや哀れさなどがかなり具体的に描かれています。「死んではいけない」というメッセージもあります。
二人の下士官についての描き方にも特徴があります。一人は烹炊(ほうすい)所(食堂)の班長(反町隆史)で、もう1人の下士官(中村獅童)も、軍隊内のリンチなどには批判的であったり、また冷静で、合理的な判断をする士官(長嶋一茂)ども登場させるなど、特攻は、日本に誤りにきづかさせるために死にに行くなどと言わせたりもしています。
2つめの特徴は、まったく歴史的背景は捨て去られていることです。先ほども触れましたが、中国を初めとして侵略戦争をしかけた結果だということも忘れさせようとしています。冒頭簡単に、アメリカとの戦争に踏み切り、南方に戦線を拡大し占領したが、アメリカの反撃で追いつめられるということがのべられるだけで、この戦争の目的や実相などにはほとんどふれられていません。もちろん、この戦争が正義の戦争だったという描き方もありません。むしろ、無謀な戦争だったということは伝わってはきます。
3つめ。ここに描かれている兵士たちはとても純粋です。何の疑問もはさまれません。彼らが守るものは、国体ではなく家族や故郷を守ることが強調されています。そこでは、国体護持や天皇陛下のためではなく、友情とか信頼とか、そんなことが強調されているという感じをうけます。驚くべきことに、下士官たちは少年兵の命を守ろうとしたりします。
これは、本当にあったのでしょうか。史実を語っているふりをして、もう一つのねらいが見え隠れしているように思います。この純粋さの強調こそ、特攻美化の最大の特徴でもあるんだと言うことです。
4つめは、“男たちの”の部分です。何人かの女が登場してきます。神尾の恋人の妙子(蒼井優)母スエ(白石加代子)常田の実母ツネ(高畑淳子)西の仕送りで田んぼを買えた故郷の母サヨ(余貴美子)内田の恋人の芸者・文子(寺島しのぶ)ここでは、誰1人も国防の母は出てこないのです。みんな「死なないで!生きて帰ってきて!」と言っているのです。当時の状況の中でこんなことが本当にあったのか、本音のところはまさにそうであっても口に出す時は、「お国のために立派に…」の銃後の母や乙女であったのではないかという疑問も出てきました。この人たちを守るためにという特攻精神の強調にもなるのではないかと思います。
映画は映画です。映画館の観客も大半は年配の人たちでした。「映画の始まる前からさしすせそのひそひそ声が響いていました。この映画単独だけでは、なかなか評価がむずかしいとは思います。
問題は、こういう映画を作っておきたいと考える思考が、ある文脈のなかに置かれたら大変に危険になるのではないかと思います。戦艦大和の悲劇は決して男たちのものではなく、具体的な歴史の事実のなかで、語られなければならないと思います。
今回、レンタル屋さんにも一斉に並んで目を引くものがありました。何度足を運んでも全部貸し出し中が続いていて、相変わらずの人気ぶりでした。やっと一つだけ見つけて借りることができました。
DVDをスタートさせました。劇場で観た後で、原作の文庫本を読んだのですが、違和感を感じたシーンがいきなり飛び込んできます。オープニングに出てくる鈴木京香や仲代達也に違和感を感じます。鈴木京香は呉にできた戦艦大和ミュージアムに出かけて興味深く資料に見入ります。それから唐突に開聞岳(薩摩富士)が映し出され枕崎のシーンに突入しました。
枕崎漁港では、組合長と老漁師の神尾(仲代達也)が大和の慰霊祭に出るか出ないかで議論しています。そこへ内田(鈴木京香)が訪ねていきます。大和の沈んだ場所まで船を出してほしいという「東経…北緯…」繰り返し言うその後も何度も出てくるその台詞が少ししつこく感じます。
鈴木京香は物語への案内役なのかもしれません。観ている側の目線をリードしていく水先案内人として登場させているのかもしれないと思いました。そのためにわざわざ呉の大和ミュージアムにでかけさせたのかもしれないとも思いました。
オープニングのシーンは原作にはまったくありません。辺見じゅん著『男たちの大和』は生き残った大和乗組員への徹底取材のもとに完成されたと聞いています。従来の戦記物とは違い、下士官や乗組員の目線で書かれているとして高い評価を受けています。新田次郎賞を受けた作品でドキュメントに近いものだと思います。
映画は、一つの目線として神尾(仲代達也)の回想のスタイルで始まります。仲代と松山ケンイチのチェンジは比較的スムーズだったかもしれません。
太平洋戦争における日本軍の劣勢が色濃くなってきた昭和19年春、神尾(松山ケンイチ)ら特別年少兵たちが戦艦大和に乗艦してきた。その間の歴史もテロップ入りで簡単に紹介していくのも、ちょっとお節介すぎるかなと思った。そこまでするならこの戦争がどうして始まったのか、15年戦争の性格をもつこの戦争の本来の目的について書くべきじゃないかと思いました。
映画全体は、戦争を美化するような内容でつくられているわけではありません。むしろ、戦争のむなしさや哀れさなどがかなり具体的に描かれています。「死んではいけない」というメッセージもあります。
二人の下士官についての描き方にも特徴があります。一人は烹炊(ほうすい)所(食堂)の班長(反町隆史)で、もう1人の下士官(中村獅童)も、軍隊内のリンチなどには批判的であったり、また冷静で、合理的な判断をする士官(長嶋一茂)ども登場させるなど、特攻は、日本に誤りにきづかさせるために死にに行くなどと言わせたりもしています。
2つめの特徴は、まったく歴史的背景は捨て去られていることです。先ほども触れましたが、中国を初めとして侵略戦争をしかけた結果だということも忘れさせようとしています。冒頭簡単に、アメリカとの戦争に踏み切り、南方に戦線を拡大し占領したが、アメリカの反撃で追いつめられるということがのべられるだけで、この戦争の目的や実相などにはほとんどふれられていません。もちろん、この戦争が正義の戦争だったという描き方もありません。むしろ、無謀な戦争だったということは伝わってはきます。
3つめ。ここに描かれている兵士たちはとても純粋です。何の疑問もはさまれません。彼らが守るものは、国体ではなく家族や故郷を守ることが強調されています。そこでは、国体護持や天皇陛下のためではなく、友情とか信頼とか、そんなことが強調されているという感じをうけます。驚くべきことに、下士官たちは少年兵の命を守ろうとしたりします。
これは、本当にあったのでしょうか。史実を語っているふりをして、もう一つのねらいが見え隠れしているように思います。この純粋さの強調こそ、特攻美化の最大の特徴でもあるんだと言うことです。
4つめは、“男たちの”の部分です。何人かの女が登場してきます。神尾の恋人の妙子(蒼井優)母スエ(白石加代子)常田の実母ツネ(高畑淳子)西の仕送りで田んぼを買えた故郷の母サヨ(余貴美子)内田の恋人の芸者・文子(寺島しのぶ)ここでは、誰1人も国防の母は出てこないのです。みんな「死なないで!生きて帰ってきて!」と言っているのです。当時の状況の中でこんなことが本当にあったのか、本音のところはまさにそうであっても口に出す時は、「お国のために立派に…」の銃後の母や乙女であったのではないかという疑問も出てきました。この人たちを守るためにという特攻精神の強調にもなるのではないかと思います。
映画は映画です。映画館の観客も大半は年配の人たちでした。「映画の始まる前からさしすせそのひそひそ声が響いていました。この映画単独だけでは、なかなか評価がむずかしいとは思います。
問題は、こういう映画を作っておきたいと考える思考が、ある文脈のなかに置かれたら大変に危険になるのではないかと思います。戦艦大和の悲劇は決して男たちのものではなく、具体的な歴史の事実のなかで、語られなければならないと思います。
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