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とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

豊後森町散策

2012-10-08 23:19:48 | 写真日記

森本町通り(レンガ通り)を歩いていくと、突き当たりに三島公園があります。

三島公園は旧久留島氏の庭園で廃城になった「角牟城(つのむれじょう)」の山麓に森陣屋を置いていた頃に作られたとされています。

三島公園から栖鳳廊(せいほうろう)、末廣神社を経て角牟城まで道がつながっています。

角牟城までは三の丸までは車で上がれるみたいですが、ここは歩かなくてはということで歩くことにしました。

これがとんでもない道のりで判断に過ちがあったことはすぐに明らかになりました。

栖鳳廊、末廣神社までは普通の道のりでした。それでも坂道や石段はあって少し息が切れる程度でした。

ここでやめれば良かったのですが、展望台ということばに釣られてそのまま登ることにしました。

ひたすら登る一本道で坂道と石段以外はありません。

山登りと覚悟していればそれなりの心つもりはしていたのですが、そんなことは考えずにいたので完全に息が上がっていました。

でも、途中に石の像が刻んであってそれがなかなか形がいいので、由緒あるものだと思いながら登りました。

三の丸あたりから立派な石垣が出てきます。

  

角牟礼城は、13世紀後半に築かれたとされています。その後戦国時代には大内氏と大友氏との争いで強固にされたとされます。

16世紀後半には島津氏による侵略にも耐えて、難攻不落の城として名をはせたと言われています。

1594年秀吉の家臣の毛利高政によって、中世の山城から石垣や櫓門をもつ近世の城郭に作り変えられたとされます。

その遺構からは中世の城郭から近世の城郭への移行の様子をうかがうことができる貴重な城跡だそうです。

角埋山の頂上(576m)から本丸、二ノ丸、三ノ丸の順に配置され、伝搦手門跡には滋賀の穴太衆(あのうしゅう)が積んだとされる穴太積み(あのう)と呼ばれる野面積みの石垣が残っています。

これは安土城などと同じ石の積み方ださそうです。

やっとの思いで山頂に上がりました。

山頂は大変広い台地になっています。小さな小学校の運動場くらいはあります。

これは、ビュートと呼ばれる山の形だそうです。

でも、展望はあまり開けません。

少し降りた所に展望デッキがありました。

そこからは大岩扇山(おおがんせんざん)や、伐株山(きりかぶやま)や万年山(はねやま)が一望できます。遠く久住の山も見えてきます。

玖珠盆地の山々はメサ、ビュートと呼ばれるテーブル状の形をしたものが多く見られます。

50万年前~60万年前の火山活動でできたものが浸食されたとされています。

 

 

こういった風景から、日本のグランドキャニオンとか、緑のグランドキャニオンと呼ばれているそうです。(笑い)

それでも、大岩扇山の柱状節理の絶壁は見事です。岩の扇を広げたようです。

山から下りると末廣神社はお祭りの準備をしていました。

 

 

昔ながらの祭の風景で、地域の伝統というものを感じました。

栖鳳廊は茶室のようで茶室からは久住連山を借景として使っていたようです。

 

やっとの思いで降りてきて、そろそろ帰り支度です。

でも、せっかく大分まで来たのですから、温泉に入らなくてはということで日帰り入浴ができる場所を地図で探しました。

耶馬溪方面に見つけたので入ることにしました。

露天風呂だけの小さな温泉です。入湯料は400円とリーズナブルな値段でした。

誰も入ってなくて独り占めでゆっくりつかることができました。

帰りは耶馬溪方面から10号線経由で北九州空港から東九州道を通って帰る道を選びました。

途中青の洞門の所で大きな石橋を見つけました。

耶馬溪橋(オランダ橋)と言うそうです。

 

 

帰りの道すがら見た空はきれいな空でした。

 

 

 

 

 

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豊後森の町散策

2012-10-07 10:45:39 | 写真日記

機関庫を撮影する以外にそれほどの期待をしていなかった森町だったのですが、非常に興味深い町でした。

車で移動する際には見逃してしまうけど、歩けば意外と面白いものが目につくそんな町でした。

  

 

昨日のブログにも書きましたが、「童話の里」というネーミングが気になっていました。

そこで久留島記念館をめざすことにしました。

なんでも日本のアンデルセンと呼ばれた久留島武彦の記念館だそうです。

車を停めて煉瓦通りを歩いていると右手に久留島記念館が見えてきました。

「すみません!」と何度も声をかけますが、なかなか出てきません。

向かい側のお店の人が見るに見かねて声をかけてきました。

やっと出てきた人は、感じのいいご年配の男性でした。

さっそく案内していただいたのですが、ていねいにとても詳しく案内をしていただきました。

大変長い話だったのですが、端折って説明すると以下のようになります。

明治7年(1874年)、大分県玖珠郡森町の久留島藩邸で生まれた久留島武彦は、

17年の大火で藩邸が消失したため、母の実家である中津市に移り住みます。

そこで小学校時代、中学校を過ごし、S・M・ウエンライトと出会い、3年のときに彼に誘われてウエンライトの転勤先である関西学院の神学部に転校します。

このことが彼の人生を大きく変えていきます。キリスト教の洗礼を受けたため勘当されてしまい、苦労されたようです。

軍隊生活を経て、帰国後は神戸新聞、大阪毎日新聞、横浜貿易新報、東京中央新聞などで活躍します。

子ども向けに戦記物など書かれて講評を博していたようです。

やがて、童話の世界にめざめて会社をやめ口演童話の普及に全勢力をつぎこむことになります。

86年の生涯の60年も口演童話の世界で過ごすことになります。

その間、東京に早蕨幼稚園を開設したり、幼児教育にも力をつくしたようです。

「子どもたちにとってお話は、遊びの道具ではない。彼らがその置かれた環境を解釈し、共鳴し、思索、研究するための真剣勝負の材料である。

文学的基礎の上に立つことは否定できないが、文学としてだけ取り扱うことは適当ではない。

大人の見地からは、文芸の一つだろうが、子どもたちからからみれば、主要な生活要素の一つである。」(『ある手紙』より)

頼まれればどんな所へでも出かけたようです。訪ねた幼稚園、学校は6,000校を超えるともいわれ、日本中足を踏み入れていないところはないとまで言われています。

「身動かざる者は心働かず」これが久留島先生の口癖だったそうです。(反省しろってか?)

若き日、師ウエンライトから「人を牧する人間になれ」と教えられた久留島武彦は、まさにその言葉どおり、一生をかけて子どもたちを育てたのかもしれません。

お話という子どもたちにとって真剣勝負の材料を使って久留島武彦という人は、童話家である前に教育者だったようです。

こんな人がいたとは全く知りませんでした。

またこの久留島という殿様はもともとは村上水軍の末裔で、瀬戸内海を思う存分暴れていたそうです。元々は愛媛の来島が名字だったようです。

関ヶ原の戦いの後に、豊後森藩に移封された後に、幕府からにらまれるのを恐れて来島から久留島に改名したという話も興味深いものでした。

1万4千石の小さな大名が270年間取りつぶしもなく生きていくというのは並大抵のことではなかったと思います。

次に向かったのは「わらべの館」です。ここは、子どもたちの文化をたいせつにした町づくりをしている象徴でもあります。

図書館を併設していて2階は日本中の民芸玩具を集めた記念館になっていました。

この日も絵本作家の講演会が予定されていました。

さらに町を散策すると、古い街並みを生かしたかざりつけなどが目に着きます。

 

スーパーも商店も新しいものをなるべく排除して町づくりに努力していることが窺われます。

この町を維持することは大変なことだと思います。

 

 

昔の看板も目に着きます。

私は子どもの頃由美かおるさんの看板にドキドキしたことを覚えています。

  

白い建物はもとの森町郵便局だそうです。現在は喫茶店を経営されているようです。

店の前には鬼がでーんと立っています。「勇気」って何だ…?

 

古い家並の向こうにグランドキャニオンがそびえ立っています。

次回はそこらへんを書いていきます。

 

 

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豊後森駅界隈に行ってきました。

2012-10-06 22:53:39 | 写真日記

先日のブログでも紹介しましたが、映画「僕達急行 A列車で行こう」に影響されて、

どうしても旧豊後森機関区の扇形機関車転車台跡地が 見たくなりました。

場所は大分県玖珠郡玖珠町です。日田や湯布院の近くになります。

けっこう遠いのですが、どうしても行きたい場所だったので無理して出かけることにしました。

朝早く高速に乗り、山陽道、九州道を通り、鳥栖JCから大分自動車道に入ります。

混んでいたら、東九州自動車道で北九州空港の方に迂回してそれから10号線経由で向かうことも考えていました。

車は多かったのですが、思ったより進んでいたので、そのまま高速で走って行きました。

でも、突然渋滞の知らせが入ってきます。福岡~筑紫野間10㎞渋滞だそうです。

「しまった…」と思ってももう手遅れです。仕方なく流れに沿って行くしかありません。

何とか大分道に入るとまた調子よく走ることができます。

玖珠ICで降りるとすぐに道の駅「童話の里くす」があります。トイレ休憩がてら立ち寄ることにします。

ここは大分です。やっぱり最初に目につくのはしいいたけの販売です。

大きなしいたけを目の前で焼きながら販売しています。

 

私はしいたけが大嫌いです。この世の中で一番嫌いと言ってもいいと思います。

でも、世間の人たちには飛ぶように売れていました。

秋ですから新米の季節でもあり、いろんな収穫物のなかで何となく華やかな感じがしていました。

 

でも、桃太郎のオブジェがあったり、山の中腹にも赤鬼が出迎えていたりと、どうして「童話の里」なのか合点がいきません。

これは、あとあとわかってくることなのですが…

ゆるキャラも登場してますますお祭り気分を盛り上げます。

豊後森のゆるキャラは“モリリン”だそうです。

背中にはしいたけを満載したかごをしょっています。ちょっと働き者のようです。

  

道の駅の近くに「豊後森駅」はあります。

駅から少し歩いた所に目的の機関区はあります。

三脚を立てて、超広角のレンズを据えて、F22まで絞り込んで撮影しました。

大分県玖珠町の豊後森駅は、久留米駅と大分駅をむすぶ久大本線の駅です。

その構内に今では珍しい扇形の機関庫(扇形庫)が廃墟状態で残っています。

電気・ディーゼル機関車と異なり、前後の区別がある蒸気機関車は方向転換に転車台という回転装置を必要とします。

機関車を収容する機関庫を転車台を中心に扇形にすれば効率的なので、蒸気機関車の時代には各地に扇形庫が建設されました。

蒸気機関車の廃止後は扇形庫も次第に解体され、国内にはもはや数カ所しか残っていません。

また、現存する扇形庫はだいたい現役で使われており、豊後森機関庫のように廃墟のまま解体されずに残っているのはかなり珍しい事例です。

豊後森駅の開業は1929(昭和4)年。扇形庫が竣工したのは1934(昭和9)年で、1970(昭和45)年に廃止されました。

まるでギリシャ神話の宮殿を思わせるような優雅な姿なのですが、廃墟の姿で現れてくるだけにいろんな思いを感じさせる場所です。
 
関係者以外柵の中に入ってはいけないとロープが張られているのがとても残念です。
 
もう少し近くで撮影できると、もっとリアルな姿が撮影できるのに…
 
でも、満足のいく撮影になりました。
 
今度は、現役の豊後森駅に行って撮影をしました。
 
 
 
駅まで行くと、“ゆふいん号”の到着まで10分少々だったので入場券を買って待つことにしました。
 
まるで本物のてつおくんです。
 
ここまで撮影に来ているだけでも十分その要素があるかもしれません。
 
 
 
木製の電柱が何ともいい感じをだしています。
 
ホームには一人しか乗客はいません。
 
大分方面のゆふいん号を待つこと10分やっと来ました。
 
 
  
 
ゆふいん号と機関庫のツーショットもねらいの1つでした。
 
何とかまとまった感じがします。
 
 
次回は森町界隈の紹介をしたいと思います。
 
 
 
 
 

 

 

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性懲りもなく(ジョージア缶コーヒーフィギュア)

2012-09-26 22:31:07 | 写真日記

昨日の続きです。

ジョージア缶コーヒーの助っ人外人シリーズの話です。

今日、またコンビニに立ち寄り、最後のブーマー・ウェルズを見つけました。

ローソンにしかないのかと思ったらセブンイレブンにもありました。

コンビニとの提携が多いのですが、今回はジョージアそのものの企画もののようです。

それにしても誰が考えたんだろう?このマニアックな企画は。

こういうマニアックなものには心惹かれる変な人たちが出てくるでしょうね。

でも、それぞれの選手たちが活躍した時代を考えると、知っている人は一定の年齢を超えている人たちになります。

そういう人たちがターゲットなんでしょうか?

 

ブーマー・ウェルズです。

1983年から88年まで阪急ブレーブスに在籍し、89年からオリックスに球団の名前が変わってもそのまま在籍しました。

ダイエーの1年も合わせると10年も日本で活躍した選手です。

タイトルもたくさん取っています。

三冠王1回(1984年)

首位打者2回(84年、89年)

本塁打王1回(84年)

打点王4回(84年、87年、89年、92年)

怪力で有名で門田選手のホームランを迎えて、ハイタッチをしたら門田選手の方が脱臼した話はあまりに有名です。

 

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ジョージア助っ人外国人フィギュア(いつまでも子ども?」

2012-09-25 21:57:41 | 写真日記

移動中にラジオを聞いていたら、視聴者の声として、「コンビニで助っ人外人のフィギュア付きの缶コーヒーを買いました」を聞きました。

取りあえず言ってみようとローソンに立ち寄るとジョージアのブラックコーヒーにフィギュアのおまけが 付いていました。

取りあえずダンディー・バースを探して見つけました。

後はいらないかな…と思いながら「全8種ということだし、缶コーヒーは飲むからやっぱり買ってみようか?」という悪魔のささやきが聞こえてきました。

貯蔵の場所には3種しかないので、レジのおばさんにお願いして探してもらいました。

ヒマな時間帯ということもあっておばさんは奥まで入って探してくれました。

全8種のうち、7種まで揃うことができました。

昔からこのようなおまけ菓子が好きで、しかも収集癖があるのです。

集めたからって何にもならないことは分かっているつもりなのですが、

困った幼児性です。

それでも、紹介します。接写レンズを着けて、一眼レフで撮影しました。バカです…。

  

ランディー・バースです。阪神ファンにとっては忘れることのできない偉大な英雄です。

6年間在籍した中で三冠王を2度も取ったことで知られています。

阪急ブレーブスに在籍していた暴れ者投手です。

1986年に来日し、阪急ブレーブスに入団し、セーブをあげてマウンドで雄叫びをあげたり、キャッチャーをボコボコ殴るので人気がありました。

翌年はあまり成績が良くなくすぐに退団しました。

その後たけし軍団とともに芸能活動をしていました。

ウォーレン・クロマティーです

ジャイアンツの助っ人の中では人気があった選手です。

巨人に7年在籍していました。打率3割6分以上を2回も記録するなど、ヒットメーカーとして知られています。

風船ガムを膨らませたり、ファンに万歳を強要するなど巨人らしからぬ行動で人気がありました。

 

オレステス。デストラーゼです。

西武黄金時代を築いた一人です。

秋山、清原と並んでAKD砲と呼ばれていました。

3年連続でホームラン王を獲得しています。

ラルフ・ブライアントです。

近鉄に8年在籍し、3度のホームラン王に輝いています。

アロンゾ・パウエルです。

中日に6年、阪神に1年在籍していました。

首位打者を3回獲得しています。

星野監督時代に鉄拳制裁には前々から不満を持っており、

1997年、星野が打ち込まれたリリーフ投手を殴った翌日、

「自分がそんなに強いと思うなら、私を殴ったらどうだ。

救急車で病院行きになるのはあなたのほうだぞ。

これ以上、ほかの選手を殴るのはやめてくれ!」と訴えたという有名なエピソードも残っています。

ロバート・ローズです。

8年間、横浜に在籍し、首位打者1回、打点王2回獲得しています。

3番鈴木、4番ローズを中心とした「マシンガン打線」で、今では最下位が定位置の横浜を日本一に導きました。

野球に興味がない人にとっては「だから何だ?」という内容だったかもしれません。

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広島県上下町

2012-09-22 10:24:23 | 写真日記

広島県上下町に行ってきました。

とは、言いいながら5月の報告になります。

上下町(じょうげちょう)はもとは広島県甲奴郡にあった町ですが、2004年に府中市に編入されたそうです。

江戸時代は、旧石見銀山から瀬戸内海への銀山街道の宿場町であり、天領とされ、両替商や金融業で栄えた町だそうです。

駅前の駐車場に車を停めて歩くことにしました。

上下といういう地名は中心部付近が芦田川水系と江の川水系の分水嶺になっているところからだそうです。

町全体が保存地区らしく昔っぽいものが多く見られます。

銀山開導の柱の所に上下のマークというかシンボルというか一の字の上下に点があるのが面白いです。

 天領だったということで代官様が迎えてくれました。

でも、この代官は絶対悪代官だと思わせるような顔をしています。

どころなく世を騒がせている小沢一郎にも見えないことはない…。

 

5月らしく鯉のぼりも店頭にかかっています。

この飾り方が田舎らしいセンスを感じさせます。

 

町並みはどこを切り取っても面白い光景が続きます。

人が少ないことが実にいい。のんびり楽しむことができます。

 

 

町を歩いていると、この町のシンボルのような教会が目につきます。上下キリスト教会です。

上下キリスト教会は、明治時代当時の建物を、昭和25年(1950年)に上下キリスト教会が入手して改造したというユニークなものです。

倉の上に建て増しされた印象的な八角形の鐘楼が町並みの美しさをいっそう引き立てています。

上下のシンボル的建物の一つで、広島県文化百選に選定されています。

   

 

町はいろんなものを売っていたり、店の特徴を出しながら観光客に対応しています。

 

  

 

 

 

旧旧警察署(写真上、左)は、明治時代に建てられた建物で、見張り櫓(やぐら)が当時のまま残されている印象的な建物です。

現在は天領ソバなどが食べられる岡田屋という食事処になっています。

 

旧田辺家は、江戸時代、上下が天領だった頃の御用商人掛け屋で、上下最大の有力金融業者でした。

 

 

歩いていると古いドアを見つけました。

入り口ではパンは売っていましたが、古い写真などを展示していました。

つくりがまるで映画の1シーンを思わせるようなつくりになっていました。

  

元禄13年(1700年)に置かれた天領代官所の跡には、小学校を経て現在、府中市上下支所になっています。

 

明治初期に建てられた二軒連結の呉服屋で、黒漆喰のなまこ壁が重厚な感じを与えます。

上下では、写真のように立派な卯建(うだつ)と呼ばれる防火対策用の壁が残っている商家跡をよく見かけます。

”うだつが あがらない”という言葉は、この卯建に由来しています。

 

大変古い写真屋さんを見つけました。

古いカメラがあると面白いと思い中に入っていきました。

見つけました。今は使ってはいないけど、しかもまだ現役だそうです。

 

若者の一群がいました。こういった若者はどこにでもいます。

親子連れのための撮影グッズを使って遊んでいます。

お店の人は、「次の人のために短めにお願いします。」と言っていますが、我関せずで遊び始めています。

やれやれ…

 

町を散策して駅まで帰ってきました。

駅舎も感じがいいのですが、非常にレトロなポスターを見つけました。

上下高校の同窓会組織らしいのですが、誰をターゲットにしたポスターなんだろう?

 

町に向かう時にも気になっていたのですが、中学校があるようでした。

上下の町の中学校となるとずばり“上”“下”“中”になります。

まあどうでもいいことですが…。

 

 

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日米親善デイ(5月5日)

2012-09-15 21:42:41 | 写真日記

ブログを最近復活して、けっこう頻繁にアップしていますが、本当に久し振りなのです。

いつまで続くやら…という気もしていますが、ブログを休んでいた間にも写真を撮り続けていたので、少し前に遡って画像を紹介したいと思います。

5月5日は毎年岩国米軍基地で「日米親善デイ」という催しが開催されます。

昨年は東日本大震災の影響で米軍が“ともだち作戦”に出動していたので開催されませんでした。

私は今まで、米軍駐留に基本的に賛成ではなかったので、一度も行ったことはありませんでした。

まして、子どもを連れて米軍の兵器を見せに行くなんて考えもしませんでした。

でも、どうやら今年で最後のイベントになるらしいという噂を聞いて、一度中に入ってみるのもいいかもしれないと思いました。

車で行くと大混雑するということも聞いていたので電車で行くことにしました。

家からもよりの山陽本線岩田駅です。なんとものどかな駅です。

 岩国で降りると帰りの混雑を避けるために帰りの乗車券の購入を呼びかけています。

基地まで歩き始めるとやっぱりぞろぞろと歩いている人を見かけます。

基地への道のりは、「基地反対」のデモで歩いている道のりなので慣れたものです。

基地の近くまでは順調に歩いて行きましたが、ゲートの近くのフェンス沿いでぴたりと動かなくなりました。

天気もよく、大変暑い日でしたが待つこと3時間近くやっと入場できました。

その間の人々の不満と、いらいらは聞いているだけでうんざりという状況でした。

ゲートをくぐって基地内に入ってもまた狭い場所があり、前にも後ろにも動けない状態になっています。

 

やっと古いタイプのジェット機を見つけました。

近くにはゼロ戦の復元モデルもあります。

 

やっとの思いで広い場所にたどり着きました。

いろんな飛行機やヘリコプターが所狭しと展示してあります。

ここで初めて気づいたことがあります。

飛行するための機体はそれぞれ、最大限機能的に作られていて、実に美しいのです。まさに機能美満点なのです。

目的を考えないと、その機能美にいかれてしまいそうな自分がいました。

 

輸送タイプのヘリコプターと戦闘態勢十分のヘリコプターがいます。

ベトナム戦争の映画で見たことがあるような機体です。

 

 

海上自衛隊と米軍が一緒に存在するというのも横須賀基地とよく似ています。

飛行機と一緒になぜかモーターショーも一緒にやっていました。

カメラをさわっているうちにモノクロモードにしてしまったようで、これからモノクロになります。

でも、そのモノクロがなかなかいいのです。

傘をさしたお姉さんが妙に時代を感じさせると思いませんか?

 

  

航空ショーが始まりました。すぐ上空を大きな爆音をたてながら飛んで行きます。

これが岩国の日常なんだろうな…と実感しました。

 

 

  

 

 

 

 

 

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吹屋ふるさと村探訪

2012-09-11 22:16:40 | 写真日記

古い町並みが大好きです。

古い街並みが残っている所にはどこでも出かけたくなります。

9月9日自分の誕生日にどこか行ってみたくなって、前から気になっていたベンガラの町に出かけることにしました。

べんがらの町は岡山県高梁市にあります。

山陽道から中国自動車道に乗り換えて新見インターで降りて国道180号線新見市街正田より県道成羽線に入り、

高梁市成羽町坂本より、道路案内版に沿って吹屋ふるさと村をめざします。

途中だんだん山に登っていくのでこれでいいの?と不安になりながら向かって行きました。

標高550mの山嶺に江戸時代から明治にかけて中国筋第一の銅山町に加え、

江戸後期からベンガラという特産品の生産がかさなり、

幕末から明治にかけて「ベンガラの町」として全国に知られました。

町並みの旧街道沿いに、ベンガラ格子に赤銅色の石州瓦、妻入りの切妻型、

平入り型式等が印象的な風情たたずむ商家・町屋が立ち並んでいます。

駐車場を降りて歩いていると、町は突然登場してくるのでびっくりです。

 

町にはボンネットバスが走っています。

高梁市が広島の福山自動車時計博物館より、トヨタ+呉羽の昭和42年式DB100を譲り受けたそうです。

そのバスも突然現れてきました。

 

 

標高550mの山嶺に、塗込造りベンガラ格子の堂々たる町家が建ち並んでいるのは、

江戸時代から明治にかけて中国筋第一の鉱山町に加えて

江戸時代末期からベンガラという特産品の生産が重なり、

当時の鉱業地として大いに繁昌した面影です。

幕末から明治にかけて吹屋はむしろ「弁柄の町」として全国に知られていました。

しかも吹屋街道を拠点として、銅や中国山地で生産される砂鉄、蒔炭、雑穀を集散する問屋も多く、

備中北部から荷駄の行列が吹屋に続き旅籠や飲食店の建ち並ぶ山間の市場として吹屋の繁昌を保っていたそうです。

 

 

またこの町には吹屋小学校があります。

つい先頃まで現役の小学校として使われていたそうです。

1900年(明治33年)~1909年(明治42年)に建設されたものです。

日本最古級の木造校舎で岡山県の重要文化財(建築物)になっています。

古い建物も好きですが、古い校舎はもっと大好物です。

 

  

町を散策していると、片っ端から撮影したくなります。

 

吹屋には笹畝坑道跡があります。

吹屋銅山は807年に発見されたと伝えられ、尼子、毛利の奪い合いから江戸時代の天領時代を経て三菱金属の持ち物になるまでの歴史があります。

実際に坑道の中に入ることができます。今は記念館として保存してあります。

ただし、中は天井が低いので、ヘルメット着用が義務づけられています。

 

 

 

吹屋には広兼邸と呼ばれるお城のような豪邸があります。

庄屋の家で、銅山とベンガラの原料で巨大な富を築き、規模、構造ともに一大城郭を思わせるような佇まいを見せています。

石垣は1810年の建築だそうです。

映画「八つ墓村」のロケ地として使われたことで全国に知れ渡っている屋敷です。

 

 

続いて備中松山城をめざしましたが、バスの終点から城まで20分かかることと、帰りのバスが間に合わないと言われ諦めました。

高梁の町並みを少しばかり散策しました。

 

  

この高梁教会は1889年(明治22年)に建設されたもので岡山県最古の教会の建物だそうです。

備中高梁は「男はつらいよ」のロケ地となった所でもあり、

教会の近くには、寅さんが代わりに法事を務めたハンコ屋があります。

 

 

 

 

 

 

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仁保(山口市)散策

2012-09-10 16:01:31 | 写真日記

山口市には何度も会議で出かけます。

まっすぐ帰るのもつまらないと思う時は、高速を使わずに山を通って帰ることもあります。

山口市の仁保に道の駅があります。ここに立ち寄って野菜や、パンを買って帰ることもよくあります。

その店に仁保の観光マップがあって気になっている場所がありました。

一度行ってみたいと思っていましたが、なかなか機会がなかったのですが、行ってみることにしました。

私小説作家 嘉村磯多の生家を帰郷庵と名付け、古民家体験施設として貸し出しをしているのです。

私小説作家 嘉村磯多についてはほとんど知らないのですが、取りあえず行ってみることにしました。

 

中は、改装してあり、五右衛門風呂も再現してあります。ただし、温水もシャワーも出ます。

 

 

いろりもあり、田舎ライフを経験したことのない人にはいい感じかも知れません。

自炊も釜でできるし、電気炊飯器でもできると至れり尽くせりの環境になっています。

もう少し、先に行くと湧水があります。

持ち帰る人も多いと聞きます。

  

車を停めていると奇妙なものを発見しました。

最初は河童のかかしかなんかかと思いました。

でも近くに行ってみるととんでもないものでした。

 

そうです。マイケルジャクソンです。何でこんな所にこんな奇妙なものがあるのか謎です。

でもそうとうくたびれていました。やっぱり不気味な様相です。まさに「スリラー」というところでしょうか。

廃校になった小学校もありました。

廃校になった小学校は何故か心弾かれるものがあります。

  

ということで小さな小さな旅日記でした。

 

 

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埼玉に行って来ました。

2012-09-01 23:21:49 | 写真日記

今度は埼玉に行って来ました。土曜日の11時から会議ということで、朝出ると間に合いません。

前の日出発ということになります。でも、前日が職員会議が入っていて外すわけにはいきません。

会議が終わってから車で宇部空港に向かいました。

途中で昼食と考えたのですが、今からしばらく運転しないということを考えると、宇部空港まで我慢して“昼間のビール”を楽しむことにしました。

飛行機の時間まで2時間くらいあります。

ゆっくりビールを味わうことにしました。

調子にのって二杯も飲んでしまいました。

  

二杯も飲むと本を読みながら眠たくなってきました。

飛行機を待っている間、うとうとと眠っていました。これがまた気持ちいいですね。

飛行機は、ANAが最近導入したボーイング787だったので快適でした。

羽田に着くと、この日は、ブルームーンの前の日ということで、月がきれいに出ていました。

トラベル会社に頼んでいたホテルがとてもリッチだったのでびっくりしました。

いつも安いビジネスばかり泊まるのでこういう部屋は落ち着きませんね。

聞けばJリーグの選手たちが宿泊するホテルということでした。

部屋はとても広くて、今までで一番かもしれません。

ベッドの両側にスペースがある部屋は初めてです。

 

 

この日はホテルでゆっくりテレビを見たり、本を読んで過ごしました。

次の日、朝食を済ませても会議の時間までたっぷりあります。

どんなにリッチなホテルに泊まっても、閉じられた空間に長くいることができない性格なのです。

普段だったらあちこち出歩くのが常なのですが、浦和界隈は何もありません。

大宮まで行けば、鉄道博物館があるのですが、開園が10時です。

遊びに行って会議に遅刻というのは最悪なので、前にも行ったことがあるコーヒーハウスで読書にしました。

帰りのモノレールは空いていたので車窓からパチリ!

 

今回の写真は、いつものSONYα900ではなくてOLYMPUSのデジカメXZ-1で撮影しました。

いわゆるコンパクトデジカメなのですが、レンズが明るく抜けの良い映像になっていると思います。

両方とも持っていたのですが、今回はテストということで撮影しました。

十分合格ラインだと思います。

やっぱり腕ですか????

 

 

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