季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

犬の不思議

2008年05月13日 | 


犬連れでどこかへ出かけたことのある人は、かならず経験していることだと思う。たとえばどこか気に入った場所に再び行くとしよう。すると、目的地に近づくとそれまで寝入っていた犬が急にそわそわし始める。なぜだろう。

外出先から帰宅する場合もそうだ。うちの子の場合は、約1,5キロ離れた交差点を曲がると、むっくり起きあがって、ヒュンヒュン鳴きはじめる。

きっとどこの犬もそうなのだろう。いったいどこでそれが分かるのだろう。近所に到着すると匂いで分かるに違いない、とか路面からの音で判断しているのだろうとか、いろいろもっともらしい仮説はある。どうだっていいじゃん、というのが心の底に流れているから、それ以上「研究」する人はいない。

動物の行動でなぞのまま残されていることは実に多い。

伝書鳩がどうやって自分の巣に帰ることができるのか。これに対してはありとあらゆる仮説が立てられた。嗅覚によるというもの、独自の方位を計測する器官を持っているというもの、磁場を感知するというもの、こういった仮説が次々あらわれ、周到な実験が行われた結果、どれも説得力を持つにいたらなかった。

そのうちに、世の中はそんな悠長なことにかまけていられぬ、とばかり、実益のある分野での研究ばかりになった次第らしい。

まぁ判らなくもない。仮に僕が理学博士であるとしよう。「先生、ご研究の分野は?」「うむ、伝書鳩はなぜ帰巣するかをメインに、犬がどうやって我が家を察知するかをサブテーマとしております!」と、難しい顔して答えられないね。といって、ニタニタして同じことを答えたら変人扱いされることは必定。科学者も世に連れなのだな。

しかし、もしそういう研究をする人がいたら、それは本当の科学者だといって良いだろう。この国では理系、文系などと間抜けな分類ばかりしているせいで、身の回りのことに驚いたり、感動したりする人がすっかり減ってしまった。研究してみようと思う人に至っては推して知るべしだ。

でも、いったん目を量子論にまで向けてごらんなさい、ここでは大変なことが起こっているのだ。簡単に言うと、当の科学者が真理について「解釈」という曖昧なことばを使わざるを得ないのだ。コペンハーゲン解釈というのだが。ある現象を、純粋に理論的に扱うと、常識を疑わねばならぬことになるので、一定の約束事を持たせよう、というものだ。でも科学に約束事なんておかしいではないか、という科学者も当然たくさんいる。

僕がそんなものを解説できるはずもないから、これ以上言及しないが、世界は不思議なことに満ちていて、よく考えるとなお分からん、という落語の落ちみたいでしょう。

で、犬の話に戻ると、このよく知られた(飼っている人だけにね。入試には出ないよ)現象をもう一度研究するのが本当の科学的態度ではないか、という科学者たちが出始めている。そして、その中のひとりは量子論との絡みの可能性まで示唆している。面白いではないか。

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