季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

メニューイン

2009年09月10日 | 音楽
数年前、メニューインの若いときの演奏の映像が発見され、世界中の話題をさらったことがある。

初めて見たときびっくりした。彼は神童であったが、青年期を過ぎてからは精彩を欠き、歳を重ねてからもう一度人間性によって「復活」した。これがメニューインについての「噂」だったから。噂といって悪ければ、理解のシナリオだったから、と言っておこうか。

フィルムで見るメニューインは30歳くらいだろうか、その噂とはまったく違う、鮮やかとしか形容できない、ゆるぎのないアポロのように見えた。

あらゆる難所をいとも簡単に弾きのける。それも弾き飛ばすことなしに。上体は文字通り微動だにせず、無造作に両脚に均等に体重がかかり、弓使いも左手も、文句のつけようがない。

歳をとってからの演奏は何度か聴いたことがある。もちろんそれ以前の録音も。実演を最後に聴いたのはたしか、ハンブルクのミヒャエルス教会だった。弓の根元でコントロールするのは難しいのであるが、メニューインはもう長いことそれができずに苦しんでいた。

いや、苦しんでいたというのは僕の勝手な想像だが、その時も音はかすれたり、ギィと不快な雑音になったりしていた。彼がそれに気づかぬはずもない。しかし、全体にしみじみと語るような演奏で心打たれた。心打たれたからこそ、苦しんでいたのだろう、と忖度できるのである。

色々な映像で見る限り、弾く姿勢も次第に前かがみになっていったようだ。

僕は弦楽器奏者ではないから、ここから先は想像の域を出ないのであるが、この人の弾く姿勢の変化は、音楽の感じ方が大きく変わっていったところから来るのではないか。

たしかどこかで、自分の若いころを評して一種のハイフェッツであったと言っていたと記憶する。これは非常に正確な自己批評だ。もちろんメニューインはハイフェッツではない。だが、音楽を前にしてたじろがず、ほとんど即物的と呼びたいほど無駄のない表情を与えるところなどは、彼がハイフェッツ的な精神の影響下にあったことを窺わせる。

ではハイフェッツと違うところは何か、と問われれば顔である、と答えたい。音楽家のくせに何という答えだ、と言われそうだが、上述の若い映像でもっとも目立つのは、一見アポロのような端正な顔の中にある、燃え上がりそうな眼差しだ。冷たい知性とはまったく縁のなさそうな。ハイフェッツには絶対に見受けられない目だ。

このような男が戦後、フルトヴェングラーという、メニューイン自身の言葉によれば「自身がプロデューサーである必要のなかった最後の人」に関心を抱き、惹かれていったのは不思議でもなんでもないように思われる。

メニューインとフルトヴェングラーは何度も共演を繰り返し、メニューインは後年、その影響がいかに強烈だったかを語っている。録音に残るベートーヴェンやブラームスの協奏曲の演奏は、じつに生々しい。

発見された映像でのアポロ的な世界は、フルトヴェングラーという存在に触発されて、はるかかなたに消え去っているかのようだ。ブラームスの協奏曲ひとつ聴いてもそれは窺える。

彼のような種類の人間はフルトヴェングラー無しでも変化をしていったかもしれない。

しかし、演奏の中に途轍もない人間的情感を投げ入れる術を、また、そうしたいという衝動を与えられたのは間違いないことだと僕は思う。また、衝動を持つに充分な苦しみがあったと僕は直感する。

若き日の完成度は砕け散った。演奏する身体は精密機械のようなものだ。名人においてはとくにそうだろう。どこかにそれまでと違った要素が入り込むと、簡単に修正できることではない。

中年以降のメニューインの前かがみの姿勢は、僕にそんな想像をさせる。弦楽器奏者は笑うかもしれない。しかし弦楽器奏者が音楽的に、また人間的に勘がより鋭いと思う根拠も、僕は見出さない。

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