季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

題名

2014年10月21日 | 音楽
サンサーンスの白鳥は白鳥を表しているか?それは違う。誰かが静かな夕暮を想っても良いし、山の頂きを想っても良い。

つまり音楽には何ものかを具体的に示す作用などは無い。

ただ、何かを表しているのではないかと思い込んだ人たちが大勢いる。そこで題名が付いた曲に人気が集まる。うん、これは運命だ、あれはイタリアだと。

作曲家が何も思わなかったのではない。だから厄介なのである。作曲家が何を想ってもそれは単なる寝言と似ていると言えば暴言に聞こえるが、他に言いようはない。

ベートーヴェンがソナタのスケッチにドン・ジョヴァンニが騎士長を殺した後の音型を書きつけたからといってそのソナタは死を表したものでもないし、同じ曲に詩人が湖上の月を想っても、月光である必要はない。

と言うと音楽は難しいと思うのだろうか?逆ではないか。
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2 コメント

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Re:無言歌 (dummkopf_1950)
2014-10-24 23:32:40
紀子さん

コメントを有難うございました。
ゴンドラの歌、紡ぎ歌、春の歌あたりでしょうか、作曲者が付けたのは。
あとは出版社が頭を捻って、あるいは氣楽に付けたものですね。それでも、結構楽しみながら付けたのではないかと思います。

僕ならこんな題を付ける、とか陳腐だなぁなどとこちらも勝手にやります。紀子さんも遠慮なくそうなさったらいかがですか。

以前コルトーがショパンのプレリュードに題を付けていたのをネタに戯れ言を書きましたけれど、コルトーだって全てが独創的というわけではなく、陳腐なものもありますからね。もっともコルトーが陳腐というより、他に言いようがない場合ですが。
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無言歌 (紀子)
2014-10-24 14:32:33
いつも楽しみにblogを読ませていただいてます。
ちょうど、メンデルスゾーンの 無言歌を弾いていますが、彼自身が付けた題名はゴンドラの歌くらいだそうですね。
出版者が付けた題名は全ての曲に及んでいて、気になってしまいます。
甘い思い出…さすらい人…浮き雲等々…。ついついそれらしく聴こえてるかと気にしている私です。
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