季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

偽物狂騒曲 2

2014年02月19日 | 音楽
朝日新聞に、騙された人にも責任があるという趣旨の記事があったそうだ。

僕は自分でその記事を読んでいないから、どんな文脈でそんな意見が出たかは憶測するしかない。

普通はそうした状況で意見を述べるのは良くない。ただ、騙された人には非などこれっぽっちもありはしない。文脈と関係なく否定して構わないと思う。

こんな新聞記事でも一見公平にものごとにあたっているように映るのだろうか?

所謂詐欺にあった場合、欲に目が眩んだ人にも落度があったと言うのは分かる。

では骨董で偽物を掴んだ人は?単に物を見る目が無かっただけで、責任なぞ問われないだろう。後でホゾを噛む思いをするのは買った本人だ。

今回の騒動も似たようなものだ。そもそも偽物とは何か?バッハ作と永らく思われていたフルートソナタは研究の結果今では全集から外されている。でも大変美しいので、とくにシシリアーノは演奏される機会が多い。

ホゾを噛む思いをしている人は人。いや、それでも曲は良いと思う人は以後は新垣氏の曲として演奏していけば良い。こんな簡単なことだ。新垣氏がどんな反応するかはまた別の話。

責任だの非だの言うならば、当のマスコミ報道以外に該当するものはない。幾つかのメディアは取材中に疑念を抱いてきたと自ら言っている。あやふやな噂でさえあれこれ取り沙汰して追いかけ回すのに、疑念を抱きながら何の手立ても打たなかったのは怠慢だとの誹りをまぬがれまい。

頭を整理せずに、何とはなしに社会の良識を説いてみるからこんなトンチンカンもする。もっとハッキリ言えば、この種の予定調和めいたものからは何ものも生じない。むしろそう言えばそうかも、と新たな曖昧さを産む分、毒するとすら言いたいくらいだ。

メディアの責任について詳しく論じた文も読んだ。これは専門の音楽家によるものだが、専門家ではない僕には首を傾げたくなる部分も多かったので又稿を改める。

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