季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

新年にあたって

2010年01月02日 | Weblog
新年おめでとうございます。

新年早々難癖を吹っかけるのも気が引けるから、宇野功芳さんの批判はちょいと休んで。

ブログを書き始めてちょうど2年経つ。いくらメモの代用といっても、我ながら書く材料がいくらでもあって驚いている。毎日の記録のようなことを書かなくて良かった。収拾がつかなくなるところだった。

しかし新年といっても特別なことはない。地球はいつも通りに太陽の周りを廻っているらしい。温室効果という大合唱も数年後にどうなっているのか、本当のところは誰にも分かっていない。宇宙の規模は大きいと今更ながら思う。

年末にそんなことを考えて、そういえばオゾン層が破壊されるという話は近ごろとんと聞かないな、となんだか旧知の人を訪ねるような感じで検索してみた。

意外なことに大きなオゾンホールはいつの間にかほぼ元に戻っているのだそうだ。代替フロンに切り替えたのが功を奏したという。

でもフロンガスが成層圏に達するには何十年もかかると言われていたのだから、それはちょっと話がかみ合わないぞ、とさらに見ていったら、何十年もかかって成層圏に到達するというのは俗説だとあった。

オゾンホールが修復された以上、俗説であるという説は正しいのだろう。

いろんなことが騒がれてはいつの間にか忘れ去られる。それ自体は人の世の常であろうが、危機感を煽ったからには結末もきちんと報道してくれと思う。

白洲次郎の雑文集「プリンシパルのない日本」というのをパラパラめくっていたら日本のマスコミはもっときちんと書くべきことのみ書いてくれ、どうでもよい脚色が多すぎる、といった注文があった。

吉田茂内閣のころですよ。ちっとも変わっていないなあ。

フロンが成層圏に達する速度くらい、ある程度分かっていただろうに。少なくとも予測した学者くらいいただろうに、きっとこちらのデータは無視を決め込んだのだろう。

若いころ、東京の空はたしかに霞んでいた。正月になると通行量が減り、青空が見えるようになった。毎年奥多摩の山に登り、関東平野を一望するのを新年行事にしていたからよく知っている。

遠く棘のように東京タワーが刺さり、左に視線を移せば霞ヶ浦まで見えた。奥多摩(当時は氷川といったと記憶する)行きの電車は本数が少なく、途中停車駅でドアを開け放したまま停車し、麗華6、7度という気温がえらく寒く感じた。

何だかついこの間のようにも思えるし、遠い昔の記憶のようにも思える。妄想かもしれぬ。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする