オネゲルの曲は嫌いではない。フランス6人組というのかな、なにかそんなのがあるでしょう。僕は音楽史だのに暗くて、それはどうにかしたいと思いながらも、他に知りたいこと、知らねばならぬことが山積している。知らなくても恥をかくだけだ、と開き直っている。このメンバーが誰だったか、急には思い出せないが、プーランクが入っていたはずだ。最近、この作曲家を取り上げる人が多いけれど、本気かなと首を傾げてしまう。
逸話をひとつ。
クレンペラー(往年の大指揮者のひとり)が、プーランクのピアノ協奏曲を自身をソリストに迎え練習していたときのこと。誰にでも聞こえる声でコンサートマスターに訊ねた。「フランス語でくそったれ、を何と言うのかね?」
クレンペラーは独特の毒舌で、この手の逸話は数知れずある。クレンペラー逸話集なる本まで出ている。僕は一冊持っている。僕がこの本をなぜ持っているかというと、ドイツの家の階下に小さな本屋があって、そこで売れない本を100円ほどで売っていたのだ。
その中でも、上記のセリフは笑える。プーランクという才気走ったつもりの小物にぴったりだ。
サティを評価する人はとてつもないような高い評価をする。僕は好きになれないが、たったひとりで「誰が音楽を難しくしたのだ」と呟いているような風情は、よっぽど正直だと思う。そういう意味では「分かる」のである。
オネゲルはどうした、と訊ねないで欲しい。六人組のことからプーランクへ行ってしまって、話が逸れっぱなしになっている。
オネゲルに「私は作曲家である」という著作があって、その中の発言について書こうと思っていたのだ。でも、この調子だと長くなりすぎるだろう。続き物にするか。
プーランクについて書き始めてしまったから、彼に対しての意見を言い切っておこう。彼について今後それ以上言及することはあるまい、と思うから。
バレンタインにもらうような高級チョコレートね、何だか僕がもらっているように聞こえるが、もちろんそういうことはない。
急に思い出したから書いてしまおう。プーランクと同じくらいバカバカしい話だから、まあよいだろう。
昔、出先で、お義理にチョコレートの箱をもらったことがある。僕は荷物にひもが付いていると、無意識にグルグル振り回すくせがあるらしい。人からよく指摘されるから、きっと本当なのだろう。
で、そのチョコレートの箱を、歩きながらグルグル振り回していた(らしい)。帰宅して箱を開いて驚いた。チョコレートだと固く信じていた中身は、なんとケーキで、ケーキは遠心力の法則により、跡形もなく、紙箱一面に無惨にもクリームが張り付いていた。
教訓。戴いた箱、とくにバレンタインデーやクリスマスに戴いた箱を振り回してはならない。僕自身は、身をもって得たこの教訓を活かす機会がその後ないのであるが。
と、こんなくだらない話をダラダラとして、教訓などと、ちょいと言ってみる。これがプーランクだ。
高級チョコレートの箱の中にあるハトロン紙は、なんとなく高級そうに見えるでしょう。あんなものさ、と書こうと思ったら、即興的にもっと適切な例えができてしまったから、そちらをとっておこう。
友人が最近学識を付けて、プーランクは敬虔なカトリック信者だったそうだ、と言ってよこした。そうとも。横山大観はラッキョウが好きだった。それがどうした。
(これはでまかせです。真面目な人を悩ませるといけないから、念のため書き足します)
逸話をひとつ。
クレンペラー(往年の大指揮者のひとり)が、プーランクのピアノ協奏曲を自身をソリストに迎え練習していたときのこと。誰にでも聞こえる声でコンサートマスターに訊ねた。「フランス語でくそったれ、を何と言うのかね?」
クレンペラーは独特の毒舌で、この手の逸話は数知れずある。クレンペラー逸話集なる本まで出ている。僕は一冊持っている。僕がこの本をなぜ持っているかというと、ドイツの家の階下に小さな本屋があって、そこで売れない本を100円ほどで売っていたのだ。
その中でも、上記のセリフは笑える。プーランクという才気走ったつもりの小物にぴったりだ。
サティを評価する人はとてつもないような高い評価をする。僕は好きになれないが、たったひとりで「誰が音楽を難しくしたのだ」と呟いているような風情は、よっぽど正直だと思う。そういう意味では「分かる」のである。
オネゲルはどうした、と訊ねないで欲しい。六人組のことからプーランクへ行ってしまって、話が逸れっぱなしになっている。
オネゲルに「私は作曲家である」という著作があって、その中の発言について書こうと思っていたのだ。でも、この調子だと長くなりすぎるだろう。続き物にするか。
プーランクについて書き始めてしまったから、彼に対しての意見を言い切っておこう。彼について今後それ以上言及することはあるまい、と思うから。
バレンタインにもらうような高級チョコレートね、何だか僕がもらっているように聞こえるが、もちろんそういうことはない。
急に思い出したから書いてしまおう。プーランクと同じくらいバカバカしい話だから、まあよいだろう。
昔、出先で、お義理にチョコレートの箱をもらったことがある。僕は荷物にひもが付いていると、無意識にグルグル振り回すくせがあるらしい。人からよく指摘されるから、きっと本当なのだろう。
で、そのチョコレートの箱を、歩きながらグルグル振り回していた(らしい)。帰宅して箱を開いて驚いた。チョコレートだと固く信じていた中身は、なんとケーキで、ケーキは遠心力の法則により、跡形もなく、紙箱一面に無惨にもクリームが張り付いていた。
教訓。戴いた箱、とくにバレンタインデーやクリスマスに戴いた箱を振り回してはならない。僕自身は、身をもって得たこの教訓を活かす機会がその後ないのであるが。
と、こんなくだらない話をダラダラとして、教訓などと、ちょいと言ってみる。これがプーランクだ。
高級チョコレートの箱の中にあるハトロン紙は、なんとなく高級そうに見えるでしょう。あんなものさ、と書こうと思ったら、即興的にもっと適切な例えができてしまったから、そちらをとっておこう。
友人が最近学識を付けて、プーランクは敬虔なカトリック信者だったそうだ、と言ってよこした。そうとも。横山大観はラッキョウが好きだった。それがどうした。
(これはでまかせです。真面目な人を悩ませるといけないから、念のため書き足します)