パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

ゼロ戦対グラマン

2009-04-29 16:17:27 | Weblog
 なんで、日本のノコギリは「手前に引く」方式で,欧米のそれは「押す」式なのだろう?

 私は,「押す」式の方が力を加えやすいので、「欧米式」がよいと思って探したが、欧米式と日本式の中間のようなノコギリしかなかったので、それを使っている。

 つまり、歯の形が二等辺三角形になっていて、押しても引いても切れるようになっているのだ。

 それを購入した東急ハンズで、「押す」式のものはないかと聞いたら,本格的な欧米のノコギリは一点だけ置いてあると言われて、店員が指差すほうを見たら、ものすごいごつい、全長が2メートルはありそうな、森の木こりがつかうようなノコギリが壁に吊るされていた。

 多分,欲しい人がいれば売るていどの商品で、実際は一種の「飾り」なのだろう。

 それにしてもごつい。

 古本屋で、「貧乏物語」とか言う,要するに、日本最初の経済学書と言われている本の文庫版があって、そこに、明治時代のデータだが、もっとも過酷な労働として「木こり」があげられていた。

 ダントツに必要カロリー数が多い。

 驚いた。

 この本は、面白そうだなと思ったがその場で買わず、翌日探したらなくなっていた。

 残念。100円だったから買っておけばよかった。

 それはそれとして、なんで日本のノコギリは「手前に引く」ようになっているかというと、はっきりしたことはわかっていないが、多分、「押す」方式だとノコギリの材質が硬くて分厚くないとダメだが、「引く」方式だと薄く、柔らかな材質でも使えるからではないかと、ウェブの「何でも相談室」みたいなところに書かれていた。

 なるほど。

 確かに,私が今使っているノコギリは、引いている(いや、押している)最中に、しばしば「ふにゃっ」となる。

 まあそれでもベニヤを切るくらいならなんとかなるので使っているわけだが、要するに、体力の問題なのだ。

 あと、薄いノコギリだと、それだけ「繊細」な加工ができる。

 要するに、繊細な零戦と、ごついグラマンの違いということのようだが、日本人は繊細だからいいのだとかなんとか、文化論的にからめて論じる傾向はうんざりだ。

 排他的だからよくないとか、そういうことですらなくて、もう10数年以上前にそのような論議は終っている。そんな風に思う。

 まあ、そもそも、最後には零戦はグラマンにやっつけられてしまったのだけど。