パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

ゴーゴリ、「外套」を読む

2009-04-19 21:54:07 | Weblog
 国の官庁の出先機関をまとめるために、「合同庁舎」を作りたいが、ついては、各地方に建設予算の一部を負担してもらいたいと総務庁か何かが言っている。

 この問題をとりあげた「サンデープロジェクト」で、田原が、「政府は国民、国民って言うけれど、国民なんていないんだよ。いるのは住民なんだよ」と叫んでいた。

 なんで、こう田原はわけのわかんない、無意味な事を言いたがるのか。

 そんなことより、問題は、役人が何かプロジェクトを立ち上げようとする時、「建物」からつくろうとすることだ。

 民間人が起業しようとする時、ビルからつくりはじめるだろうか?

 どこか、雑居ビルの一室を借りるだろう。

 役所だって同じはずだ。

 合同庁舎だから、働く人数が多い、ったって、大きいビルの2、3フロアを使えばなんとかなるのではないか。

 橋下大阪府知事がこの件で話を聞かれて、「合同庁舎のビルを新たにつくること自体は認める」みたいなことを言っていたが、ちょっと待ってくれと言いたい。

 どこに新規事業を「ビルの建設」からはじめる奴がいるのかっての。

 そんなの、昔の「帝政ロシア」、それを継いだソビエトくらいなもんじゃないの、と思う。(中国もかな)

 で、その帝政ロシア時代の小説家、ゴーゴリの「外套」を読む。

 下っ端役人が、なけなしの金で外套を新調するが、追い剥ぎに盗まれ、取りかえすために勇気を奮って高級官吏を訪ねるが、「外套を盗まれたくらいでわしの貴重な時間を奪うとは不届き千万」と、床をドンと踏みならしておどされ、死んでしまう――という話。

 いやはや、むちゃくちゃに面白い。

 なんとなく、日本の近代小説のような感じもする。

 実際の所、横光利一をはじめ、芥川の「鼻」なんか、ゴーゴリの同名小説に範をとったような気もするし、田山花袋なんかも、影響を受けていそうで、その点は、なる程さすがであると誉めてあげたいのだが、残念ながらその影響は限定的でしかなかったのが惜しい。