パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

突発的書き込み……ではないんだが福田やめろ

2008-08-06 18:50:15 | Weblog
 熱い……とはいえ、ここ数日にくらべると、若干湿度が低いので少し楽だ。

 引っ越してきた新宿のビルはかなり古いビルで、コンクリートの壁が厚く、輻射熱が遮断されるので、南側に面していない部屋は、湿度が低いと結構涼しい……はずなのだが、まだそこまで爽やかな夏の日は今年はないので、確認できてはないが、そのはずであることを、今日、ちょっぴり確認できた。(ややこしくてすみません)

 そもそも、「日当たりのよい部屋、家」が日本では人気が高く、日照権なんてへんてこな法的権利すら存在しているのだが、ヨーロッパのような寒冷地ならいざ知らず、日本のような亜熱帯に近いような土地で「日当たり」が重視されるのは、要するに、中国の風水師の言う、「天子南面す」を盲信しているに過ぎない。

 風水に限らず、中国人のいっていることは、ほぼすべてインチキと思ってまちがいない。少なくとも思想的には無価値だ。(20年くらい前、ニューサイエンスを標榜する連中が道教の「タオ」に注目したりしたが、あれは今どうなってしまったか)

 オリンピックの開会式セレモニーの片鱗が公開されたが、なんという、インチキくささか!

 しかし、それは中国人自身がわかっている。大事なことは、今、それで利益を得ることができるかだ。

 その中国が、例の毒餃子事件で回収した餃子が横流しされ、それを食べて中毒を起こした人がいたんだそうで、その事実を、洞爺湖サミットの直前に日本政府に通報したが、チンパン福田が、「今は黙っているほうがいい」と言ってマスコミにその情報が流れることを禁止したんだそうだが、これじゃあ、中国政府のほうがよっぽどまともじゃないか。

 まったく、福田は何を考えているのか。

 中国が自国の恥とも言うべきことを公表することにしたのは、中国産食品の日本国内での売り上げが激減していることに音を上げ、なんとか事態を改善したいという気持ちがあったかららしいが、それをもストップするなんて、福田は中国様の気持ちすらわかっていない。

 靖国神社の参拝問題にしても、「私の過去の行動から判断してください」とぬかした。

 これには驚いた。福田は本当に猿だった。「言葉」による説明、説得を拒否したのだから。

 おい、朝日新聞! あんたんところは、「私は言葉の力を信じます」キャンペーンをやったんじゃなかったか? だったら、この福田の「言葉の力は信じません」発言になんとか言ったらどうだ。

 政治というものは、「言葉」をもって行うものだが、自民党政治は、基本的に動物園の猿山のようなボス支配で、「言葉」はほとんど機能していない、とは昔から言われてきたことだが、それでも対マスコミ、対野党に対しては「言葉」をもって対してきた。

 福田はそれすら行おうとしないのだ。(あんたは言葉に勢いがないので、何もいわないほうがいい、とアドバイスされているのかもしれないが)

 そもそも、「行動で判断しろ」なんて言ったら、議論が成り立たないではないか。

 昨日は突発的な大雨で、下水道工事の作業員が複数死んだが、それを受けて、東京都の下水道局局長かなんかが「雨が一滴でも降ってきたら工事はすべて中止する」とぬかした。

 これは、つまるところ福田と同じで、言葉による事態の取りまとめに自信がなく、ヒステリーを起こしたのだろう。

 しかし、神田川のような小河川の氾濫は、地球温暖化による気象異常の影響もあるかもしれないが、それよりも、川底をコンクリートで固めてしまったため、従来のように、降った雨水が地下に吸収されず、そのまま増水してしまうからではないか。

 昔、月光の編集部のあった中野の小田ビルの裏が神田川で、入居してしばらくして川床のコンクリート化作業が行われ、途端に、ちょっとした雨でもあっという間に増水するようになり、何度も氾濫した。

 当時、都市計画の専門家などがこの問題を指摘し、コンクリートの川床は剥がして自然に戻したほうがいいという人が結構いたのだが、今回は皆無だ。

 何故だろう。突発的な増水の原因は川床のコンクリート化によるものではないという結論が出たのだろうか? それとも、つくってしまったものをもとに戻すことはできないというお役所仕事の原則が貫かれているのだろうか?  

 私は、どうも後者じゃないかと思うのだが。


追伸 「アニミズムにおいては知性の働きは知性を捨象しようする」という前回書き込みは間違い。「捨象」は、それ自体、知性の働きの主要なものの一つ。したがってここは、「捨象」ではなく、「ネグレクト(不注意、無視)」である。すなわち、「アニミズムにおいては知性の働きは知性を無視するように働く」のだ。

宇宙飛行士は何を見たのか

2008-08-03 23:18:39 | Weblog
 NHKの科学番組で、南米に住む、石を使ってヤシのみを割って食べる猿を見る。

 猿のからだと比較すると非常に大きい石を「よいしょ」と持ち上げ、ヤシのみを叩き潰す。感心したのは、石を「落とす」のではなく、きちんと最後まで手を放さなかったところ。この「こつ」をまだ知らない若い猿は、ずっと失敗し続ける。

 ナレーターは、「大人の猿は決して教えようとはしません。未経験の猿は、自分で技術を身につけるしかないのです」とか話していたが、猿の世界では教えたくとも「言葉」がないんだから、それは当たり前だろう。

 しかし、この手の番組を見るといつも思うのだが、この賢い(でも、「言葉」はもっていない)猿たちは、はるか遠い未来には、知性を獲得し、今の人間のようになるのだろうかという問題だ。

 多分、彼ら(猿)が、今後、数億年も生き続けるとしたら、そうなる可能性はあるんだろう……が……その前に、地球の生命系そのものが滅びる可能性のほうが大きいだろう。

 そんなふうに考えると、宇宙を直接に垣間見た宇宙飛行士たちの多くが宗教的回心を得たと告白しているのが意味深く思えてくる。

 彼らは、宇宙の漆黒の闇の中に(宇宙空間には光が充満しているが、真空、つまり物質がないので闇でしかない)神を見たのだろうか? そうじゃない。逆だ。

 彼らは、「人間がいない世界」に足を踏み入れた時、「人間だけしかいない世界」に対して目を開かれたのだ。

 ……て、実はこれは内田樹先生の今日のブログに書かれていたことだが、内田先生もたまにはよいことを仰る。

 もっとも内田先生は、宇宙飛行士たちは、「人間だけしかいない世界」の生態学的貴重さが身に沁みて、それが回心につながったといった感じの説明をしているのだが、これはちょっと違うような気がする。

 内田先生曰く、《アポロ計画に参加した宇宙飛行士たちのうちかなりの人々はそのあと信仰の道に入った。「人間がいない世界」に足を踏み入れたときに、彼らはおそらく「人間だけしかいない世界」のかけがえのなさを自覚したのである。人間とはなんと可憐な生き物であろうか、ということを思い知ったのである。だからこそ、私たちは子どもたちが虫や花や鳥や動物や、あるいは星や雲や海や川の流れに触れる機会をもつことを「人間的成熟」のための必須の行程だと考えてきたのである。》

 でも、これだと、宇宙飛行士たちが目覚めた「信仰」は、アニミズムになっちゃう。

 もちろん、内田先生は、「アニミズム、大いに結構」と仰るのだろうが、「人間だけしかいない世界」に震撼するのは知性なのだ。そして、その「震撼」が回心につながる。

 もちろん、アニミズム自体、知性の働きに依るものではある。知性がなかったら、アニミズムだって知られない。しかし、そのアニミズムにおいては、知性の働きは知性を捨象するために使われる。ここにアニミズムの限界がある……んじゃないか。

 尻切れとんぼだが、今日はこれで。

喫煙はダメでも、○イプは……

2008-08-01 21:45:42 | Weblog
 飲酒や喫煙は駄目でレイプはOKなのか、と言われても仕方がない桐生高校の甲子園大会出場決定。

 未成年の喫煙や飲酒は、まあ、好ましくはないけれど、犯罪ではない。被害者はいないわけだから。(未成年とわかっていて、酒煙草を販売したら、故意に未成年を不良に導いたとか言って、犯罪になるのかもしれないが)一方レイプは、被害者がいるわけで、明らかに犯罪である。福島瑞穂は何してるんだ。こういう時、上野千鶴子は決して出てこない。

 もちろん、連帯責任というものをどう考えるかという問題はあるけれど、従来、喫煙や飲酒が発覚して連帯責任をとわれ、出場辞退にいたったという事実がある以上、「強姦事件」を起こして、連帯責任はなしというのは理屈にあっていない。

 たぶん、喫煙や飲酒で連帯責任をとわれるのは納得がいかないという気持ちが、底流として関係者の間にあってこうなったのだろうが、被害者の有無という点で、問題がまったく異なる。

 ところが、桐生高校の校長は、記者会見で、無神経にも、「大会に出たい」と言い放った。

 なんてバカなんだろう。

 この校長が、自校の出場の是非を決定する権利を持っているのなら、話は別だ。

 「被害者の方には深く謝罪するが、問題を起こした生徒はレギュラー部員ではなく、夢の甲子園大会出場を断念させるには忍びない」って言えばいい。(今、書いてみて、こういう言い方は普通だったらできないなーと思ったが)

 ところが、大会出場の是非を決めるのは高野連だというじゃないか。

 だとしたら、校長が「出たい」なんて言うのは、まさに言わずもがな。蛇足以前の話だ。「高野連の決定にしたがいます」としか言いようがないのに、「出たいです」だなんて、まるで小学生のガキだ。

 高野連の幹部も、「これじゃあ、出場を許可するにしても、校長の発言を受け入れた形になってしまうではないか」と激怒したんじゃないかと思ったが、高野連も桐生高校の校長と同じくらいバカだったみたいで、あっさりと、「許可します」と言った上、連帯責任を問う場合のメドとして、「五人」という数字を上げたんだそうだ。

 今回の事件に当てはめれば、野球部員が五人で少女を襲ったらアウトってわけだ。

 じゃあ、野球部員が五人で少女を襲ったら、野球部の責任 三人だったら野球部の責任とは言えないというのか? 多分、高野連の会長の念頭にあるのは、飲酒、喫煙といった「不祥事」なんだろうが、今回の事件は「強姦」なんだ。それも黒覆面を用意して襲ったという、悪質な事件だ。

 そもそも、聞いた話だが、高野連の憲章に「連帯責任」の項目があるんだそうだ。だったら、この項目を見直しますと言えばいい。「五人以上が関わった場合、連帯責任とする」と。

 しかし、その場合も、「今回の事件は憲章に沿って処分します」と言わなければならない。

 なぜ、ここまで日本の統治階級は無能ぞろいなのだろう。