パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

皆さんに、御親切にしていただいております

2006-06-06 20:12:11 | Weblog
 「朝御飯」の件……(笑)、大風呂敷って言われちゃったけど、でも、世界のどの民族も朝御飯は「軽め」というのは、大風呂敷じゃなくて、事実だと思う。というのは、夕御飯のことから説明した方がわかりやすいと思うのだが、夕御飯にたっぷりと食べるのは、その後、ゆっくりと休む事ができるためなんだそうで。つまり、摂取した栄養分をまさに、血となり、肉となるように消化に専念する。そういう「休め」モードに身体が入っても大丈夫、危険はない、と保証してくれるのが、動物で言えば「巣」、人間で言えば「家」であるわけです。坂口安吾が、独身時代のエッセイに、「独り者でも、仕事が終わると、せっせと家に帰るのは何故だ?」みたいなことを書いているけれど、生物学的にはまったく不思議はないわけです。
 一方、朝、目をさました人間(というか、あらゆる動物)を待っているのは何かというと、厳しい生存競争のバトルフィールドであるわけです。そんな時に、夕御飯なみの食事を取ってしまったらどうなるか。
 今、例の「愛読書」がどこかにいっちゃったので、交感神経だの、副交感神経だのと、詳しくは書けなくなっちゃったけど……というわけです。

 近くのスーパーで、一本168円の牛乳を持ってレジに並んでいたら、後ろのお婆ちゃんが、「入り口で1本100円で売ってるわよ」とアドバイスされた。行ってみたら、スーパーの店員が1本1本手渡ししていたので、それを貰って改めてレジに並んだら、そのお婆ちゃん、「68円も違うんだものね!」と言って笑っていた。いや、どうもありがとうございました。

 そう言えば、1週間ほど前、住友不動産のチラシを配っていたら、いきなり土砂降りの夕立ちになって、軒下でどうしようかと佇んでいたら、同い年くらいのおっさんが、傘を貸してくれた。透明の、安い傘なので、有り難く頂戴したが、皆さん、親切だなあ。私が年取ったせいか? そろそろ、電車で席を譲られたりするのだろうか。あーあ。

あーあ

2006-06-06 19:35:46 | Weblog
 「朝御飯」の件……(笑)、大風呂敷って言われちゃったけど、でも、世界のどの民族も朝御飯は「軽め」というのは、大風呂敷じゃなくて、事実だと思う。というのは、夕御飯のことから説明した方がわかりやすいと思うのだが、夕御飯にたっぷりと食べるのは、その後、ゆっくりと休む事ができるためなんだそうです。つまり、摂取した栄養分をまさに、血となり、肉となるように消化に専念する。そういうモードに身体が入ることを、それでも大丈夫、危険はない、と保証してくれるのが、動物で言えば「巣」、人間で言えば「家」であるわけです。坂口安吾が、独身時代のエッセイに、「独り者でも、仕事が終わると家に帰るのは何故だ?」みたいなことを書いているけれど、生物学的にはまったく不思議はないわけです。
 一方、朝、目をさました人間(というか、あらゆる動物)を待っているのは何かというと、厳しい生存競争のバトルフィールドであるわけです。そんな時に、夕御飯なみの食事を取ってしまったらどうなるか。
 今、例の「愛読書」がどこかにいっちゃったので、交感神経だの、副交感神経だのと、詳しくは書けなくなっちゃったけど……というわけです。

 近くのスーパーで、一本168円の牛乳を持ってレジに並んでいたら、後ろのお婆ちゃんが、「入り口で1本100円で売ってるわよ」とアドバイスされた。行ってみたら、スーパーの店員が1本1本手渡ししていたので、それを貰って改めてレジに並んだら、そのお婆ちゃん、「68円も違うんだものね!」と言って笑っていた。いや、どうもありがとうございました。

 そう言えば、1週間ほど前、住友不動産のチラシを配っていたら、いきなり土砂降りの夕立ちになって、軒下でどうしようかと佇んでいたら、同い年くらいのおっさんが、傘を貸してくれた。透明の、安い傘なので、有り難く頂戴したが、皆さん、親切だなあ。私が年取ったせいか? そろそろ、電車で席を譲られたりするのだろうか。あーあ。

私の出番……かな?

2006-06-05 01:37:41 | Weblog
 「月光」は、今年中には出ますか、という質問がありましたが、何とか、7月初めには発送できるようにします。
 前にも書いた通り、もう原稿は揃っているし(無くしたと思っていたイラストも見つかったし、ホッ)、あとほんの少しまでこぎつけたのだけれど、ここで、今村昌平監督が亡くなり……って、今村昌平の死と「月光」が何の関係があるかと言いますと、実は、その今村監督が、ほとんど20年越しに、是非実現したいと執念を燃やしていた、「新宿桜幻想」という作品があるんですが、その原作者が、「月光」にも何度か登場してもらった、私の旧友である辻中剛士先生なのです。(原作名は「遊廓の少年」。パロル舎刊)
 まあ、今村監督がそうは言ってくれても、本人が亡くなってしまったんだから、この話はもうしょうがないかと思っていたら、小沢昭一が朝日新聞で、「私もじき、そちらに行きますから、そこでクランクインしましょうか。それとも御子息が映画化しますかな」とか書いている。もちろん、御子息とは、障害者プロレスとかかわりのある天願大介監督だったりするわけで、ここはひとつ、私がひとはだ脱いで、口下手で、すぐすねる癖のある辻中先生ではあるが、天願監督と対談でもさせることができたら面白いじゃないか、と考えたりしたのだけれど、今村監督の告別式が7月6日で、天願監督はその後もしばらく時間がとれないだろうし、さて、どうしたものかと思っているのです。
 ただし、原則として、月光を出す方が優先されるので、またまた遅れるのはよくないし、なんとか7月初めまでには、と。まあ、どうなるかわからないけど、ダメだったら御免なさい。

 NHKで、「好きなものだけ食べる子供達」の放送をしていた。「好きなものだけ食べる」、のがよくないことは当たり前だが、朝食を抜くと成人病にかかりやすくなるというのはどうか。実は、私の愛読書の一つに「明日から朝食をやめなさい」という本がある。これは、じつに説得力のある本であると、私は思っているのだ。
 簡単に言うと、いろいろとストレスの多い昼間に、栄養の豊富な食事をとると、栄養がさっぱり身にならず、逆に仇をなす危険が大きいというのだ。だから、朝食は抜いてしまって、昼食もうどんだの蕎麦とか、バナナとか、消化に負担のかからない、すぐにエネルギーになる食事ですませ、ちゃんとした食事は、その後、ゆっくり休むことのできる夕食だけでよい、というのだ。
 これは大いに理にかなっている、と私は思うのだが……。
 多分、この理屈は、すべての専門家が認めていると思う。古今東西、どの民族(国)だって、朝食は「軽い」か、「摂らない」のが普通だ。昼食をたっぷりとる国もあるが、そういうところは、大概、「昼寝」をその後にする習慣になっているはず。
 NHKの番組では、食事改善のために強制的に入院させられた子供の朝食が画面に映っていたが、ちょっと多すぎではないかと思った。