パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

日本人畸形説

2011-01-22 19:14:19 | Weblog
 劇作家の岸田国士が終戦直後の昭和23年頃に発表し、その辛辣な「日本人批判」に世間が驚いたと言われる「日本人畸形説」を読み、鬱々とした気分になる。

 岸田は、冒頭、次のように書いている。

 「日本人とは大方畸形的なものから成り立っている人間で、どうかするとそれをかえって自分たちの特色のように思い込み、もっぱら畸形的なものそれ自身の価値と美を強調する一方、その畸形的なもののために絶えずおびやかされ、幻滅を味わい、その結果、自分たちの世界以外に『生命の完き姿』とでも言うべき人間の影像を探し求めて、これにひそかなあこがれの情を寄せる人間である。」

 これは、かなり有名な文章であるらしいのだが、岸田は、日本人の「畸形礼賛」を「子供の生活の領域」にも見いだしている。

 「日本の子供は由来、子供の想像の中からが生まれないようなグロテスクなものを与えられる習慣があった。西洋のギニョルはピュルレスク(道化芝居)である。日本の天狗、ひょっとこ、般若、福助、お多福などはピュルレスクというよりはむしろグロテスクであり、文字通り畸形的面相である。しかもこれらは、つい最近まで我々の遊び仲間であったのである。」

 岸田は、「さて、われわれは、いくら畸形的なものの価値と美を強調するにしても、畸形はすなわち畸形であって…そこには必ず不自然、不自由がともなう。」

 日本が世界に誇る、宮崎アニメなんかは、どんなに「作品」として優れていようが、上の岸田の言葉の格好な実例と呼ぶべきだろう。

 また岸田は、「西洋映画から受ける好もしい印象」について、こう語る。

 「西洋映画から受ける好もしい印象の重要な一部は、映画としての優秀性は別として、結局、西洋そのもののあり方、言い換えれば、西洋人の生き方の人間的な自由さにあると思う。つまり、畸形的なものが当たり前で通用していない健全な生活の実情が、我々にとって一つの驚異なのである。」

 もちろんこのことは西洋の社会が理想社会を実現しているというわけではない、と岸田は言っている。

 ということは、岸田の言っていることの半分は、映画とか小説といった「表現」に関わることである。

 岸田はそれを、西洋の文学作品は、端的に「人生らしい人生」「人間らしい人間」が、「いっさいの隔たりを超えて我々異国の読者に親しく話しかけてくる」と言う。

 「すなわち、デンマークの王子も、フランスの売笑婦も、ロシアの農民も、アメリカの主婦も、すべて人間としての完全な皮膚を持っていき、すなわち欲望し、祈り、嘘をつき、笑い、泣いている。読者はそれらの作品によって全身をなで回されているという感じがある。…そうして我々は、自分の身体の隅々に、様々な感覚が眠っていることを教えられ、自分の全身がはじめて生気を帯びてくるのを感じる。」

 私は、この文章を読みながら、つい少し前に見終えたスピルバーグの「宇宙戦争」を思い出した。

 それは、「畸形的」なものに対する「人間らしい人間」の擁護を描いたものだった。

 映画としての評価云々は別として(私は好きだけど)、ああいう風に日本人は、自分が善人なら善人なりに、悪人なら悪人なりに、無鉄砲なら無鉄砲なりに、正当化できない、と強く思った直後に、岸田の文章を読んだのだった。

 ところで、先に「(岸田の言っていることは)映画とか小説といった表現に関わる」と書いたが、「表現」が、日本人の現実(生活)と無関係かというと、そうではない。

 まず第一に、「政治」である。

 岸田は日本人と「政治」についてどう語っているか。

 以下の通りである。

 「日本の政治は、日本人がこれにあたる限り、たしかに畸形的なグロテスクな相貌を呈せざるを得ない。しかし国民は、それをその通りには見ていない。役所といえば役人だと思っているように、政治といえば政治家そのものをしか考えないから、そこには、『全き人間』による『全き政治』の姿を空想する余地がないのである。」

 その結果、「何がどうなっても、それは日本の政治をこれ以上悪くもしなければ、良くもしないと、高をくくっている。」

 すなわち、日本人は「政治というものを人ごとのように考え」、「こうすれば、こうなる」と論理的に考えようとしない。

 まったくその通りではないか。

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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2018-03-12 03:22:43
今の日本を見れば岸田の批評は間違っていると切って捨てることはできないな
日本人の社会に対する無関心は今も昔も全く変わっていない
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Unknown (Unknown)
2015-07-14 11:09:36
敗戦のショックさめやらない時代に書かれたものを現代の日本人が真に受けるのは愚かなことですよ。
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