パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

カラヤン風

2013-01-14 13:12:51 | Weblog
 一応リンクしてはいるのだが、フェイスブックの使い方が、いまいちわからないし、ツイッターの使い方はもっとわからない。

 ツイッターで、ちょっと書き込む、とか、そんな心理になることはしょっちゅうあるので、そのときはツイッターにと思ってログインを試みるのだが、パスワードを忘れたらしくて、ログインできない。

 広範囲に大災害が襲って、具体的に、今自分のいるところ、あるいは、自分が行こうとしているところの状況がどうなっているか、当然、新聞を見ても新聞は「昨日の出来事」しか書いてないし、テレビもラジオも、文字通り五十歩百歩だろう。

 そういうときにツイッターは効果を発揮するのだそうだが、たとえば「○○町」で検索して、自分の求める話題を探すのだろうか?

 ツイッターの画面を見てもそんな箇所はないみたいだし、みんなどうやっているのだろう。

 みんなのツイートを「何言ってんだ」とか「うん、同意だ」とかつぶやきながら見ていて、突如、自分の興味をもっていることに出くわして……ということなのだろうか?

 私の情報というのは、ほとんどすべてそういうかたちで得たものなのだが、緊急災害時などにはそれではまずいだろう。

 で、「第17捕虜収容所」も、そういうかたちで得た経験で、自分が望んで得た経験ではないことが決定的に大事なのだ。

 2chの書き込みも、そういうかたちで、利用しているわけだが、ツイッターはどうなのだろう。

 基本的には、ツイッターもそういうメディアであろうと予想しているのだが、みんなの利用の仕方はどうもそうではなく、もっと情報をピンポイントで探すことのできるメディアのようである。

 「自分が望んで得た情報」には価値がなく、「望まずに得た情報」に価値を見いだす私のようなタイプはあんまりいないと思うが、昨日、Eテレの「プレゼンテーション」で、実に貴重な「望まずに得た情報」を見つけた。

 それは、クラシックのオーケストラの指揮者がどんな役割を果たしているのかを、現役の指揮者なのか、あるいは評論家なのか、正体はわからないのだが、むさ苦しい格好をしたオッサンが解説していて、それがおもしろい、おもしろい。

 特にびっくりしたのは、数百人いる客席に向かって、オーケストラの団員になったつもりで、拍手をしてほしい。それを私が誰某流の指揮と、カラヤン風の指揮の二通りで指揮をしてみるといって、実際にやってみたのである。

 指揮者は二人で、一人は誰某(名前は誰だったか忘れたが、多分有名な指揮者なのだろう)の極めて明快、厳格な指揮で、客席の拍手を指揮した。

 拍手は、たったの一回だけ、「パンッ」で終わるのだが、ん、なるほどと思った。

 驚いたのは、「では次はカラヤン風で」と言って、指揮をしたのだが、びっくり!

 まるでちがう!

 カラヤン風に指揮をした「拍手」は、まさにカラヤン風で、実に曖昧でもやもやしていて、前の誰某流とちがい、まるでまとまりがないが、でも妙に説得力があるし、これで数回練習すれば、立派なカラヤン風拍手が完成するだろう、そういう拍手だった。

 私は数年前からクラシックをよく聴くのだけれど、知識は全然ない。

 ただ、カラヤンの指揮は、好き嫌いは別として、他の人とまるでちがうことに驚く。

 そういうわけで、私にはカラヤンと他の指揮者くらいしか「ちがい」はよくわからないが。

 そういえば、バーンスタインの「カルメン」が、まったくちがっていて、びっくりしたこもある。

 ともかく、なんであんなに指揮者でちがうのだろう?

 それは結局、指揮者に就任して何ヶ月間も練習を指揮し、そうして自分の望む音を引き出しているのだろう。

 と思ったのだが、例えばカラヤンが一躍脚光を浴びたのは、前任者の急病かなにかの突然の代役で指揮棒を振るい、それで世間を驚かせたということで、だとしたら、指揮の結果は「数ヶ月」などではなく、「一回」だけで、全然ちがってくるようだ。

 しかし、そんなことがなんで可能なのだろう?

 これが大きな疑問だったのだが、それが「拍手の指揮」で解けた。

 室内楽には指揮者はいないが、それは「一本締め」「三本締め」のようなもので、演奏者が皆、どういう風にまとめるか、知っているからそのようにまとまるので、「一本締め」の習慣を知らない外国人に「一本締め」をやってもらおうとしたら、指揮者が必要になってくる。

 しかし、Eテレの日本人司会者は、この「指揮者の役割」を、企業トップのあるべき姿として大いに参考になるとか言っていたが、このアホ!と思った。

 大体、カラヤンの指揮する会社組織なんかがあったら、曖昧模糊として、実に怪しげだし、バーンスタインが指揮をしたら・・・いや、結構、面白い喩えだな。