パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

我慢自慢

2011-10-27 01:06:07 | Weblog
 またふざけた「疑惑」が。 

 井川大王製紙前会長が、100円……じゃない、100億円を子会社から上納させてギャンブルに消費した、ということで、すべては明らかなようだが、しかし、会社が前会長を告発というのは首を傾げざるを得ない。

 大王製紙の言い分は、井川家の命令は絶対で、従わざるを得なかったということだが、法的に言えば、「井川家の命令」で被害を蒙った者が「井川家および、井川家に従った奴」を告発すべきではないのか。

 要するに、井川家の命令に従った大王製紙(とその子会社)も、井川家と同罪である。

 2ch風に言えば、「お前が言うな!」と井川前会長は、告発者に言いたいだろうし、実際、この点については、東大法学部卒という井川前会長のほうが事態を正確に把握している。

 4000万円を「被災地の皆さんに」とメモとともに、紙袋に入れて公衆トイレに放置してあったというニュースも、「陰徳」を気取った心理が見え見え。

 こんなことで「徳」の基準を決められてはかなわない。

 「善人」の思い上がりのたちの悪さは、はるか昔、法然、親鸞が指摘したこと。

 親鸞上人は、「よしあしの文字を知らぬものはみなまことの心なりけるを、善悪の字知りがおはおおそらごとのかたちなり」と言ったそうだ。

 これほど透徹した認識に1000年前に到達し、しかもその法然、親鸞を開祖とする宗派が日本最大の宗教勢力でありながら、その教えがまったく浸透していないのは何故か。

 常識人の感覚と異なるからだ。

 ある家の奥さんが、親鸞ではないが、浄土宗の高僧にこう言った。

 「私が言いたいことも言わずに我慢しているので、この家は壊れることなく、丸くおさまっています」。

 この奥さんに高僧は、「じゃあ、お前が家を壊すことになるだろう」と言った。

 びっくりする奥さんに、高僧は、「だってそうだろ。お前の我慢がなければ、家は壊れるのだから」と答えた。

 まったくもって、その通り。

 それが「理の当然」というもの。

 今の日本、「日本を壊さないよう、みんなが我慢して丸くおさめよう」としているわけだが、そんな偽善に支えられた日本はぶっ壊れて当然であり、またぶっ壊れてはじめて再建が可能になるのだ。