スティーブ・ジョブスがあの世に……。
私はずっと以前からMacなので、当然ジョブスファンかというと、そういうわけでもない。
私がMacを使ってきたのは、雑誌をつくるため、そのソフトがほぼMac専門だったから。
実はMac以前は、キャノンのDTP専門ワープロを使っていた。
キャノンの専門ワープロは、機能的には大変に優れていて、使い勝手も良かったし、パソコン通信かなにかを使えば、今、やっているように電話回線でデータを送ることもできると宣伝していたが、実際には、まったく使い物にならなかったみたいだ。
あと、使っている書体が、主観的な好みの問題とはいえ、あまりいいとは思えなかったが、しかし、機能がよかったので、不満はなかった。
ただ、売り方に頭が来たことがあった。
それは解説書が、厚さ5、60センチになりそうなくらいあって(全部で5、6冊あったと思う)、それに値段がついていて、八万円というのだ。
「しかし、この八万円はサービスいたします」と営業が言うのだが、解説書がなければどうしようもないのだから、値段をつけるのがおかしい。
それに値段を付けて、恩着せがましく「サービスします」とは何事だと内心、腹を立てていたのだが、Macを使ったDTPシステムの場合、パソコン本体を買った上、ソフト(クォークエクスプレス)を購入する必要がある。
たしか、当時で百万円をはるか超える額が必要だったと思う。
対するキャノンのDTPシステムは、正確には覚えていないが、それよりはるかに安かったことと、「パソコンを買うと、編集の他にもいろいろなことができるのは確かですが、覚えるのが大変ですよ。編集作業を中心にされるなら、専門ワープロにしたほうがいいです」という営業の言葉に説得されたのだった。
このキャノンのDTP専門ワープロはたぶん7、8年は使ったと思うが、その後、急激にパソコンの値段が下がったこと、またDTPソフトも、秋葉原の裏道で格安で売っていたり、すでにもっている人からコピーさせてもらったりという「裏技」が蔓延、それに乗じて私もMacに切り替えたのだった。
しかし、アメリカ製のDTPソフト、クォークエクスプレスは、アルファベットが基本なので、漢字、ひらがな、カタカナを混合使用する日本文の編集にはあまり向いていない。
むしろ、キャノンの「専門ワープロ」に入っていたソフトの方がそこらへんはきちんとしていると、今でも思っているのだが、キャノンのDTPシステムは、Macシステムに敗れ、市場から完全撤退すると同時に、収められていた日本語の編集ソフトは、たしか住友に売却され、今「エディカラー」という名前で売られているはずだ。
ともかくそういうわけで、雑誌編集のためにずっとMacを使ってきたのであり、そういう人は出版業界では大変に多いはず。
そしてそういう人の多くは、ジョブスにはあまり好感を持っていないはずだ。
というのは、一時、アップルを追い出されたジョブスが復帰してから進めた路線は、それまで使っていた雑誌編集システムとしての機能を切り捨てるものだったからだ。
だから、つい一週間ほど前に秋葉原の中古パソコン店で調べたのだが、「OS9が使えます」が売り文句の古いMacの値段はあまり下がっていない。
いや、ものによっては1、2年前より上がっていたように感じた。
もちろん、これは私の「印象」に過ぎないけれど、「OS9が使える」の売り文句の、その心は「昔の編集ソフトが使えます」なのは確かだ。
とはいえ、そのOS9のもと、Macの業績が悪化していたことはもまた確かなのだが。
それはともかく、そのジョブスが新製品の発売日本にやってきたとき、イベント会場に、人間国宝級と言われる生花の大家がアレンジした大きな「生花」が壇上の中央に据えられていた。
それを見たジョブス、怒り狂って通訳を呼び、「こんな犬の糞のように醜悪なものはつくったやつは誰だ! すぐに片付けさせろ、オレの言っていることを正確に訳すんだぞ」と言い、件の「生花の大家」は青筋立てて帰ったそうだ。
ジョブス、よく言った!
アップル製品の発表の場に生花が似合わない……というか、スピーチに命をかけているジョブスにとって、その自分の横に据えられ、聴衆の視線を奪ってしまうであろう「生け花」が邪魔っけなのは当たり前。
とはいえ、「ジョブス、よく言った!」と快哉を叫ぶのは、ニュース等でセレモニーのために壇上に飾られている「生け花」を見るたび、これほど嫌味なものはないと、ずっと前から思っていたのだ。
主役が「セレモニー」にあるのだったら、そのセレモニーが何のために行われるのか念頭に置くことは必要不可欠であるが、そんな配慮は皆無で、ただ「人の目を奪うためだけ」に飾られているものを「醜悪」と言うのは、実に当然な表現だ。
とはいえ、この話は本当なのだろうか?
ソースは?
というと、ソースは「ほぼ日刊糸井新聞」で糸井のインタビューに日本マイクロソフトの古川会長が応えたもので、古川会長とジョブスは、マイクロソフトのビル・ゲイツほどの親交はなく「聞いた話」であるようだったが、ありそうだなと思ったのだった。
それにしても、ジョブスが、いわゆる「技術」に関するセンスは全然もたず、パートナーだったウォルズマックにすべてやらせていたことなど、古川さんの話はすごく面白かった。(ちなみに、当該する「ほぼ日刊……」は、もうだいぶ前のものだった)
私はずっと以前からMacなので、当然ジョブスファンかというと、そういうわけでもない。
私がMacを使ってきたのは、雑誌をつくるため、そのソフトがほぼMac専門だったから。
実はMac以前は、キャノンのDTP専門ワープロを使っていた。
キャノンの専門ワープロは、機能的には大変に優れていて、使い勝手も良かったし、パソコン通信かなにかを使えば、今、やっているように電話回線でデータを送ることもできると宣伝していたが、実際には、まったく使い物にならなかったみたいだ。
あと、使っている書体が、主観的な好みの問題とはいえ、あまりいいとは思えなかったが、しかし、機能がよかったので、不満はなかった。
ただ、売り方に頭が来たことがあった。
それは解説書が、厚さ5、60センチになりそうなくらいあって(全部で5、6冊あったと思う)、それに値段がついていて、八万円というのだ。
「しかし、この八万円はサービスいたします」と営業が言うのだが、解説書がなければどうしようもないのだから、値段をつけるのがおかしい。
それに値段を付けて、恩着せがましく「サービスします」とは何事だと内心、腹を立てていたのだが、Macを使ったDTPシステムの場合、パソコン本体を買った上、ソフト(クォークエクスプレス)を購入する必要がある。
たしか、当時で百万円をはるか超える額が必要だったと思う。
対するキャノンのDTPシステムは、正確には覚えていないが、それよりはるかに安かったことと、「パソコンを買うと、編集の他にもいろいろなことができるのは確かですが、覚えるのが大変ですよ。編集作業を中心にされるなら、専門ワープロにしたほうがいいです」という営業の言葉に説得されたのだった。
このキャノンのDTP専門ワープロはたぶん7、8年は使ったと思うが、その後、急激にパソコンの値段が下がったこと、またDTPソフトも、秋葉原の裏道で格安で売っていたり、すでにもっている人からコピーさせてもらったりという「裏技」が蔓延、それに乗じて私もMacに切り替えたのだった。
しかし、アメリカ製のDTPソフト、クォークエクスプレスは、アルファベットが基本なので、漢字、ひらがな、カタカナを混合使用する日本文の編集にはあまり向いていない。
むしろ、キャノンの「専門ワープロ」に入っていたソフトの方がそこらへんはきちんとしていると、今でも思っているのだが、キャノンのDTPシステムは、Macシステムに敗れ、市場から完全撤退すると同時に、収められていた日本語の編集ソフトは、たしか住友に売却され、今「エディカラー」という名前で売られているはずだ。
ともかくそういうわけで、雑誌編集のためにずっとMacを使ってきたのであり、そういう人は出版業界では大変に多いはず。
そしてそういう人の多くは、ジョブスにはあまり好感を持っていないはずだ。
というのは、一時、アップルを追い出されたジョブスが復帰してから進めた路線は、それまで使っていた雑誌編集システムとしての機能を切り捨てるものだったからだ。
だから、つい一週間ほど前に秋葉原の中古パソコン店で調べたのだが、「OS9が使えます」が売り文句の古いMacの値段はあまり下がっていない。
いや、ものによっては1、2年前より上がっていたように感じた。
もちろん、これは私の「印象」に過ぎないけれど、「OS9が使える」の売り文句の、その心は「昔の編集ソフトが使えます」なのは確かだ。
とはいえ、そのOS9のもと、Macの業績が悪化していたことはもまた確かなのだが。
それはともかく、そのジョブスが新製品の発売日本にやってきたとき、イベント会場に、人間国宝級と言われる生花の大家がアレンジした大きな「生花」が壇上の中央に据えられていた。
それを見たジョブス、怒り狂って通訳を呼び、「こんな犬の糞のように醜悪なものはつくったやつは誰だ! すぐに片付けさせろ、オレの言っていることを正確に訳すんだぞ」と言い、件の「生花の大家」は青筋立てて帰ったそうだ。
ジョブス、よく言った!
アップル製品の発表の場に生花が似合わない……というか、スピーチに命をかけているジョブスにとって、その自分の横に据えられ、聴衆の視線を奪ってしまうであろう「生け花」が邪魔っけなのは当たり前。
とはいえ、「ジョブス、よく言った!」と快哉を叫ぶのは、ニュース等でセレモニーのために壇上に飾られている「生け花」を見るたび、これほど嫌味なものはないと、ずっと前から思っていたのだ。
主役が「セレモニー」にあるのだったら、そのセレモニーが何のために行われるのか念頭に置くことは必要不可欠であるが、そんな配慮は皆無で、ただ「人の目を奪うためだけ」に飾られているものを「醜悪」と言うのは、実に当然な表現だ。
とはいえ、この話は本当なのだろうか?
ソースは?
というと、ソースは「ほぼ日刊糸井新聞」で糸井のインタビューに日本マイクロソフトの古川会長が応えたもので、古川会長とジョブスは、マイクロソフトのビル・ゲイツほどの親交はなく「聞いた話」であるようだったが、ありそうだなと思ったのだった。
それにしても、ジョブスが、いわゆる「技術」に関するセンスは全然もたず、パートナーだったウォルズマックにすべてやらせていたことなど、古川さんの話はすごく面白かった。(ちなみに、当該する「ほぼ日刊……」は、もうだいぶ前のものだった)